偽善、いき、推し
大学に入ってすぐ超博識な先輩に誘われ、「社会契約論」の勉強会に参加した。「政治学」を専攻する予定の、先輩だった。初回で概略を説明し二回目から実際にホッブズ、ロック、ルソーなどのいわゆる「古典」を精読していくという会で、いま振り返るとなっかなかにハードなものだったと思う。一年生ならではのイキった感じが、その会への参加を後押ししたのだろう。
無知とはどういう状態かというと、感想が大雑把になってしまう状態のことである。なぜそんなことが分かるのかというと単純に、当時の私がそうだったから。皆様の繊細で批判的なコメントに対して空虚な相づちをうつことしかできず、その裏側で小学生みたいなドデカい疑問が、ひっそりと鬱積していくような日々だった。
その疑問とは「その社会契約ってほんとにあったことなの?」というもの。例えばさ、自然状態において万人は万人に対する闘争状態にあってそれがやべえから国家つくりましたとか、それほんとの話なの?ていうか、そもそもその「自然状態」ってやつなんやねん!「自然権」もなんやねん!
一事が万事、この調子。最後にはこの「政治学」って学問自体がなんかおかしいのではという誇大妄想に陥る重症っぷり。だいたい「政治学」は「社会科学」って学問分野に分類されるらしいけどそれだって怪しくね。「人文科学」は分かるよ。文系のことでしょ。「自然科学」も分かる。理系のことでしょ。ふつうこういうのって二つでしょ。なに、この「社会科学」というものは。偏見かもしれんが、文系のくせに理系の仲間に入りたがってる、勘違い学問としか思えぬぞ。
その「社会契約論」というのが小説みたいな「個人的な創作」なら、まあ理解はしよう。でもそれなら、小説読むほうがよっぽど楽しいよ。社会契約論、エンタメ要素も純文学要素も、両方ないよ。中途半端だよ。
かといってそれが2+2=4みたいな「客観的な真理」なのかというと、どうもそういうわけでもなさそう。歴史的事実なのかどうかも怪しい。それぞれがそれぞれなこと言ってるしな!?2+2=4で解釈われねえから、ふつう。
なんなの、結局。俺は次第にその勉強会に参加しなくなり、しまいには完全ドロップアウト。まずはひとり孤独に、本を読んでいくことを決めた。馬鹿らしい疑問なのかもしれんが、俺はここをクリアできんとやつらの文章は読めぬ。先輩には申し訳ないがワシにはもう少し、修業が必要なようじゃ。
その後もろもろの政治学の入門書みたいなのを読んでいてドンピシャ自分の心を射抜いたのが丸山真男の『日本の思想』という新書だった。この本にはそん時の俺が知りたかったことが冗談抜きでぜんぶ!、書かれてあった。勉強会するならぜったいこれ読んでからのほうがいいと思ったけど、まあしかしいきなりホッブズとかロックとか読んで深い~とか言うほうが確かに、カッコよくはあります。
始まりは突然に自虐的。「日本思想史の包括的な研究はなぜ貧弱なのか」という問いから。それに対するさしあたっての答えは、日本の伝統には「思想が蓄積され構造化されることを妨げてきた諸契機」があり続けてきたから、というものだった。
「そういう契機を片端から問題にしていくことを通じて、必ずしも究極の原因まで遡らなくとも、すこしでも現在の地点から進む途がひらけるのではなかろうか。なぜなら、思想と思想との間に本当の対話なり対決が行われないような『伝統』の変革なしには、およそ思想の伝統化はのぞむべくもないからである。」(p6)
当時の私がここを読んでまず思い出したのが大学受験の時のこと。センター試験に向けて「倫理」という科目を勉強している時、古今東西の「思想」や「哲学」についての薄っぺらな知識を一つ一つ頭に入れる必要があったのだが、ヨーロッパのそれはわりとすんなり覚えることができたのに対し、日本のそれは覚えるのにどうも多くの時間がかかってしまった。ワンチャン非国民なのかも俺、と思ったのは内緒。
イギリス経験論と大陸合理論が対立してて、それらを統合したのがカントで、それをさらにヘーゲルが乗り越えて…みたいなチャート化がなされている西欧思想に対し、日本思想では伊藤仁斎はこういう人、本居宣長はこういう人、中江兆民はこういう人、というふうに、それぞれを個別的にバラバラに覚えなければならず、そのぶん覚えるのに時間がかかってしまっていた。その個人的な経験があったおかげで、丸山の「思想と思想との間に本当の対話なり対決が行われないような『伝統』」という表現に、私自身の実感を込めることができた。
なるほど日本は伝統的に、諸外国からの「思想」をいちはやく受け入れ、それらを日常の端々になじませることに成功してきた。けれどもそのことは、日本が思想を上手に「位置づけてきたこと」を保証するわけではない。
「私達の思考や発想の様式をいろいろな要素に分解し、それぞれの系譜を遡るならば、仏教的なもの、儒教的なもの、シャーマニズム的なもの、西欧的なもの――要するに私たちの歴史にその足跡を印したあらゆる思想の断片に行き当たるだろう。問題はそれらがみな雑然と同居し、相互の論理的な関係と占めるべき位置とが一向判然としないところにある。」(p8)
