来るべき交換日記Dのために

 交換日記において私たちは、いったいなにを「交換」しているのだろうか。そりゃあ日記を交換しているのだろうよ。そう思うかもしれない。
 ほんとうにそうか。確かに私はまえの書き手であるanzaiくんからこの日記を受けとった。けれどもその代わりに私のほうからanzaiくんになにかを差し出したわけではない。一見すると、ここに交換は成立していない。にもかかわらず私たちは、違和感なくこれを「交換日記」と呼ぶのである。どういうことだろうか。
 私にはこれまで何度か交換日記をした経験がある。最後にしたのは中学3年生。当時の仲良しグループ10人によってしれっと始まった。こういう場合、その起源はたいてい隠蔽される。交換日記とはいつも、しれっと始まるものなのである。
 グループの名は「ふくだち」。通っていた中学の名前が「福田中学校」で、そこでの最高の「ダチ」同士によるグループだから「ふくだち」。分かりやすいね。突然だがいま私を小馬鹿にした都会人たちに告ぐ。マイルドヤンキーが持つ地元への帰属意識を舐めてはならない。都会的世界では、共通の目的を持つ結社のことをアソーシエーションなどと呼ぶらしいが、俺たちの世界ではそのようなぼんやりとした観念は存在しない。俺たちの世界にはただ共通の地元という「反目的」的な、純然たる生の事実だけが存在しているのであり、この動かしがたい「natio」の躍動こそが、俺たちを結びつけてくれる唯一の原理なのである。閑話休題。
 さて、俺はそこでなにを書いていたのだろうか。記憶にない。俺はそこでなにを読んでいたのだろうか。記憶にない。俺が記憶しているのは、前の人から交換日記を受け取るとき、あるいは次の人に交換日記を渡すときに感ずる、言いようのない重圧と高揚、それだけである。
 俺はみんなの文章をろくに読んでいなかった。そしておそらくみんなも、俺の文章をろくに読んでいなかった。それでも交換日記は成立するのである。驚くべきことに。
 俺たちは「ふくだち」という関係を守るために日記の「交換」を必要としていた。いや、この言い方は不適切かもしれない。そこで交換されていたのは「日記」ではない。「お前はふくだちの一員だ」という相互の「承認」こそが交換されていた。日記はこの承認を宿すいれものにすぎなかった。
 私たちは交換から逃れられない。そして私たちは「モノ」の交換と同等に、あるいはそれ以上にある「観念」をも交換している。
 プレゼントは返礼の義務を発生させる。プレゼントをもらった側はいずれ、その相手にプレゼントをお返ししなければならない。ここにあるのは贈与ではなく、広い意味での交換である。
 権力者には人びとを守る義務がある。そうでなければ人びとは、彼に自らの権力を譲渡した意味が見いだせなくなり、ほうっておくと、いずれ暴動が起こることにもなりかねないからだ。権力が一方的に譲渡されることはない。権力と保護する義務は交換の関係にある。
 資本主義社会においては厳密な意味での等価交換はありえない。ほんとうにすべてが等価での交換であるのなら、そこで「利益」や「剰余」が生まれる余地はない。貨幣とモノが等価交換の関係にあるというのは、ある種の錯覚である。そこでは「それ以上のなにか」が交換されてしまっている。
 大学に入ってから文字通り命をかけて、人の文章を読むようになった。食費や光熱費を削って本を買った。友達と遊ぶ時間を削って本を読んだ。とある日の夜中、とつぜん目から涙が止まらなくなることもあった。ギリギリだった。よくぞ生還した。
 私はいつの日からか「お前も文章を書かねばならない」という声を聞くようになった。長らく一方的に文章を詠み漁った経験が、私に返礼の義務を強いた。学びの体系にただ乗りするだけの私の態度は、明確に交換の原理に反したものだった。なけなしのお小遣いをはたいて買った本たちは、その値段に相当する情報量以上のなにかを、わたしに語りかけていた。「さあ、書けよ」、と。
 しかし、私は文章を書く気にならなかった。友人の文章を読む気にもならなかった。当時の私はもうすでに、文章というものをあまりにも愛してしまっていたからだ。かつての記憶がよみがえる。文章を関係維持の道具にしたくなかった。承認の道具にしたくなかった。交換の原理に屈することを、私の理性は許してくれなかった。
