地下室の日記

 1日の終わり。今日もいろんな人と会った。いろんな出来事があった。いろんな人や出来事を前にしたときの感情を、その場で素直に声に出すのは難しい。理由はさまざま。迷惑をかけたくないから、変なひとだと思われたくないから、そのように声をだすことによって、むしろ自分の感情が損なわれてしまうように感じるから。
 いずれにしても私たちは、日々自分の声を抑圧しながら生きている。その抑圧された声はバラバラなイメージとなって、無意識という自分の部屋を漂いはじめる。その日の終わりに、無意識の散らかったイメージたちを片付け、整理していくうちに「ああ、これが自分の声だったんだ」という感触を得ていく。
 
 日記は「この私」の理屈で動く。交換は「共同体」の理屈で動く。私たち人間のどうしようもなさの一つは、「この私」の理屈と「共同体」の理屈を、どっちもたいせつにしたい、などと思ってしまうところにある。この人間のどうしようもなさは、さまざまなかたちをとってあらわれる。むろん「交換日記」は、その1つのかたちである。
 では改めて「この私」の感覚とは、いったいどういうものだろうか。人間に最初に訪れる感覚は「この私」と「共同体」の、いったいどちらなのだろうか。
 私の考えでは、最初に訪れる感覚は「共同体」のほうである。「この私」の感覚はその共同体からのズレとしてのみ、定義される。ひとはどこかで病気になるし、からだをこわしてしまう。そのとき初めて「健康」は意識される。それと同じようにひとはどこかで、自らが属する共同体に違和感を覚えるようになる。そのとき初めて「この私」は発見される。

 私が「この私」を発見したのは、高校3年生になる直前の2月である。私はそこで、それまで属していた共同体から外れる決断をした。それ以来私の人生は、その決断以前と以後の、2つの人生に分かれることになった。終戦を境に日本という国が、戦前と戦後の2つの国に分かれてしまったのと同じように。それほどまでに、重大な決断だった。
 私は工業を学ぶための高校に行った。その時点で「外れた」選択をしているではないか、という指摘は正しくない。私の住む地域では、そのような選択をする学生の数はけっして少なくないからだ。
 私の住む地域には、高度経済成長期に誘致された、巨大な工業地帯がある。ここではいまだに大量の雇用が生み出されている。普通科で中途半端に勉強して大学に進学するより、工業を学んでいちはやく就職するほうが、多くの給料と承認が得られるに違いない。冗談ではなく私の周りでは、大人も含めて、このようなコンセンサスが確かにあったし、いまもある。いわゆる「学歴社会」の問題意識は、私が住む地域では比較的希薄である、と言うことができる。
 
 大きな企業に就職するには運動部に属しておいたほうが良い。小さいときからよく耳にしてきたお題目である。私は野球のことが好きだった。だから野球部に所属していた、と思っている。
 しかし野球部に属すことによって生まれる価値の意識から、完全に自由だったのかと問われれば、はっきりとした返答に窮してしまう。当時の私のなかでは「この私」の理屈より、「共同体」の理屈のほうが、ひょっとすると優先されていたのかもしれない。
 そんななか私は、1年間勉強して大学受験をするという選択をした。就職が第1目標の、大学に行くにしても推薦で行くことが習わしになっている、工業を学ぶための高校で、一般受験で文系の大学に進学するという選択をした。周りからはとことん馬鹿にされた。この選択をきっかけに、私のもとから離れていった友人もいる。こうして私は多くの犠牲を払い、その対価として「この私」を発見することができた。
 なぜ私はそのような選択をしてしまったのだろう。もちろんさまざまな答え方が可能だが、おそらく究極的には、私が属していた共同体に、そのえたいの知れない「何か」に、ずっと違和感をもってきたから、と言えるのではないかと思う。私がそれまで経験してきた多くの理不尽について、徹底的に考える必要に駆られていたのだと思う。このままではダメだ、と思っていたのだと思う。
 
 脱社会的読書会。そこで私たちはいま、平田オリザ氏の『わかりあえないことから』を読んでいる。演劇人である平田氏によって書かれた、コミュニケーション教育についての本である。演劇についてもコミュニケーション教育についても、私はなにも分かっていない。だから読んでいて、とても勉強になる。
 一方でわずかな、しかし決定的な、違和感のようなものがあった。それがどこにあるのかについて考えている中で、あるときふと、別の演劇人についての小さな記憶が、よみがえってきた。大学2年のときの記憶。
 
 鈴木忠志という演劇人がいる。彼はかつて「演劇を含めた芸術活動は共同体に奉仕するためにあるのではなく、共同体から脱落した人のためにある」という趣旨のことを述べていた。いいかんじに意味が分からないことを言い出す人だ、と思った。ちなみに彼は、柄谷行人氏の盟友である。察してほしい。
 彼は続けて「方法的に差別されることを選択する」大切さについても語っていた。「方法的に差別されることを選択する」?いやいや、そんなことが大切なわけないでしょう。自動的にそのような反応をしてしまっていた。その先について考えるための扉に、あわてて鍵をかけていた。鈴木氏が述べたことは、どこか私の人生の、そして私たちの社会全体の、暗部に触れているような気がした。それゆえに私は、それ以上立ち入ることをしなかった。
 
