ウタカタララバイ踊ってみた感想文

アイドルの曲を聴くときに、その歌詞の中に描かれているストーリーを歌っている子たちの状況に当てはめてしまうことがある。これは、その曲が表現するものの中に現実の比喩を勝手に見出してしまうおたくの悪癖だと思う。
けれど、そうやって人格や人生に心を動かされてしまうから、彼や彼女がわたしの「推し」になったのだろうな、とも思っている。

推しが表現するものはいつも、推しの存在そのものと強く結びついている。

はい、サイコ〜〜〜!!!!!
この最高すぎる作品も、やっぱりそうだった。

「ウタカタララバイ」という楽曲は周知の通り映画の劇中歌であり、大前提として映画のストーリーとキャラクターを描いたものだ。けれどこの曲だ踊る推したちの姿を見てしまったら、現実の彼らが進んできた道のりやこれからの未来のことを考えずにはいられなかった。
もちろん全部見る側の蛇足でしかないのだけど、文字にしておかないと抱えきれない気がするので書き残しておく。

この作品は、主人公・龍くんと"舞台の魔物"ESPICEの物語なのかな、と思った。
ひとりきりで踊っていた龍くんをあの手この手で誘い出し舞台に引っ張り上げる3人。連れてこられたステージの上は途方もない楽しさと恐ろしさに満ちた場所で、主人公は戸惑い翻弄されながら踊り続ける。そしていつしか彼は、惑わす存在だったはずの舞台の魔物たちを飼い慣らし、ステージの支配者になっていく。

「ひとりぼっちには飽き飽きなの」という印象的なフレーズと共に、どこか不敵にも見える無邪気な笑みを浮かべた龍くんが歩く先で佇む3人。ちょっかいをかけるように肩を叩いた龍くんを逆に驚かせるように取り囲むESPICEの人ならざる感は、どこかコメディチックな不気味さがある。
この冒頭の数秒で、この作品の3対1の構図は惑わせる3人と翻弄される1人なのだと感じた。
続くパートでは、楽しく踊ってみたり突然突き放されたり、ひたすら3人に翻弄される主人公の姿があった。
"舞台の魔物"ESPICE、もう少し詳しく言葉にすると、"舞台というものが持つ概念を可視化した存在"だと思っているのだけど、だとするならこのパートは、舞台に立ち始めた主人公がその楽しさや大変さに戸惑い翻弄されている場面なのかな。でもこの主人公、翻弄されていてもなんかちょっと楽しそうにも見える。
ここで一瞬の暗転ののち、照明がガラリと変わる。(この作品はライティングがとても印象的で、それがストーリーの転換点でもあるのかなと思った。)
暗転前の歌詞、「全てが楽しいこのステージ上一緒に歌おうよ」。言葉だけ見れば希望に満ちたこのフレーズをきっかけにした暗転後のパート、赤みの強いライトの中で踊る3人と1人は、それまでとは違った対等感がある。
ここでもう、3人は主人公を惑わす存在ではなくなっているのだと感じた。"舞台"は主人公にとって翻弄される場所ではなくなったということなのかな。
そして、もう一度暗転。暗転後は、それまでと明らかに違っていた。初めは翻弄されていたはずの主人公が3人を従えて踊っている。主人公はついに舞台の魔物を飼い慣らした。
それでもまだ襲いかかってくる何かを力強く振り払って、ラストのパート。点滅するライトの中で、完全に舞台の支配者になった主人公と彼の従者のような3人がひたすら踊る姿には、圧倒的なパワーとオーラがある。
画面が切れる一瞬前、主人公・龍くんが浮かべた不敵な笑みは冒頭のどこか無邪気なそれとは全く違った表情に見えた。


グループの最年少で新メンバーの龍くんを、同じく新メンバーだったESPICEの3人が導き、そしてともにステージに立つ。そこにはきっと楽しいだけではないこともたくさんあって、けれどそれすらも飼い慣らして踊り続ける4人は本当に格好よくて未来が楽しみで仕方ない。
おたくをしていて常々思うのは、わたしがこうして生き甲斐みたいに好きでいる彼や彼女にとってそこにいることが苦しくなれければ良いなということで、だからこそ人前に立つことを生業とする推したちには想像もできないような大変さがあることを、せめて忘れないでいようと自戒している。
きっと、舞台の上の世界は普通の人が味わうことのできないような喜びや苦しさに満ちているのだろうなと思う。そこに足を踏み入れ、立ち続け進み続ける推したちがやっぱり今日も大好きだな、と再確認できた。
ぴすりゅう、早く全宇宙支配して!!!!!!!

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