日本文化の特殊性をその「雑種性」に求めるタイプの文章は多い。本来は相互に矛盾しているはずの宗教や思想が「なんとなく」共存している不思議。外来の思想を受け入れながらも、日本の「伝統」的な思想を完全に捨て去るわけではない。そのような日本文化の柔軟性には功罪の両方があるのだろうが、丸山はあくまでもその「罪」のほうを厳格に積極的に、指摘していく。日本は外来の思想を無限に受け入れ抱きしめてきたが、そのぶんそれぞれとの「距離感」が上手くつかめないままで、思想全体の「構造化」「位置づけ」にことどとく、失敗してきた。
「過去は自覚的に対象化されて現在のなかに『止揚』されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこむのである。思想が伝統として蓄積されないということと、『伝統』思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接には歴史的発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度としているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の『継起』のパターンに関するかぎり、彼の命題はある核心をついている。新たなもの、本来異質的なものが過去との十分な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向き合わずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。」(p11~12)
日本思想の歴史には「構造性」がない。それはもっぱら「思い出」としてのみ体験される。言うまでもなく前者が客観的なもので、後者が主観的なものである。そして丸山にとって「思想」とは前者を伴うべきものであり、それゆえ、常に後者でしかありえない日本思想のあり方が「貧相」に、見えてしまうのだ。
さらに丸山はこの対比に新たな言葉を付け加える。それは「イデオロギー批判」と「イデオロギー暴露」という対比である。「構造性」をもつ文化でならば、イデオロギーへの「批判」は可能だ。しかし「構造性」をもたず「思い出」を誇らしげに語る文化では、それは不可能である。唯一可能なのは、イデオロギーの「暴露」だけ。そのことを丸山は、日本を代表する「思想家」本居宣長を参照しながら、次のように述べる(ちなみに「歴史は思い出」といった小林秀雄は晩年に、『本居宣長』という大著を書いている)。
「いちじるしく目立つのは、宣長が、道とか自然とか性とかいうカテゴリーの一切の抽象化、規範化をからごころとして斥け、あらゆる言あげを排して感覚的事実そのままに即こうとしたことで、そのために彼の批判はイデオロギー暴露でありえても、一定の原理的立場からするイデオロギー批判には本来なりえなかった。」(p20)
徐々に対立点が明確になってきた。元来、イデオロギーつまり「思想」を批判するうえで必要とされるのは「思想A」に「思想B」を対立させる方法だが、日本において主流なのは「思想一般」に「思い出」あるいは「感覚的事実」を対立させる方法であり、そしてそれは「お前の言っていることは思想だ!」と言うだけの「暴露」の域を出るものではない。「善い思想」や「悪い思想」とはどういうものか、という吟味の積み重ねではなく、「思想は悪」であり「実感が善」であるという単純化こそが日本の伝統の、通奏低音をなしてきたと丸山はいう。
おそらくこの指摘は現代においても当てはまる。最近「思想が強い」という表現があることを知ったが、これなどはまさしく「イデオロギー暴露」の典型であろう。それは「あなたの強い思想のこういうところがだめ」と「批判」するのではなく、「あなたが強い思想をもっているということそれ自体がだめだ」と「暴露」するだけなのだから。実際、ほとんどの場合「あなたの思想」と対比させられるのは「私の思想」でなく、「私の実感」であるように思える。
ここで注意するべきは「思想」それ自体が悪でないのと同じように、「実感」それ自体も悪ではないということである。丸山によれば本来「思想」と「実感」とはその両方が揃って初めて意味をなすのであり、「近代人」たる我々に求められるべきは「思想」と「実感」の二極によってつくられる「緊張の意識」に耐えんとする、強い意志なのである。どういうことか。
丸山はさらに「思想」と「実感」をそれぞれ「フィクション」と「生の現実」というふうに言い換え、政治学における「社会契約論」の意義が何であるかを述べる。
「フィクションとしての制度の自覚は、同時にフィクションと生の現実との間の鋭い分離と緊張の自覚でもあったのである。…ところでホッブズからロックを経てルソーに至って完成される近代国家の政治理論は、近世認識論の発達と併行し、それぞれに大きな相違を含みながらも、ひとしく経験世界の主体的作為による組織化という発想を受けついで、頂点の制作主体としての君主の役割を、底辺の主体的市民の役割にまで旋回したのである。しかもその際フィクションとしての国家観は社会契約説にまで結晶するが、『生の充溢』と制度との間のギャップの感覚は引き続き保持されていた。両者の二元的な緊張関係を論理化したものが、ほかでもない『自然状態』と『国家状態』との――やはりそれぞれ異なった仕方での――関係づけであった。」(p43~44)
