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仏間には 絶えずお線香の香りが漂い
静かに微笑む女性の写真
「大丈夫。
ゆうこさんなら きっと出来る」
と 私に話しかけているように。


もうすぐ1年になろうとしているのに
この家の男達は 全く動こうとしない
時は あの日のまま。
いや むしろ後退しているかのようだ
確かに私は 赤の他人だ
一滴の血も繋がっていないのだ
だから 冷たいというのか
でも それがどうしたと言うのだ
私は 人から受けた恩は 決して忘れない
忘れない様に生きろ と言うのが
実家の教えだからだ

そんな風に思い始め
一周忌の法要をお寺さんにお願いした朝だっだ

和やかなお坊様のお話は義母の人となり
まったくそのとおりだと 私は思った
義母は常に穏やかで辛抱強く
誰からも好かれる人だった
おそらくは 嫌っている人はいないと思えるような人だった
私は義母に大切にされていると実感することが出来た
そして いつも思うことは 義母の人生。
この家に嫁いできてさぞかし苦労しただろう
あまりにも実家とはかけ離れたこの家に

義母は父と母と兄、妹、それに子守りの若い子、家事をするお手伝いさんと同居する当時大変裕福な家庭に育った
勿論 家事などは嫁に来るまで一度もやったことがなかったらしく
「最初は義姉さんに色々と教えてもらっ てねえ」「何も出来ない嫁だから皆に迷惑をかけてねえ」
と何度となく口にした
そして 同じように何も出来ない嫁(私)
が来てしまったため
彼女は ゆっくりと時には励ましながら家事を教えてくれた
義実家から 車で15分の所に夫と住んでいた私は 昼間毎日のように訪ね
夫の好きな料理を教えてもらう日々だった


誰もが 想像できなかっただろう
突然の義母の死
どんなに大きな存在だったか
人は 失って初めて気づく
亡くなってみて 確信するのだ

夫や義父は さして強くもない酒を昼夜問わず浴びるように飲む日々
事もあろうに夫は勤めていた会社を辞めてしまったのだ
それからも 一向に働きもせず。

このままでは 生活に困窮してしまう
私が しっかりしなければ。

とりあえず 義父と同居し
頼れるものには すがり
頼れる人には 頼った
もう それしか道はない と思ったのだ

なんともおぼつかない私だったが
ようやく1年の月日が流れようとしていた
毎日が必死だった

矢先のことだった

無事 法要もすみ
ほっとした私は
家に帰るなり
父と夫に これからの生活のことを話し合いましょうと 言ってみた

義母を送って1年が過ぎた
ちょうどいい機会だと思った
義父は まだ悲しい目で
「何を話せばいいんだ。もう母さんはいないのに。」
夫は
「疲れた、もう寝る。」
と さっさと布団に入る始末

一向に話し合いにならず
それでも 暮らしは続き
私は子供達を預け 働く事を決心した
だがしかし 世の中は そんなに甘くはなかった
まだまだ手のかかる子供を持ち
何の資格も持っていない
8年目の専業主婦を
おいそれと雇ってくれる会社など
なかった

焦りばかりが募り憔悴した私は
家に帰るなり すぐさま 夫に事実を話した
相変わらず 夫は 上の空で話など聞いている様子はない

私ばかりが どうして........という気持ちがいっぱいになり

「お義母さんは もういないんだから..
いい加減に働いて、身体だってどこも悪くはないんだから、」と口にした


人に殴られたのは生まれて初めてだった

おそらく夫も殴ったのは初めてだったろう、思いのほか力が入ってしまい、
私は口の中を切り 血が流れ出した
ショックのあまり
サンダルの履きで家を飛び出す夫

しばらくぼうっと 見ていたが
ふと 我に返る
涙が 後から後から あふれてきて
まったく 家を出たいのは 私のほうだ
と 思った
今すぐ 子供達を連れて出て行きたい
と思った
出て行く、出て行く、出て行く
何度か 口に出してみると
ふと できないことではない と思い立つ


私は 血も涙もない 冷たい嫁
私は 無職の夫と年老いた父をあっさりと捨てるろくでもない嫁
これからささやかれるであろうあらゆる想像できないことを 考えてみた

それでもいいか?
それでも 人生を私の人生をやり直したいか?
すると
私は ひとりではない
愛する子供達がいる
苦労をかけるかもしれない
それでも やり直したいのか?
今よりは いいと思った。今よりは。
涙をぬぐった私がいた。


その日の朝
清々しい気持ちで長男を幼稚園バスに乗せる
園の保育士さんに
「今日は園までお迎えに行きます」
と笑顔で言った
さあ 急がなくては
家に引き返した私は
夫が 眠っている部屋を横目に
昨夜のうちに用意しておいた
当面の必需品の入った旅行カバンを出し
次男に帽子をかぶせながら玄関に向かう
次男の靴を履かせている時に
ふと思い立ち 仏壇に向かう
「お義母さん、ごめんなさい、ほんとにダメな嫁でした、私はあなたの家族を捨てます、許してもらはなくても仕方ないです、さよなら、ありがとうございました」
バスを待つ次男と私に

青空は 広がっていた

道は まぶしく 光に満ちあふれている


それから 予想だにしなかったことが色々(実母の涙と戻れの言葉、家裁で足掛け3年にも及ぶ離婚調停と円形脱毛症(笑))とあり
駆け足で月日が流れ
離婚に至った

そして 現在の私は
勤続20年小さな会社の事務員のおばちゃんと工場の皆のうっとうしいお母さん代わり等の毎日を送っております。。。

因みに 幸せですわ(笑)


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