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伝統と技術の和するところを探してみたい

はじめまして。OYUと申します。
普段は花人として花をいけたり、フリーランスでwebディレクションやwebマーケティングを生業にしています。
花人(かじん)は聞きなれない肩書きかと思いますが、平たく言うと、華道家のことです。
そんな私が、伝統と技術の組み合わせになぜ興味を持ったのか、これから何処に向かっていくのかという話を書きたいと思います。

元々、私はとある華道の家の子として生まれ、幼少期から花を生けていました。楽しいというよりは「やらされていた」感覚の方が強く、今でも過去の写真を見ると、先生に出稽古(自宅に先生に)来ていただいていたにも関わらず、寝ていたり、走り回ったりと、決して「稽古」と呼べる様なものではなかったことがわかります。

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▲やる気のない小学1年生の頃

周りに言われるがまま、花会にいったり、展示会に出たり、流派の新聞に載ったり、会館にいけばザワザワしたりと、自分の血のせいであまり楽しい気はしませんでしたが、社会人になって、改めて自分が一生続けていくことを見直してみると、手元に残ったのは、幼少期から続けていた水泳、合気道、いけばなしかなかったのです。

植木屋さんが落とした枝をもらって家に生けたり、もらった花を家に生けたりしているうちに、次第に(これをもっと面白く仕事にできないかなあ)と思う様になりました。

いけばなと技術の掛け合わせになぜ興味をもったか

興味を持ったのにはいくつか理由があるのですが、一つに、伝統芸能や芸術の流れ全体として「技術を持っている人にいい様に使われている」ように見えたこと。それらを見て強く腹が立ったことにあります。
いいように使われていると感じた一例が、FLOWER by NAKED
作品からは、日本の伝統芸能や芸術に存在する、本人に委ねられた想像のゆとり「余白の美」が失われ、ただただ見るに耐えない作品が並んでいた様に感じました。
いけばなは、自然を用いた人工物であり、元々は祈り(鎮魂)や献上される格式あるものです。「水揚げ」という地から切り離された花を延命させる処理を行いますが、この展示においては、全くそういった処理から遠ざかっていた様に捉えられざるを得ませんでした。この様な人間中心主義的な「モノとして扱われた花」は果たしていけばななのかと思ってしまったこと。もっと、技術側の人にいけばなの意図が伝わっていたら、全体に映像があたる様な作品に果たしてなったのだろうか、と考えたりしました。

一方で、ネガティブなイメージだけではなく、技術で面白い作品を作っている人達もいっぱいることをその後に知ります。(僅かですが、その例を後ほど載せています。)
この様な作品に触れたことがきっかけで、縛られた規則があまりなく、ひらけて楽しそうに制作をしている技術側の人を羨ましく思い、自分もその文化に触れたい、勉強してみたいと思うきっかけにもなりました。
とっかかりとして始めた、jsを使ったライブラリp5.jsを学習できるCoding Trainは、見ていてテンションが上がります。
openFrameworksZach Liebermanの作品は格好いいし、見ていて楽しそうだし、自分でもこういう開発ができるようになったら「きっともっと楽しくいけばなを続けられるかも」という気持ちになりました。

日本にも素敵な作品をオンラインに上げている人たちがいて、Twitterで#creativecodingや#dailycodingで検索すると見つけることができます。
また、年に数回Processing Community Dayというイベントも開催されており、前回もワークショップやライブコーディングなど、先人たちから学べることが盛りだくさんなイベントでした。
上記の様な人々を見つけてからは、マーケティングの仕事でデータを抽出するためにSQLを回して結果が出るまでの間、こそこそ別窓でp5.jsを開いて書いては一人でニヤニヤしたり、土日にコードを書いて楽しむようになりました。

なぜSFPCに行こうと思ったか

きっかけは、お世話になっているサウンドアーティストのsawakoさんに、いけばなの現状のことを相談した時に、NYのものづくりの学校「School for Poetic Computation(SFPC)」という学校があることを教えていただことがはじまりでした。
SFPCとは、2013年、アーティストのZach LiebermanとTaeyoon ChoiAmit PitaruJen Loweがニューヨークで創立した、名前の通り詩的なコンピューティングを学べる学校です。「コンピューターの使い方」を学習するのではなく、「コンピューターをどう自分の表現と美的探求のためのツールとするか」という点を重視しており、技術的な知識以外にもコンピューターの社会的背景を理解し、未来のあり方を考える姿勢を大切にしているそうなのです。

どんな学校かより興味がある方はこちらの記事をよんでみてください。
ニューヨークにある“詩的プログラマー”の楽園、SFPC
アフターコロナの学びの在り方はどう変わるのか?ニューヨーク創立の学校「SFPC」が示す展望

▲ 過去に生けた大型の作品、水が落ちてしまってお恥ずかしいですが。

自分はアーティストでもないし、私がこれまで取り組んできたいけばなの草月という流派は、「伝統」というには歴史が浅すぎ「前衛」というには古すぎます。
いけばなを続けたい気持ちと、新しいことを学びたいという気持ちを両立させながら、自分が作品に対してどのくらいの範囲で関わりたいと思うのか(例えば、やっぱり花を生けることを中心に頑張っていきたいのか、開発側をもっと伸ばしたいのか、全部妥協できないのであれば、チームを組むとか)を明確にしたいと思いました。
それにはある程度、仕事とは切り分けた集中できる時間が必要で、煩わしい環境から物理的に遠ざかり、手を動かしながら理解したいと思ったので、SFPCを選びました。

現在のSFPCと行くことを断念する理由

2月から感染が世界中に拡大した新型コロナウイルスの影響で、ニューヨーク市はかなり大きなダメージを食らいました。4月29日現在で感染者は16万人、死者は1万2千人を超えていました。
メールマガジンを取って知った情報によると、SFPCはSpring2020のプログラムの開催が危ぶまれ、家賃や保険や運営費の募金を行なっていました。私も細やかながら募金をさせていただきました。

Help the School for Poetic Computation

なんとか運営は続いているようで、4月21日からOnlineBootCampが開催されているようです。

SFPCには昨年から行くことを計画し、コツコツ貯金をしてきましたが、新型コロナウイルスの影響と、先日発覚した腹部の腫瘍の手術の費用がかかることから、通うことを今年は断念しようと考えを変えました。

外出自粛の環境でいま行なっていること、これから​

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