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SNSがもたらす感情、インポスター症候群

昨日、AbemaPrimeの動画(Abemaがやっている平日21時からのニュース特集番組のようなもの)

を流し見していた。

すると、巷では「インポスター症候群」ってやつになっている人がいるという話だった。

番組には実際に「インポスター症候群」になったことがありましたって人が出ていた。

彼は

・20代イラストレーター
・はじめてイラストがバズったとき、それを自分は心から受け入れられなかった
・イラストがバズってフォロワーが増えたり、仕事を依頼されたりすると、

「自分の実力が過大評価されているのでは」
「自分は本当はこんな実力はないのに、相手を騙しているのではないか」

などと思ってしまうとか。


SNSで取りざたされる内容に、ネガティブなツイートや炎上が

「SNSはネガティブなことをよりネガティブにする」
一方で、こんな風に良い意味でバズっても、
「SNSはポジティブなことはそんなにポジティブにならない」

という感じになるんだとしたら、SNSって負の側面の方が強いのかな、なんて思ったりした。

イラストレーターの彼が言うに、万単位でバズったりするよりも、目の前で褒められた方がうれしい みたいなことを言っていたような気がする。

スタジオのトークの流れとしては、平石アナウンサーは、
「最初は(彼の言っていることの)全然意味が分からなかった」

元NHKの堀潤さんは
「気持ちが分かる」

など、共感できる人もいたり、いなかったりしたようで。


一方これを書いているおゆたろ。
昔絵をかいていた時の体験をたどってみた。

結論としては、「インポスター症候群なるものになる気持ちは分かる気がする」

おゆたろは、1993年生まれの31歳男性だ。
幼少期や、絵をかき初めのころ、今と違いSNSやYouTubeもない。

2008年ごろに中学で
「YouTubeっていうちょっとエロい動画が見れるサイトがあるらしい」
というのがクラスで流行ったくらいの世代だ。

高1からガラケーを持ち始め、2011年ごろにiPhoneに触れだした。

周りがそこまで可視化されていない時代を生きていた誕生から20歳くらいまでは、
「俺って絵が上手くてスポーツもそこそこできて要領もよくて才能に溢れているな」

と冗談抜きで思っていた。
高校は美術系の学科のあるクラスに通っていて、その中ですら絵の英才教育を受けて絵ばかり描いてきたような子を見ても、
「ポテンシャルは勝ってる」

と思うくらいの自信家だった(笑)

だが、20代中盤。2015年ごろから、SNSやYouTubeの時代が到来したと思う。
Twitterをやり、絵をアップしたり、実際に絵を仕事にしたり。

SNSを通し、様々な外の世界の才能が目に飛び込んでくる。
皆SNSには自分の良いところばかりをアップするというのも要因としてはあると思うが、
結果としておゆたろは、自分の身の程を知った。

ポテンシャルはそこそこあるかもしれない。

ただ、それを根気よく鍛え続ける辛抱強さもない、ゲームや映画をやめても、アイデアがなくなるだけで絵を描き続ける気にもならない。

絵もかきたくなくなって、仕事にしても長期的に続けることができずに、

周りは加速していくのに自分だけ取り残されているような感覚。
そんな時でも、自分もSNSや現実の知人などを通して、

絵を評価していただいたり、才能があるといわれたりすることはあった。

だが、そんな評価の言葉に対してもその時のおゆたろは、

「社交辞令だな」

と思い、自分に対する良い評価が他人によって左右されることがなくなった。


自分に対する、ネガティブな評価にはかなり敏感なので、
SNSを見るたびに自分の自信をそぎ落とし、評価されたらスルー。
今こうやって文章に起こすと、

これってまさに「インポスター症候群」。



しかしだ。
おゆたろは、こうやって様々な現象にいちいち名前や病名らしきものを

つけていく風潮が(最近)好きではない。

たとえば、「HSP」とか、「INTJ」みたいな性格診断のやつとか。

「HSP」に関しては、かなり繊細な人、みたいな感じで一時期流行っている時期があった。

まあ今もブームは続いているかもしれんが。

かくいう自分も、当初「HSP」が世に出てきたとき、
「自分、これだわ・・・」
となって、その言葉というか、カテゴライズされるような環境のぬるくて心地よい感じ、自分という存在が認められたような感覚があって、

「救われたなー」と思った瞬間が一瞬あった。

あの有名人も、あのサッカー選手も、これなんだ。
つまり自分の存在を、他人が考えたカテゴライズでようやく肯定できるという状況。

「INTJ」みたいな性格診断のやつも、似たようなもんだ。

人々には様々な性格気質があって、あなたはその中のこのタイプですよ。うんうん、あてはまってる。

確かに私おゆたろは「コレ」に分類される。

悪いとは言わないが、こんなのは気持ち悪いなと今書いていると思ってしまう。その瞬間瞬間は、新たな自分を発見したような感じで気持ちがよくなることは認める。

だが、それを言い訳にして自分を肯定している自分や他人は、はっきりいって何の魅力も感じない。

オナニーにしか見えない。

「私、こういうところあるから、私はこうなのでそれが嫌なら消えるかあなたが変わってね」

自分の気質やタイプを決めつけて、他人にサイレントで変化を強要する。
口にしないだけで圧力をかける。

気づかずに自分の成長を止め、周りに気を使って優しい振りをしながら、笑顔で相手の時間や労力を削る。

これが多様性なら多様性はクソだ。

自分は、TwitterだけでなくDiscordのサーバーにも参加しているが、
同世代の20ー30代と絡んでいて、長期的な関係を作れることは稀だ。

なぜなら、自分にも相手にも耐久力がない。

会話をして選択肢を間違えると相手が騒ぎ立てるし、
中身のない関係がダラダラと続いても低刺激すぎてすぐに飽きる。

とりあえず自己肯定していこう!相手を尊重しよう!
とかいう綺麗ごとをやり続ける人間を見て、まだ動物園にでも行って素で生きている(ように見える)動物を観察しているほうが有益な時間が過ごせるなとか思ったりして。

他人からの評価も偽物に思え、自分も自分を評価できない。
他人が仲良さそうにしているのを見ると、

嫉妬のような感情が浮かんできたりする。

そうすると、そこから離脱したくなる。

そういうときに、自分にこう言い聞かせるのだ。
「私はインポスター症候群だから仕方ないね」

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