これは私の強引な読みかもしれないが、社会契約論において最も大切なことは「フィクション」と「生の現実」との「ギャップ」、その「緊張関係」を、強烈に意識させることにあるのではないか。私たちが当然の存在としてみなしている「国家」は、何も「自然」に生まれたものではない。それはあくまでも私たちの「主体的作為」によってつくられ、維持されてきたものである。その意識は、国家の正当性はこれからも私たち市民によって常に、「不断に」、問われねばならぬという「政治参加」への動機を、促進させるだろう。
「フィクション」と「生の現実」を対比させ、一方が他方を「論破」することで悦に入っている場合ではない。「生の現実」から「フィクション」としての国家がつくられたというダイナミズムを論理的に物語り、またその「フィクション」をよりよく操作するための根拠と理路を提示することに、「社会契約論」の意義はあったのだ。「フィクション」と「生の実感」はそれぞれ「国家状態」と「自然状態」に、対応している。
「思想」の土壌がない日本において力をもってきたのは「文学」と「科学」である。どちらも「思想」とは違って確実な「リアリティ」を、有しているからだ。
文学のリアリティとは誰からの否定も許さないような「私の実感」であり、科学のリアリティとは逆に、誰からでも承認可能な「普遍的な事実」である。
しかし政治学、だけに限らない「社会科学」の武器は、「リアリティ」というよりも「理論」にあるはずだと丸山はいう。ここでの「理論」は「リアリティ」との「距離」をこそ、その特徴としている。
「本来、理論家の任務は現実と一挙に融合するのではなく、一定の価値基準に照らして複雑多様な現実を方法的に整序するところにあり、従って整序された認識はいかに完璧なものでも無限に複雑多様な現実をすっぽり包みこむのでもなければ、いわんや現実の代用をするものではない。それはいわば、理論家みずからの責任において、現実から、いや現実の微細な一部から意識的にもぎとられてきたものである。従って、理論家の眼は、一方厳密な抽象の操作に注がれながら、他方自己の外辺に無限の曠野をなし、その涯は薄明の中に消えてゆく現実に対するある断念と、捜査の過程からこぼれ落ちてゆく祖座に対するいとおしみがそこに絶えず伴っている。この断念と残されたものへの感覚が自己の知的操作に対する厳しい倫理意識を培養し、さらにエネルギッシュに理論化を推し進めてゆこうとする衝動を喚び起こすのである。」(p60)
丸山は理論を全否定し実感を全肯定する態度を「実感信仰」と呼び、反対に実感を全否定し理論を全肯定する態度を「理論信仰」と呼ぶ。丸山のいう「社会科学」としての理論の正しい在り方とは、そのいずれでもない。「厳密な抽象の操作」を得意とする点で「理論信仰」と違いはないが、それだけで現実のすべてを説明できるとは全く思わない点で、両者には決定的な違いがある。
理論は現実との緊張関係ゆえの距離を、生じさせる。その距離を丸山は「断念」や「いとおしみ」と、呼ぶのである。しみじみ、素敵な言葉遣いだなあと思う。
章の最後、丸山は「自らにとっての社会科学はどういうものか」を明らかにしていく。
「社会科学は文学とちがって本来、論理と抽象の世界であり、また(それがよいかどうかは別として)必ずしも自己の精神の内面をくぐらずに――個性の媒介を経ないで――、科学の『約束』にしたがって対象的に操作しうるので、少くとも理論化された内容に関する限り、日本の思考様式に直接繋縛されるモメントが稀薄である。それだけに対象化された理論とその背後のなまの人間の思考様式との分裂があらわれやすいわけである。社会科学的発想と文学的発想とのくいちがいが日本における『ヨーロッパ』対『伝統』の問題のような形であらわれるのはここに由来している。」(p61)
社会科学は人間や社会を扱う。その点で社会科学は文学と似ている。しかし社会科学はあくまでも「科学の約束」に従う。この点で社会科学と文学は異なっている。社会科学は日本的「文系」と「理系」の「あいだ」に、位置づけられている。よりよい「フィクション」を、「理論」をつくるための、社会科学。
今回読み返してみて気になったのが、直前の引用の中で丸山が社会科学の「自己の内面をくぐらない」という特徴を「よいかどうかは別」として、その価値判断を保留していた箇所。そのふつふつと伝わってくる「煮え切らなさ」がいったい何なのかが、気になった。
丸山は「実感信仰」と「理論信仰」のどちらかしか選択肢がない日本思想の土壌を「貧相」といった。そして「理論」と「現実」の、あるべき緊張関係を探ろうとした。その一例を示すために、社会契約論が持ち出されることになった。
社会契約論という理論を「事実の描写」として見るのではなく、また「単なる個人の感想」として見るのでもない。これを「絶対的に正しい理論」として振りかざすことを、奨励するわけでもむろんない。
