正しい

わたしは正しい。だけど、そのわたしの正しさは時に誰かを傷つけていた。それはきっと無意識で。わたしの正しさで傷つけてしまったように、わたしも誰かの正しさに傷つけられているだろう。正しさと正しさの間には悪しか生まれない。じゃあ平和ってなんだろう。きっと正しさを押し付け合う事じゃない。正しさの答え合わせをすることでも無い。かと言って相手の正しさを受け入れることでもない。ただ受け流すこと。受け入れなくていい。自分の正しさを信じてあげればいい。他人の正しさを律儀に受け取る必要なんてない。もし押し付けられても、自分の中に落とし込むのではなく、流せばいい。わたしにはわたしの正しさがあるから大丈夫って。ひとりひとりに正しさはある。全員が一致することなんて出来ない。だけどみんなそれを受け流し、避けながら生きている。正義と正義は悪になる。誰かを傷つけることが、正しさなら、正義なら。そんなのは要らない。わたしは悪でいい。わたしは悪は2つあると考える。1つ目は、誰かを攻撃してしまう悪。これはみんなが経験してきたと思う。人を傷つけ、人に傷つけられ。だけどこれは自分の潜在的なもので、無意識的なもの。止めることも出来なければ、止められることも出来ない。2つ目の悪は、自分のみを攻撃してしまう悪。自分で自分を傷つけ、首を吊り、殺す。物理的には死ななくても、精神的には何回死んだだろう。わたしの望む悪は後者。わたしが精神的に死ぬことで、平和になる、なんてそんな小さな世界で生きてきた。いつまでもずっとそれでいい。そしてそれがいつか、物理的な死になればもっといい。

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