うめさん_覚醒2up

TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 10

10

 息切れや足の疲労、発熱が無いことに感謝しつつ、反対に、勇助はこのふざけた世界を呪った。

 逃走し続けて、もう二時間になる。

 背後からは未だ『フロントマン鈴木』なる顔だけの化け物が、じわじわと迫ってくる。

「お客さぁん、いい加減にしてくださいよぉ」

 時折発せられるその低い声も、何度聞いたことだろう。

 『ハのまち』特有のセクシーパブのヌード看板の女性の顔部分から、ちょうど重なるようにその顔面が出現した時には、妙なユーモアを感じて笑ってしまった。

 ……この追いかけっこに心が蝕まれ始めているようだ。

 生死がかかっているというのに、勇助は現在のところ、それを表面上は容易に回避できている。

 ついには単調な逃走劇に退屈さえ感じている気がして、自分で自分が怖くなる。

 ここで立ち止まってしまっても大丈夫なのではないか……?

 そんな危険な思考さえ生じてくるので、慌てて否定する。

『ホテルテイコク』で会った男性プレーヤーの顔を思い出し、モチベーションを高める。

 めちゃくちゃムカついてくる。殴りたい。

 とはいえレーダーに他のプレーヤーを示す白い点を見つけて、懲りずに助けを求めてみたが、未だ救いの手は差しのべられない。

 なんなら、交渉してきたプレーヤーは例の男だけ。

 他の者は建物に隠れ、その姿を現そうとすらしなかった。

 何がどうして、こんな世界なんかに……。

 勇助はこの理不尽に対する怒りを原動力に逃げ続けている。

 だが、それも長くは保てない気がする。

 この昭和的な歓楽街は想像以上に広い。同じ道をぐるぐる回っていたこともあったものの、未だに通ったことがない道も存在する。

 永遠にこんなことを続けるわけにはいかないと思った。

 だから勇助は、そんな未開の細い路地へと逃げ込んでみることにした。

 しばらく走って、道なりに進んだ。

 カラスが多くなってきた。

 木造の平屋が隙間なく並んでいる路地は、裸の電球が所々に吊るされているだけで、かなり暗かった。

 屋根の上で、あ゛ぁーとカラスの耳障りな鳴き声が重なる。

 今さらながら、悪い予感しかしない。

 早く大きな道に出てくれないかと思いつつ、その細い一本道を進む。

 勇助の願いとは裏腹に、分岐すらしていない。

 ひたすら、道なりに歩く。

 残念ながら、勇助は『ハまち』のマップを持っていない。案の定、金額がべらぼうに高いのだ。

 不安は募るばかりだが、引き返すこともできない。

 進めば進むほど、カラスが増えてきた。

 そして、あろうことか道は行き止まりになっていた。

「う…………」

 正面に、明らかに不穏な様子の古い屋敷が建っていて、行く手を塞いでいる。

 深紅の屋根瓦は所々が朽ちていて、黒ずんだ白壁には真っ赤な手形がべたべたと付着している。

 中央には錆びた青銅の扉がある。

絶対に入りたくない。だが、引き返すことはできない。

 ところが扉の前には……

死体が二体、転がっていた……。

 もはや赤い塊になっているそれらには、カラスが何十羽も群がっていた。

 ゲームとは思えない光景だった。

 勇助は恐怖でおかしくなりそうだった。体が震えたり、腰を抜かしたりしない自分が、自分じゃないみたいだった。

 まさかこの死体は……俺と同じプレーヤーなのか?

 あのチュートリアルの日、キクコが言っていた。プレーヤーの死体はゲームの臨場感を高めるために、死亡時刻から二十四時間はそこに留まると。

 ただの恐怖演出の一つであってほしいと願いつつ、それは違うだろうと直感的に否定する自分がいる。

 この世界で楽観視しろという方が無理だ。

 勇助が近づくと、カラスは一斉に羽ばたき、周囲の屋根にとまった。うるさく鳴き続けている。

 死体は血まみれだが、顔はいくらか判別できる。二人とも男のようだ。髪が短く、ぼろぼろではあるが、男物の学生服を着ている。

 腐敗した臭いが、ぷんと鼻を突く。

 勇助は鼻を手で覆った。効き目は全然なかった。

 この身体には、嗅覚があるのだ。普通ならこの光景と臭いで、たちまち嘔吐するだろう。

 だが吐き気はまったく催さない。このゲームらしい、無茶苦茶な設定だ。

「それより、マジでどうする……!」

 勇助は呟きながらも、屋敷に入らなければならないことを覚悟していた。

 屋敷の中は通り抜けできるのだろうか。

 もし、できなければ?

 勇助は左右を挟んでいる似た造りの平屋を見上げた。

 この壁をよじ登り、屋根を乗り越えることはできないか?

 妙案だとは思うが、勇助はクライミングなどしたことがない。ささっとよじ登ることができればいいが、おそらく時間がかかる。

 むしろ正面の屋敷は城のようでもあり、三階建てになっていて、三階の部分にベランダのようなものがある──廻り縁《まわりえん》というやつだ。そこから屋根を伝って降りられる場所を探した方が現実的だろう。

 その時、鼓動が危険レベル三になった。

 どくどくと速く脈打つ心臓。すでに『フロントマン鈴木』は、背後五百メートル圏内に迫っているらしい。

 迷っている暇は無い。

 勇助が屋敷の青銅扉へ向かうため、死体を跨ごうとした。

 次の瞬間、なんと視界のレーダー上部──北側に赤い点が複数出現し、勇助を示す中心のカーソルに向かってきたのだ。

 北側は勇助の正面、つまり、屋敷の方向だ。

 どきりとして距離を取ったが、敵は現れず、死体が動くわけでもなかった。

 その赤い点の群れは、ある部分を境に群がって、ゆら、ゆら、と動いていたが、一向にこちらへ近づけていないように見えた。

 勇助はピンときた。その境というのは、屋敷の扉なのだろう。このレーダーには建物は表示されないのだ。

 ということは……。

 敵の群れは、屋敷の扉の向こうで、勇助を今か今かと待ち構えているというのか……!

 ぞっとすると同時に、背後から声が聞こえた。

 敵が迫って来ていた。

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