 私は1年間死ぬ気で勉強した。その結果さんざん無理だと言われた大学に、いくつか合格することができた。そのときの周囲の手のひらの返しようは、すさまじいものがあった。軽い人間不信に陥った。しかし他方で、再び共同体の一員として承認されたことに、わずかな喜びがないわけではなかった。情けないことに。
 私は自覚的に、共同体から外れる決断をした。方法的に差別されることを選んだ。じっさい周囲の人たちは、私から離れていった。孤独に勉強することを強いられた。自己責任だったので、全て私が悪いと言えば悪いのだが、とても苦しい1年間だったことは間違いない。
 しかし私は最終的に、その苦しさをなかったことにしようとした。合格を喜ぶ薄情な連中との感動的な和解と調和を、歓迎しようとした。ヘラヘラしながら、応援してくれてありがとう、とかなんとか、言っていた。

 私を含め人間は、どこまでも差別的で、軽薄な生きものである。差別の無い社会の構想は、良くも悪くも、ユートピア的なのだと思う。私は個人的にその理想を夢見つつも、これまでにあった無数の差別、その苦しみが、共同体的な軽薄さによって塗りつぶされることがあってはならないと、強く信じている。
 差別されることを方法的に選び、その差別をいつまでも覚えたまま生きていくことは、とんでもなく難しいことだ。安易な和解と調和に流されることのほうが、よっぽど「大人」的で、穏当な選択であるように思える。
 しかし、差別された人と差別した人との和解が、結局のところ「いろいろあったけど、終わりよければすべてよし!これからはみんな平等に、楽しく生きていこう!」ぐらいのことしか意味していないのだとすれば、そんな和解など、ないほうがマシである。
 
 大人になっても、さまざまなイジメがある。多数者による迫害がある。そのときどっちが正しいかに関係なく、迫害された1人のほうに立つことができるか。共同体から追放され、差別された1人を、同じく差別されてきた人間の1人として、迎え入れることができるか。
 私にとって本を読むことと、共同体の理屈は対立する。いついかなるときも、共同体から外れてしまう人がいる。それは見知らぬどこかにいる、という観念の話ではない。具体的にいつも、私の身近にいるのである。そのことを正しく見続けるために、私は本を読んでいる。
 
 平田氏は演劇を社会に役立てようと思っている。ひとびとをコミュニケーションの輪に組み込むことによって、良き市民社会をつくろうとしている。
 それに対して鈴木氏は、演劇が社会に役立つなどということを、そもそも考えていない。どうしても、最終的に共同体から脱落してしまう人、いうならば脱(反?)社会的な人のために、彼にとっての演劇はある。
 いや、ほんとうのところを言えば、両者にある思いは同じなのだろう。表向きの「あえて」の戦略が、異なるだけなのだろう。交換=共同体の言葉を、真剣に捉えすぎてはならない。その裏側にある日記=この私の言葉を、読みとる必要がある。
 
 私が最も好きな海外の作家に、フョードル・ドストエフスキーという人がいる。彼は『地下室の手記』という小説の冒頭で、その主人公に「2×2=4は死のはじまりである」と言わせた。
 世界を単一の原理で説明することを試みるユートピア主義者に反発する、愚かで、なにをしでかすかわからない危険な人物として、彼は「地下室の住民」をえがいてみせた。
 数学的な証明の方法をもって、人間社会の正しさを根拠づけることはできない。「2×2=5」であるとさえ言える自由を、人間は持っているからである。たとえその結果、頭がおかしいやつだと非難されることになろうとも。
 どう考えても非合理で、損をするにきまっている思想や行動を、それでも選択する地下室の住民。合理的なプレイヤー同士の相互依存体制が想定することができない、向こう見ずで、愚かなプレイヤー。昨今の国際情勢のゴタゴタを想起してしまうのは、おそらく私だけではあるまい。
 「2×2=4は死のはじまりである!」「2×2=5である!」などと言い出す人物と、上手にコミュニケーションがとれる自信はない。しかし彼が、地下室で手記を書くだけにとどまらず、この世界への漠然とした不満を、暴力によって解決しようとするその前に、私は、彼の言葉を聞きたいと思う。聞かなければならないと思う。
 私たちが属する共同体の暴力、軽薄さが、彼をそこまで追いつめてしまっていたのかもしれない。そんな彼からいまさら、素直な本音を聞きだそうとしても、おそらくは無駄である。私たちは彼が書いた地下室の手記を丁寧に読むことから、始めなければならない。
 この世界にうんざりし、差別され、孤独に苦しむ地下室の住民は、いつも、私のそばにいる。共同体の一員として、ではなく、ほかでもない「この私」として、彼の言葉を聞かなければならない。彼の日記を、読まなければならない。

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