社会契約論は確かにフィクションである。しかしそれは、現実を実際に動かす力をもった、フィクションである。そう言う時の丸山は確かに、「理論」のあるべき位置を指し示すことに、成功しているように思える。実際初めてこの本を読んだ時私は、自分のぐずぐずした悩みがどこに向かうべきなのかをとりあえず、理解することができたから。
当時の私が信じていたのは「私の実感」という「文学的感性」か、「2+2=4」という「科学的事実」のいずれかだった。だからこそ、その両者ともに当てはまらない「社会科学」の理論を、うさんくさいものだと感じた。
けれども理論の特徴は「私の実感」と「科学的事実」のいずれでもない。そこでは「論理」と「抽象」に基づいた「フィクション」の領域が、扱われている。「社会契約論」は「文学」と「科学」両方の観点から否定されるのだろうが、「社会科学」の観点からは、肯定されるのである。
そしておそらく、その性格は理論だけでなく広義の「理想」や「理念」にも同様に、あてはまるのだろう。例えば「自由」や「平等」という理念。そのリアリティが保証されるのは「私の実感」と「科学的事実」の、いずれにもよらない。
「憲法9条」が掲げる「平和」の理念。「そんなものどこにあるの?」と問われても、「どこにもありません」と答えるしかない。というより「どこにもない」からこそ、理想や理念は私たちの世界の「あるべき姿」を指し示すことが、できるのではなかったか?理想や理念に対して「現実」を以て「論破」しようとするのは単なるカテゴリーミステイク、いわば「現実」の越権行為である。
とはいえ「現実味」に乏しい「理想」や「理念」をそれ自体として信じ、追い求める態度はやはり、難しいものでもあるだろう。丸山はそのことを、十分に承知していた。それゆえ丸山はその困難を打開するべく日本人に「偽善」を、すすめるのである。
「現代の日本社会に勧奨したいものはいろいろあるが、さしあたりここでは一つの『すすめ』を提唱したい。それは偽善のすすめである。なぜ偽善をすすめるか。まず自明なことをいえば、偽善は善の規範意識の存在を前提とするから、そもそも善の意識のない状態にまさること万々だからである。動物には偽善はないし、神にも偽善はない。偽善こそ人間らしさ、もしくは人間臭さの表徴ではないか。偽善にはどこか無理で不自然なところである。しかしその無理がなければ、人間は坂道を下るように動物的『自然』に滑り落ちていただろう。
…『偽』善の皮をひんむいてゆくと、その奥にはいつもきまって、善ではなくて、官能――それがどのように洗練されたものであれ――が『本性』として現れる仕掛になっている。自然主義がストリップ趣味となり、『人間的』なつき合いが『無礼講』に象徴されてきたことに、何の不思議があろうか。ここでは露悪的にふるまうことがもっとも安易に周囲の信頼をうる途であり、社会的効果から見れば、偽悪こそが倫理的規範意識の根強いカルチャアにおける偽善に相当する役割を果たしているのである。」(『丸山眞男集第九巻』p325~327)
「神」と「動物」の「あいだ」に存在する人間の固有性。「理論信仰」と「実感信仰」の「あいだ」にある正しい理論の在り方。その微妙な位置を丸山は「偽善」という言葉で、表現してみせる。公式的な「善」の押し付けでも、手つかずの「自然」への回帰でもない場所に、「偽善」という積極的な言葉を与えてやるのは流石、丸山真男である。だいたいこういうのって「言葉にできない何か」みたいにぼんやりと、描かれることが多いから。
が、俺は丸山真男という人の大ファンである。とりわけ丸山の素敵な言葉遣いの、大ファンである。ゆえにこの「偽善」というワードチョイスに初めて触れた時、私はなんとも「凡庸」で「空虚」な響きを、感じ取ってしまった。丸山らしくない!と思ってしまった。やっかいなファンらしく、。
今日の政治状況において「偽善」的な既得権益層vs「本音」的ポピュリズムという対立は頻繁にみられる。現実の理不尽に目をつむったままで「キレイごと」ばかりを語る左派と、それと自分たちの「実感」がまったく結びついてくれない右派との対立。
繰り返しになるが、丸山が「偽善」という言葉に託したのは「理論信仰」と「実感信仰」のあいだに位置する「正しい理論の在り方」であった。
けれども、今日では少なくとも右派の人たちから見た時に、「偽善」を支持する立場は「理論信仰」を支持する立場と、同一視されてしまっているのではないか。「実感信仰」と「理論信仰」のあいだを語ろうとしたとたん、それがずるずると両極のどちらかにすべりおちてしまうという日本の悪しき伝統に、丸山の「偽善」論も、呑みこまれてしまったのではないか。
丸山の「正しい理論の在り方」を探る姿勢自体に私は100%同意する。けれども、それを「偽善」と呼んでしまったことはよくなかったのではないかと思う。「偽善」という言葉からはあまりにも血の通っていないような印象を、受けてしまうからだ。
