TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 05
05
思い出したかのように、とくとくと心臓が脈を打ち始め、勇助はとっさに胸を押さえた。
「それは、とても大事なことだよ」
少女は不気味な声で続け、右腕を軽く上げた。
赤紫色の着物の袖がまくれると、白い腕がろくろ首のように伸び、勇助に向かってきた。
「うわぁ!」
勇助は反応できず、声を上げることしかできなかった。
「プレーヤーの鼓動の大きさと早さは、敵との距離を教えてくれるよ」
伸びた腕は、勇助の胸の前で止まっていた。真っ白な指先が、勇助の心臓の辺りを指している。
「特に暗い場所では、それだけが頼りになることもあるから、よく覚えておいてね」
少女は言った。
鼓動は先ほどから変わらず、とくとくと控えめに音を立てている。
平時なら、はち切れるほど脈打つような場面だったのに。
「お前、何なんだよ? ここはどこだ?」
思っていることが、どもらずすぐに声となった。
彼女の腕は、瞬時にするすると元の位置に戻っていった。
「何が、どうなってるのか、説明しろよ!」
恐怖を感じつつも叫んだ。
勇助は直感的に気づいている。
だが、その馬鹿ばかしい結論を認めたくなくて、抵抗せざるを得なくて、声を上げた。
その途端、少女の両目から赤い涙がどっと流れ出て、勇助は思わず閉口した。
日本人形の怪談をそのまま具現化したような存在が、目の前にいる。
「途中で口を挟まないで欲しいな。まだお兄ちゃんに死んでほしくない」
勇助の鼓動が、先ほどより大きくなった。
「…………」
嫌な予感がして、勇助はゆっくりと、静かに、少女から目を離さずに、立ち上がる。
「みんな、『説明しろ』ってうるさいんだよね。そんなの後回しで、この世界を楽しめばいいのにね」
少女は涙を垂れ流し続ける。
地面にぼたぼたと、血痕のような染みができていく。
「おかげでもう、三人も死んじゃったよ」
勇助はぴたりと動きを止めた。自分の鼓動がうるさい。
……三人、死んだ?
勇助は次々と疑問が湧くものの、黙っていた。
いつでも逃げ出せるように心の準備をする。
「改めまして、ボクはキクコ。この世紀の大傑作『TSUCHIGUMO』の、チュートリアル担当だよ」
……やはり、そうか。
勇助は愕然とした。
愕然として、それからどうすればいいと言うのだろう。
夢なら覚めればいいと思い、ベタだが、両側から頬をつねってみる。
痛みはある。
少し鈍くて違和感があるものの、予想した程度には痛い。頬に触れた感触もちゃんとある。
「……今、おかしいと思ったでしょ?」
キクコがいきなり尋ね、勇助はぎくりとした。
平穏な雰囲気ではない。
「ボクが自分のことを『ボク』と呼ぶことに、おかしいと思ったでしょ?」
無表情のままだが、黒髪がまるで生き物かのように逆立ち始める。
勇助の鼓動がさらに大きくなった。どくんどくんと頭に響く。マラソンを走っている時のような感じだ。
「女の子なのに『ボク』なんて、おかしいだろって──」
やばいと思った。
「思ってない! 全然、思ってないから!」
勇助はとっさに口走った。
口走ってから、ハッとした。
キクコは先ほど、『途中で口をはさむな』と言っていた。
この場合はどうなるのか。万が一、逆鱗に触れてしまったら、自分はどうなってしまうんだ?
勇助はいつでも走って逃げられるように身構える。
「思ってない? 本当に?」
キクコの髪が、わずかに下へ降りる。
どうやら正解だったらしい。
「思ってない、本当だ!」
勇助は念を押した。
確かにおかしいとは思っていたが、そんなどうでもいいことに対してではない。
自分がこんな所で、こんな奴を相手に会話している状況のほうが、どうかしている。
「ふうん、ならいいんだけど……」
キクコの髪が完全に元に戻る。
それと見事に連動し、勇助の鼓動も収まってくる。マラソン状態から、先ほどのとくとくという小さな脈打ちに戻った。
こいつの敵意に合わせて、鼓動も変化するということなのだろうか。
勇助がほっとしたのも束の間。
再びキクコの髪が大きく逆立った。
何故!?
鼓動が大きく、速くなる。
まるでマラソンのラストスパート。はち切れそうだ。
「嘘じゃないよね、お兄ちゃん?」
勇助はすかさず応じた。
「嘘じゃない! 本当だ!」
勇助は胸を押さえつつ、後ろに一歩下がった。
キクコの言動は、予想がつかない。
「だよね。勇助お兄ちゃんは嘘をつかない人だと思ってたよ」
本当かよ……。
勇助の人間性なんて少しも理解していないであろう少女の髪は、するするとまた元に戻り、赤い涙も止まったようだ。顔に赤色の筋だけが残っていた。
同じく勇助の鼓動も、本人の恐怖心とは裏腹に小さくなった。
この、とくとくという脈打ちが『危険レベル1』で、今のラストスパートの状態が『レベルMAX』ということなのだろうか。
「話を元に戻すけど、ボクはみんなに生きてほしいから、武器をね、配ってるんだよ」
どうやらチュートリアルが再開されたらしい。
キクコは袖の下から大きめの武器を取り出し、勇助の足元に次々と投げて寄越した。
まるで四次元ポケットだった。
「その三つの中から、どれか好きなものを一つ選んで」
勇助の足元で、それらの武器がゆっくり時計回りに自転している。
本当にゲームの世界という感じだ。
武器は、二連式のショットガン、歪な形のダガー型ナイフ、大木用サイズのチェーンソー。
キクコはそれぞれの武器の特性について、勝手に説明してくれた。
「勇助お兄ちゃんはわりと貧弱な方だから、威力や速さを重視して選んだよ。ラッキーだね、ボクが優しくて」
勇助は返答すべきかいちいち悩みつつも、黙って三つの武器を眺めた。
ナイフ以外の使用方法はよくわからないが、キクコ曰く、どれもちゃんと使えるようになるらしい。
「今のところ、貧弱者が結構多く来てるから、ゲームが面白くなりそうだね」
勇助が選んでいる間、キクコは一人で喋り続けていた。
『TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~』をネットで調べたばかりの勇助には、大方の予想がついている。
自分がこれから、この武器を使ってどんな敵と戦うことになるのか。
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