 しかし私はいま、交換日記をしている。長い文章をじっさいに書いている。返礼義務からではない。権力に脅されたからでもない。市場の要請があったからでもない。anzaiくんから日記を受けとったから、でもない。
 理由をあげるとすれば、この人たちとなら交換日記をしても楽しくなるだろうな、と思ったからである。それだけである。私たちはもともと、交換日記をするためのメンバーではない。日記の交換がこの関係を維持するのに必要なわけでもない。単にさまざまな偶然があった。そして気がつけば、このような関係になっていた。なってしまっていた。私はこの「しまっていた」の感覚を、なによりもたいせつにしたい、と思っている。
 哲学者の柄谷行人氏は最新刊『力と交換様式』において、四つの「交換様式」を提唱した。交換様式Aを「互酬(贈与と返礼)」、交換様式Bを「服従と保護(略取と再分配)」、交換様式Cを「商品交換(貨幣と商品)」とした上で、これらの交換様式の三位一体を「資本(C)=ネーション(A)=国家(B)」というふうに定式化した。この三位一体を乗り越える交換様式Dが「来るべきX」であり、それは「Aの高次元の回復」のことであり、「ABCの交換を否定し止揚するような衝迫」のことであり、「むこうからやってくるような何か」のことである。安心してほしい。私も氏がなにを言ってるのか、冗談抜きでマジでまったく5億%分かっていない。まあ、私は氏のそういうところに惚れているのだが、、、(オイ)。
 私はかつての交換日記の体験で「交換」の病にとりつかれた。いまでもこの病が癒える兆しは一向に見えない。脱社会的交換日記。この新たな交換日記のあり方は、旧来の交換の病を否定し、克服することができるのだろうか。そのとき私たちはこの交換日記で、いったい何を交換しあうことになるというのだろうか。
 社会には交換の暴力が満ちている。そこから外れようとする贈与的なモメントすらをも、社会は強引に、交換の論理のなかに組み込んでしまう。権力を倒した反権力が、いつの間にか新しい権力に。資本主義を批判する反資本主義が、いつの間にか新しい資本主義に。交換の原理を乗り越えようとする贈与の原理が、いつの間にか新しい交換の原理に。 
 相互扶助とは、ある種の交換のネットワークである。私はしばしば、祖父母がつくった野菜を軽トラで近所まで持っていく作業を頼まれる。持っていくとほぼ間違いなく、果物なりお菓子なりべつの野菜なり米なりが返ってくる。私は個人的に、このような光景を心底美しいものだと思っているが、こちらから一方的に野菜を送りつけ、半ば強制的にその見返りをもらおうとすることの暴力性、とは言わないまでも、その微妙ないやらしさ、のようなものに対して、少なくともあるていどは自覚的でなければならない、とも思っている。
 純粋な贈与の体験を、私たちは決定的に捉え損なう。人間とは、贈与への挑戦とその失敗を宿命づけられた悲劇的な生きものである、と言うことができると思う。交換という社会の原理に、贈与という反社会の原理で対抗するという問題設定そのものに、どこか盲点があった、ということなのかもしれない。
 私たちの日記は従来の交換日記とは違って自由で、相互扶助的なものだ!言うならば贈与日記だ!はおそらく成立しない。無理をせずとも、交換日記で良い。すべては交換なのだから。その「交換様式」に変化がありさえすればよいのだ。
 脱社会的交換日記での新たな「交換様式」とは「Aの高次元の回復」のことであり、「ABCの交換を否定し止揚するような衝迫」のことであり、「むこうからやってくるような何か」のことである。むろん何をいってるのかは分からない。だが、それで良いのである。
 真剣すぎることもなく、おふざけすぎることもない、交換でも、贈与でもない、社会的でも、反社会的でもない、「脱(Datu)」社会的に文章を書き、読んでいくことを私は誓う。来るべき交換日記「D」のために。


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