もちろん丸山がそういう「血が通っている」「実感」「個人の内面」のような「人間味」から、理論の領域を切り離そうとしたのは分かっている。しかしその結果が「偽善」では、正直いって私の「実感」が、どうにも納得してくれない。やはり私は「社会科学」には、向いていない人間なのだろう。
では「理論」の在り方をどう呼べばよいのか?私の考えでは、それは「偽善」ではなく「いき」である。日本を代表する哲学者である九鬼周造の『いきの構造』という本を、読んでいく。
丸山の『日本の思想』の基調は「日本の思想はだめ」というものなのだが、むろんすべてがだめだと言っているわけではなく、いくつか「これはよい」と言っているものがある。そのうちのひとつが、先ほどの『いきの構造』である。
冒頭「各々の時代の文化や生活様式にとけこんだいろいろな観念—―無常感とか義理とか出世とか―—をまるごとの社会的複合形態ではなくて一個の思想として抽出してその内部構造を立体的に解明すること自体なかなか難しい」と述べた後で、しかし「九鬼周造の『いきの構造』(1930年)などはその最も成功した例であろう」(p4)と、自虐思想家としては珍しい率直な賛辞を、九鬼に対して送っている。
実際に読まずともタイトルを見るだけでその内容をある程度、察することができるのではないかと思う。「いき」という極めて主観的、実感的、文学的なとらえどころのない概念を「構造」的に、把握してみせようというのだから。それはやはり「実感信仰」と「理論信仰」の「あいだ」を模索する、試みの1つであると言えそうだ。
タイトルだけでなく目次も面白い。序説と結論に挟まれた4つの章は①「いき」の内包的構造、②「いき」の外延的構造、③「いき」の自然的表現、④「いき」の芸術的表現というものである。いかにも「思想」書的な雰囲気が、漂っているではないか。
「いき」とは何か。九鬼によれば、その特徴は「媚態」「意気地」「諦め」の3つに集約される。
「媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして『いき』のうちに見られる『なまめかしさ』『つやっぽさ』『色気』などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる『上品』はこの二元性の欠乏を示している。そうしてこの二元的可能性は媚態の原本的存在規定であって、異性が完全なる合同を遂げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。」(p39)
「付き合う直前がいちばん楽しい」といった言い方をよく聞くが、おそらく九鬼のいう「いき」とはそのような状態を指している。そこでの自分は相手と「付き合いたい」と願っているのだが、いったんその願いが叶えられたとたん「いちばん楽しい状態」つまり「媚態」は、どこかへ消え去ってしまう。それは「自分一人でいる状態」や「相手と付き合っている状態」では、決して得られないものである。両者に共通するのは「一元性」だが、「媚態」は自分と相手からなる「二元的可能性」を、その「原本的存在規定」としているからだ。
先ほど「いき」の特徴には「媚態」「意気地」「諦め」の3つがあるといったがその中でもこの「媚態」が「いき」を理解する上で、最も大切なものだ。後の「意気地」と「諦め」は、「媚態」の二元性の緊張関係を保ち続ける二つの要素として、説明される。
「『いき』の第二の微表は『意気』すなわち『意気地』である。意識現象としての存在様態である『いき』のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児の気概が契機として含まれている。…『いき』は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。…『いき』のうちには溌剌として武士道の理想が生きている。…『五丁町の辱なり、吉原の名折れなり』という動機の下に、吉原の遊女は『野暮な大尽などは幾度もはねつけ』たのである。『とんと落ちなば名は立たん、どこの女朗衆の下紐を結ぶの神の下心』によって女朗は心中立をしたのである。理想主義の生んだ『意気地』によって媚態が霊化されていることが『いき』の特色である。」(p41~43)
「簡単に手に入ると思うなよ」という雰囲気を醸し出す相手に、九鬼は「いき」を見出だしている。究極的には自らの命を投げ出さんとするかのような覚悟をもって、相手の言いなりには絶対になるまいとする迫力が、「江戸文化の道徳的理想」や「武士道」の伝統に重ねられながら、「意気地」という言葉で、表現されている。
「『いき』の第三の徴表は『諦め』である。運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心である。『いき』は垢抜けがしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。この解脱は何によって生じたのであろうか。異性間の通路として設けられている特殊な社会の存在は、恋の実現に関して幻滅の悩みを経験させる機会を与えやすい。『たまたま逢ふに切れよとは、仏姿にありながら、お前は鬼か清心様』という欺きは十六夜ひとりの欺きではないであろう。…要するに『いき』は『浮かみもやらぬ、流れのうき身』という『苦界』にその起源をもっている。」(p44~45)
