うめさん_覚醒2up

TSUCHIGUMO~夜明けのないまち~ 06

06

 勇助は目を覚ました。

 ──今までの体験は何だったのだろう。

 いやはや、とてもリアルな夢だった。

 …………そんなふうに思えたら、どんなにいいか。

 今朝も、まずはすぐに鼓動の有無を確認する。

 生死の確認ではなく、敵がいないかどうかの確認作業だ。そもそも死んでいたら、目が覚めることすらない。

 幸い、鼓動は聞こえない。近くに脅威が無い証拠だ。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 心境はまるで、戦時中か原始時代だ。いつ外敵に襲われるかわからない状況が、あれから三日続いている。

 そして、これから何日続くのか、わからない。

 ちなみに『今朝』と前述したが、そもそもこの世界には朝も昼も存在しない。

 あるのは、視界の隅で虚しく進む現在日時のデジタル表記と、黄昏《たそがれ》と夜だけだ。

 勇助が今いる部屋には、空を覗くための窓も無い。

 恐怖と不安以外、何も無い。

 自分が好きなロックバンドの新譜を聴いたり、進路に悩んだり、片想いの相手に声をかけることを恐れたり……そんなひと時を味わえることが貴重なのだと、十七歳にして早くも気づき始める。 

 俺は元の世界に戻れるだろうか。

 勇助は、ベニヤ板に小汚い灰色の布を敷いただけのベッドから起き上がる。

 そろそろチェックアウトの時刻だ。外は危険なので出たくないが、ここで時間を超過すると、外より危ない目に遭うらしい。

 本当かどうかわからないが、試す度胸はない。

 この世界での選択ミスは、命に係わる。 

 狭くてボロい宿屋の一室。約一畳、板ベッドしかない。もちろん宿泊料は安い方だが。

 天井の隅には蜘蛛《くも》の巣が張られ、壁には赤黒い染みがいくつも付着している。

 こういう状況に慣れたから平気でいられるというよりは、『これはゲーム上の演出なのだ』と無理やり自己暗示をかけている感じだ。

 なるべく嫌なものは見ないようにしているし、鼓動が発動しない以上は安全だと言い聞かせるだけ。

 勇助は右手の壁に背中を預け、膝を抱えて座る。

 今、その背後の壁を誰かがとんとんと叩いているが、ここは角部屋なので、その壁の向こうに部屋は無い。

 おそらく、そういう演出なのだ。

 出発前の荷造りは特に必要ない。朝食や身づくろいも不要なので、それだけは楽で助かる。この身体はどういうわけか、五感や痛覚があるくせに、食事や排泄を必要としない。よく見ると体が微細なポリゴン質になっていて、汗をかいたり、震えたり、にきびが出たりすることもない。

 睡眠については厄介なシステムがある。

 七十二時間のうちに、最低でも二十四時間寝なければならないように設定されている。あの日、勇助がこの世界に来てから、既にそのカウントは始まっていた。

 それを、『睡魔カウント』と呼ぶらしい。

 勇助は今回が三度目の就寝だった。

 最初の二日間はほとんど睡眠時間を確保できなかった。ストレスで睡眠不足になったというより、長時間安全に寝られる場所を探せなかったのだ。おかげで今日は、連続十五時間も寝る羽目になった。

 蚤《のみ》の心臓を持つ勇助でも、この世界ではボタン一つで眠りに就くことができるし、その長さも決められる。

 おかげで二十四時間のノルマはクリアしたらしく、改めてゼロから睡魔カウントが始まる。

 三日間で睡眠をどのように取っていくのかは、かなり重要なことらしい。

 二十四時間を達成できない状況になれば、その時点でアウト。

 そうしたらどうなってしまうのか、キリコは教えてくれなかった。

 宿屋のチェックアウト時刻は午前十時。

 ぎりぎり五分前までは部屋にいよう。

 今も背後では壁を叩く音がするし、目の前の壁は血痕にしか見えない染みだらけ。

 それでも外にいるよりは、ここの方が安全なのだ。

 座ったまま、目だけを上に向ける。

 イメージすると、視界前面に半透明のメニュー画面が現れた。目の前の状況と、メニューをどちらも見れるようになっている。

 まるでスマホのホーム画面のような感じだ。

 勇助は目線を戻し、数あるアイコンから円形のレーダー型アイコンを選び、YES、と答える。

 すると視界の下部中央に、薄緑色で半透明のレーダーが現れた。

 実際に目の前に存在する物質は、染みだらけの壁と、勇助の脚だけ。あとはすべて、視界のみに映っている映像データだ。

 これら一連の作業は、便利なことに心の中で念じるようにするだけでできる。

 ところがメニューを動かしたりする際は、思わず眼球が左右に動いてしまったり、アイコンを選択する時も、つい手で直接タップしたりしてしまう。

 得られる結果は同じなのだが、これからのことを考えると、念じるだけで操作できるように癖をつける必要があるだろう。

 肉体の動きを限りなくゼロにしないと、敵と戦う際に不便だ。

 現在は練習中。

 レーダーの円上に点が一つも点灯しなかったので、勇助は嘆息した。

 円はプレーヤー本人を中心とした半径五百メートル圏を表している。

 そこに表示される点には、いくつかの種類がある。

 

 白の点は他のプレーヤー、赤は敵、青は回復所、黒は公衆電話、そして黄と黒の虎柄が、このゲームを脱出するための鍵である『八匹の蜘蛛』を表している。

 宿屋という閉じられた空間に居ることも影響しているのだろうか。

 肝心の虎柄の点はおろか、白の点も見当たらないとなると、ますます不安が募る。

「この世界からの脱出は遠いか……」

 『蜘蛛探索』という機能をレーダーに追加することもできるが、それなりに金を払わなければならない。

 

 重要な機能であることは重々承知しているが、その前に一人くらい、他のプレーヤーと会って情報交換をしたい。

 そして願わくば、仲間が欲しい。

 そうこうしているうちに時刻がチェックアウト五分前になったので 勇助はレーダー表示を解除せず立ち上がった。

 すると目の前の壁に、突然、タイヤ大の男の顔が浮かんだ。口を開き、不気味に口角を上げている。

 目は笑っていない。

「!!」

 勇助は驚き後ろに飛び退くも、背が壁にぶつかった。

 その拍子にどんと大きい音がした。

 勇助は慌ててメニュー画面を開き、武器を出そうとしたが、

「あれ?」

 自分の鼓動が少しも鳴っていないことに気づいた。

 ……どうやら、これすらもダミー演出だったらしい。

 ふざけやがって、と目の前の顔面に呟く──もちろん心の中で。

 たとえゲーム内の化け物が相手であっても、口は災いの元なのだ。

 それは既に経験済み。

 だが、ほっとしたのも束の間、背後の壁から何本もの腕が現れ、勇助の首や腕、足首を掴んできた。

 回避することはできなかった。

 幸い、若干の痛みはあるものの、ゲーム上のダメージとしては判定されないらしい。

 勇助の命を表す視界左上のHP《ヒットポイント》バーは緑色──つまり満タンの状態で、少しも減っていない。

 ただし、抜け出せない。

「壁、を、叩、くな、壁、を、叩、くな」

 背後から複数の低い声がする。

 自分たちは叩いてたくせに!

 鼓動が鳴っていないので、この腕の数々もただの演出なのだろう。直接的な脅威ではない。

 だが勇助はもがき、何とか抜け出そうと焦っていた。

 チェックアウトの時刻が、すぐそこに迫っていた。

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