2023/06

2023/06/14
・サブスクとかで音楽聴いてるとこっそりリマスター音源とかに差し替えられてる?と思うことが多々あり、俺がいかに音楽をテキトーに聴いているかがよくわかる。

・パンデミックってのは原因の根絶や治療薬・ワクチンの発達によって終息するもんだと思ってたし、ノリで終わるとは思いもしなかったね。
いままで亡くなっていった人や遺族、仕事を失った人、大切な人に会えなかった人たちになんて説明するんだろ。

・どんなところにもフェイク野郎や荒唐無稽なことを言うやつはいるが、そいつらが則っている主義主張・言説が問いかけていることの重要性までは失われない。

・友達に「早くアルバム出してよ〜」みたいなことをいったら「まあ音楽は一生作ってるだろうから焦ってない」と言われて感動した。

2023/06/28
土日に北八ヶ岳・天狗岳に登った。とすると語弊があり、登頂はしていない。レンタカーの返却時間の都合もあり、一泊二日で近隣のしらびそ小屋と黒百合ヒュッテを軸に回った。

しらびそ小屋のすぐそばには大きな池を中心に湿地帯が広がっており、苔むした神秘的な空間を楽しめる。最近湿地帯ビオトープについての本を読んだばかりだったので、エコトーンの豊富さが目を引く。小屋には鳥やリスのための餌台があり、早朝から昼前にかけて動物たちが周辺を自由に行き来している。動物たちが食べこぼした大量のひまわりの種が環境に与える影響がなんとなく気になったけど、どうなのだろう。

時間があまりない関係上、今回は無理に山頂を踏むことはせず、周囲の散策をのんびり楽しめた。

しらびそ小屋から黒百合ヒュッテに向かう道中は、徐々に標高が高くなるにつれてきつい傾斜や崖、ガレ場などが顔を覗かせてくる。黒百合ヒュッテよりさらに上、天狗の奥庭を通って天狗岳の山頂を目指すルートは、おそらくもっと八ヶ岳らしい岩場や広大な眺望を楽しめるのだと思う。今回は黒百合ヒュッテからすぐそば、奥庭の手前にあたる小ピークまで登った。登り切ると眼前に天狗岳や湖、山々の稜線に囲まれた大パノラマを楽しめる。山頂まで行かなくても充分な満足度だ。

日本に輸入された普及した登山文化は、ピークハントを主とするアルピニズムだ。だけど本来山に登る目的もスタイルも多様で、例えば日本においては山は宗教的ななものと切り離せないし、ロングトレイルとか、ハイキング文脈の登山スタイルもある。またアルピニズムについては、西洋的な問題が多々あって、あくまで自然を征服の対象としてしまうことや、経済格差の問題、ジェンダーの問題がある。この辺についてはナン・シェパードの「いきている山」や、オープンリー・レズビアンとして初の世界七大陸最高峰登頂を成し遂げたシルヴィア・ヴァスケス=ラヴァドによる「夜明けまえ、山の影で エベレストに挑んだシスターフッドの物語」が参考になる。

やはり山に登るのは、もちろん山頂の景色の素晴らしさもあるけれど、道中感じられる様々な山の表情や息づかい、歩くことの楽しさが大きい。最初は頂上を目指す目標があった方が楽しみやすいし、ピークを繋いで歩く縦走も楽しいけど、都合よく自然を外部に置くことや、征服することからは離れていたい。

下山後は銭湯に寄った後、サービスエリアで昼ごはんを食べて、車を返した新橋で少し飲んでから解散した。下山してから気づいたが、山に登っている間にロシアでクーデターが起き、終わっていた。新宿では刃物を持った人間が暴れていたらしい。ほとんど意味のないくだらない話をしている間にいろんなことが起こっていて、面食らってしまった。

そのことをツイートしたら、またTwitterが制限されたと表示されて(以前もなぜか凍結されていた)、どうやらバグらしいのだが、嫌な気持ちになる。Twitterでしか繋がってない友達が多いので、ここ最近の動きにはどうしても気が滅入ってしまう。

2023/06/29
神・妖怪の伝説のように、私たちは何か良くないことが起きた時、不可解なことが起きた時に、さらに異常な死者や土地への不義などが思い当たる場合、祟りを想像してしまう。祟りは遡及的なものであり、良くないことがあってから、それが祟りになる。祟りになるには、記憶の中に想起される死者や不幸がなければいけない。つまり、我々の記憶が問題となる。いつまでも忘却されない死者、語り継がれることで変容していく死者。誰も想起することができない死者(無縁墓)、廃墟的なもの、マークフィッシャーの言う不気味なものとぞっとするもの。面白い。


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