「理想の相手なんかどこにもいやしねえ」という、かつてはその理想に命を燃やしていた人特有の冷めた認識が、「いき」には必要なのだと九鬼はいう。「苦界」とは仏教の用語だが、先ほどの「意気地」が武士道から導きだされた概念だったことを考えると、この対照は興味深い。「いき」を単なる「恋愛」の話で終わらせるのではなく、それをあくまでも「思想」として日本の文化の中に位置づけようとする九鬼の問題意識がひしひしと、伝わってくる。
「要するに、『いき』という存在様態において、『媚態』は、武士道の理想主義に基づく『意気地』と、仏教の非現実性を背景とする『諦め』とによって、存在完成にまで限定されているのである。それ故に、『いき』は媚態の『粋』である。『いき』は安価なる現実の提立を無視し、実生活に大胆なる括弧を施し、超然として中和の空気を吸いながら、無目的なまた無関心な自律的遊戯をしている。一言にして云えば、媚態のための媚態である。恋の真剣と妄執とは、その現実性と非可能性によって『いき』の存在に悖る。『いき』は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。」(p48~49)
話を戻そう。改めて、「理念」を信じるというのは不思議な行為だ。「民主主義の危機」ということがよく言われるが、「民主主義の完成形」がいったいどういうものなのかについては専門家ですら、意見が分かれているように思う。にもかかわらず、私たちは「民主主義」という理念に照らし合わせて、現行政治の腐敗を批判することができる。
理念は簡単に現実化してくれない。というより、理念は簡単に現実化すると言いきる人に対して私たちは、ある種の警戒心をもってしまう。「これこそが民主主義なのだ!」というフレーズは、歴史的にはむしろファシストやポピュリストによって、語られてきたものだからだ。理念はいつまでも理念のままで、留まり続けている必要がある。
繰り返しになるが、それは不思議なことではないか?私たちは理念が現実のものになるよう努力を払うが、しかしそれと同時に、理念が現実になることをどこか、拒否してもいるのだから。
一方で「このダメな現実をあの理念に近づけたい」と思いつつ、他方では「現実がそんな簡単に理念に追い付くはずがない」とも思っている。そのようなアンビバレンスな姿勢こそが、理念を理念たらしめているのだとも言える。
だから理念には確かに、どこか「偽善」的な側面がある。その偽善を「暴露」しようとする右派の態度にも、首肯するべきところがないとはいえない。
しかしその結果、じゃあ「実感」でいきましょう、「本音」でいきましょう、「自然」でいきましょうでは、「万人の万人に対する闘争」に逆戻りしてしまい、「社会」が維持できなくなってしまう。日本もヒドイが、アメリカの政治状況を見ていると、ほんとうにヒドイものだと感じる。
理念は最初から、不可能な場所を目指しているのかもしれない。しかしかといって理念を否定し、現実だけに開きなおったところで、いずれたちゆかなくなるのは目に見えている。そういう袋小路の中で丸山がすすめたのが、「偽善」の態度なのだった。
問題は「偽善」の態度がどういうものなのか、よくわからない人もいるということである。かつての私は間違いなくそうだったし、いまの私も分かってるようで、じつはよく分かってないような気もしている。
それは「いき」の感覚がよくわからない人がいるのと似ている。「偽善の態度においては、簡単に現実化しない理念を信じ続けることが大事」と言うことと、「いきの態度においては、簡単に結ばれない相手との緊張関係に耐え続けることが大事」と言うことは、どちらも意味不明といえば意味不明だが、少しだけわかるといえばわかる。
丸山のように個人の実感を通らずとも最初から「理論」や「偽善」のあり方を十分に理解できるものは、それでよい。けれどもそれらが分からない人に対しては、ある種の「実感」に訴えかけてやることも、必要になってくるのではないか。丸山はうすうすそのことに気づいていたからこそ、「個人の実感を通らない」「理論」のあり方を「よいか悪いかは別」として、その価値判断を保留していたのではないか。
一方で「個人の実感」を通らない「偽善」のあり方を評価しておきながら、他方では「個人の実感」を通る九鬼の「いきの構造」をも評価していたところに私は、丸山の無意識における分裂を見る。ちなみに私にとって、丸山眞男という人は「社会科学」の人ではなく「文学」の人であり続けてきた。初めて読んだ日から、今日にいたるまで。
最近たまたま、宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』という小説を読み返した。初読して面白かった本はそれが文庫化されると購入してもう一度読む。それは本好きにとっての業みたいなものだと、勝手に思っている。
私は「推し」という言葉をほとんど使ったことがなくその意味するところもよく分かっていないのだが、何か一つ「これこそが推しの意味だ!」と決定することはほとんど無理なのだろうな、ぐらいのことは理解している。主人公のあかりも、「推し」の多義性を十分に認める。その上で、自らの「推し」観がどういうものであるかを、次のように明かす。
「アイドルとのかかわり方は十人十色で、推しのすべての行動を信奉する人もいれば、善し悪しがわからないとファンとは言えないと批評する人もいる。推しを恋愛的に好きで作品には興味がない人、そういった感情はないが推しにリプライを送るなど積極的に触れ合う人、逆に作品だけが好きでスキャンダルに一切興味を示さない人、お金を使うことだけに集中する人、ファン同士の交流が好きな人。
あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。」(p24)
私はこの「作品も人もまるごと解釈し続けること」という推しの定義がかなり気に入っている。「解釈」という表現がよいと思った。それなら私にも「推し」と呼べるような人が、何人もいるような気がしてくる。
あかりの「推し」はアイドルの上野真幸。そしてその「推し」の魅力を自らのブログに書いているのだが、その書かれ方がまたおもしろい。
「彼には人を引きつけておきながら、同時に拒絶するところがある。『誰にもわからない』と突っぱねた、推しが感じている世界、見ている世界をわたしも見たい。何年かかるかわかんないし、もしかしたら一生、わからないかもしれないけど。そう思わせるだけの力が彼にはあるのだと思います。」(p28)
これは私の予想だが、あかりは「推し」の「見ている世界」をほんとうの意味で分かりたいとは思っていない。推しの「事実」に、「近く」にたどり着きたいとは思っていない。あかりが必要としているのはあくまでも「解釈」なのであり、言い換えるとそれは、推しとの「距離」のことだ。
「携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。」(p75~76)
私はここに「推し」のよい部分とわるい部分の、両方が書かれていると思った。一般的な人間関係において誰かと親しくなることはその人への「幻滅」や「失望」の体験を、多かれ少なかれ含んでいる。距離を縮めることが無条件によいことであるとは限らない。
しかしそのようなネガティブな体験を超えて、それでもその人との関係が続いていく時、つまり身勝手な「幻滅」や「失望」を経てもなお、その人と仲良くしたいと思える時に初めて私は「他者」を、受け入れることができる。「その人」のことを少しだけ、理解することができる。
とはいっても、人間関係に何を求めるかは人それぞれである。必ずしもみんながみんな、他人を「理解」したいと思っているわけではない。「その人」がどういう人かなんかはどうでもよく、ただ単に私に「安らぎ」を与えてくれればそれでよい。そのような価値観は十分にありうる。
けれども、相手が自分と同じ価値観を持ってくれているかどうかは分からないし、たとえ最初は同じであったとしても相手との「距離」が縮まるにつれて、お互いの価値観が変容する可能性は十分にある。最初は「安らぎ」さえあればよかったのに、途中から相手に自分のことを徹底的に「理解」してほしいと、思うようになるかもしれない。
「推し」との関係性では、そういう心配は無用。それはあくまでも、私から推しへの一方的な「解釈」を目的としているのだし、最初から相手と親密な関係になりたいなんて思っていないから。全力で相手を愛でながら、しかし、相手との距離が縮まることはない。だからあかりは安心して、推しに「あたしというすべてを賭けてのめり込む」ことができる。
さて問題は、推しは同時に、ふつうの人間でもあるということだ。生身の人間でもあるということだ。推しに「裏切られる」可能性は、常に存在している。そのことを頭では分かっていたとしても、実際に耐えられるかどうかは、また別の話。
「あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。あたしの部屋にある大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量のものよりも、たった一枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。引退した推しの現在をこれからも近くで見続ける人がいるという現実があった。
もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない。推しは人になった。」(p144)
あかりはここで「炎上」と「燃ゆ」の違いを知る。推しはアイドルとして炎上した。それでもあかりは、推しをやめることはなかった。「もう追えない」と思ったのは、推しが物理的に、肉体的に、「燃ゆる」存在であることを、知ってしまったから。その瞬間あかりの中で、何かが壊れた。
近代社会の建前の一つに「世俗主義」というものがある。私たちの社会では「宗教的な考え」から「合理的な考え」へと、社会の基本原理が移行した。多くの人がそう考えている。「神」の存在を全否定するわけではないが、それを全肯定するわけにもいかない。そういう時代に、私たちは生きている。
けれども私たちは何らかの「神聖化」を避けられない。親、先生、友人、恋愛相手、尊敬する人、そして「推し」。いつまでもそのままでいて欲しい!と思う対象を、私たちは欲してしまう。そしてそれは「理念」や「権利」あるいは「民主主義」についても、同じことが言えるのだろう。
丸山は先ほどの『日本の思想』という本の最後に「『である』ことと『する』こと」という「なにか英文法の試験のような」(この表現好き)タイトルの文章を書いている。最初のテーマが「権利の上にねむる者」というたいへん虚を突かれるもので、おもしろい。
「学生時代に末弘(厳太郎)先生から民法の講義をきいたとき「時効」という制度について次のように説明されたのを覚えています。金を借りて催促されないのをいいことにして、ネコババをきめこむ不心得者がトクをして、気の弱い善人の貸し手が結局損をするという結果になるのはずいぶん不人情な話のように思われるけれども、この規定の根拠には、権利の上に長くねむっている者は民法の保護に値しないという趣旨も含まれている、というお話だったのです。この説明に私はなるほどと思うと同時に「権利の上に眠る者」という言葉が妙に強く印象に残りました。いま考えてみると、請求する行為によって時効を中断しない限り、たんに自分は債権者であるという位置に安住していると、ついには債権を喪失するというロジックのなかには、一民法の法理にとどまらないきわめて重大な意味がひそんでいるように思われます。」(p154)
丸山はこの「時効」における「権利の上に眠る者」というロジックは、「自由」や「民主主義」にも同様にあてはまると言う。「自由」や「民主主義」は常にそこに「ある」のではない。それらを成立させるための「不断の努力」なしに、「自由」や「民主主義」はありえない。「ある」ものから「する」ことへ、理念への態度を変えなければ、私たちは理念によって裏切られ最後には、痛い目を見てしまうだろう。というより、それは私たちが「権利の上に眠った」結果の、「自業自得」であるとさえ、言えるのかもしれない。
古来より今に至るまで「自由」や「民主主義」は、何もずっとそのままの形で、続いてきたわけではない。時代や地域によって異なる意味が、「理念」が、それらの言葉には託され、現実の理不尽を打開するのに役立ってきた。それは、「自由」や「民主主義」にもともと「ある」神秘的な性質のおかげではなく、それらの言葉の可能性を駆動させてきた人たちによる、「する」努力のおかげである。その努力がうむ理念との緊張関係に、私たちは耐えなければならない。神秘化した理念の上で、ぐうぐう眠っていてはならないのだ。
浅田彰さんが「アイデンティティ・ポリティクスを超えて」というインタヴューの中で先ほどの丸山の文章に触れながら、昨今の「アイデンティティ・ポリティクス」の方向性に違和感を呈している。
「丸山真男が『である』ことと『する』こと」で言ったように、近代の政治では『何者であるか』ではなく「何をするか」が問題だったはずなのに、『○○である私のアイデンティティを承認せよ』という承認問題が前面に出てきてしまったんですね」。
浅田さんの眼にはいま、マイノリティとマジョリティを問わず、みなが「である」の論理で動いているように見えている。生まれてから死ぬまで変わることのない「である」の論理に基づくアイデンティティ・ポリティクスの闘争において、互いが互いに譲歩することは起こらない。「私たちは黒人である」と「私たちは白人である」、あるいは「私たちは異性愛者である」と「私たちはLGBTQである」がぶつかったとしても、それ以上何か理解が深まるわけでもない。むしろ、両者による罵倒の応酬はすさまじい。
ではどうすればよいのか。既存の「アイデンティティ・ポリティクス」がダメなのは、それが「である」の論理に基づいているからであった。では「する」論理に基づいた「アイデンティティ・ポリティクス」ならば、よいのではないか?しかしそれは具体的に、どのような実践でありうるというのか。浅田さんによれば、それが「クイア」である。
「クイアのいいところは、ヘテロセクシュアルでもクイアになれるというところです。また、変態という訳語のいいところは、それがクイアと同時にメタモルフォーゼをも意味することです。もちろん、それで社会全体を巻き込むアイデンティティ・ポリティクスの問題が解説するわけではない。ただ、いまユートピアを考えるとすれば、現在のマイノリティを含めたすべての人がアイデンティティを認められる社会ではなく、すべての人が変態になり、さらなる変態を遂げていくことのできるフーリエ的ユートピアでしょう。」
私としてはこの「クイア」の在り方を、「自由なる浮気心」を特徴とする「いき」という言葉で、ぜひとも呼び変えてみたい欲望に駆られてしまうのだが、それは私が「日本の思想」に、とらわれすぎてしまっているせいだろうか。
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