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ふと考えたこと ほとんど日記、時々映画

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最近の記事

サウナと考えごと

サウナに行くと、あつくなってつめたくなって気持ちよくなって、気持ちよくなったついでに頭がすっきりしちゃって、急に悩み事の真理みたいなものに対峙してしまって、その真理のかたまりに触れられるくらいの距離感で、触れそうになってそっと手を引っ込める感覚がたまにある。 考えることは急じゃない方がいい ゆっくりゆっくり迷い道しながら向かっていく途中で結論を受け入れる心の状態を整えていく お風呂だって掛け湯してから湯に浸かった方がいい 急は良くない、体にわるい 20220120

    • 溶け込む体

      朝、1番外の扉から会社の室内に入ってくるときの感じが好き。 扉を開けて、外の寒い世界からあったかい空気の塊にダイブする。 まず足から、あったかい空気の層が迎えにくる。だんだんと包まれて、最後には飲み込まれる。体温が空間に溶け込んでいく。 あーあったかい。 20200130

      • 自分の機嫌を自分でとる

        朝にきちんと並べて綺麗にしておいたものが、1日の終わりになって見てみるとぐちゃぐちゃにちらかってしまっているのをみて、がっかりしてしまうような毎日だから、家に帰るときは自分で自分のご機嫌をとるように、お気に入りの曲を聴きながら帰るのがいい

        • 昔友達だった人

          別に、基本的に、”友達“をやめるとかないし、たぶん今も友達なんだけど、昔ほど話合わなくなって、少しずつ合わなくなって、今までどうやってあんなに盛り上がってたんだろうって。お酒とかじゃなくて、普通に長電話したり遊びに行ったり、どんな話してたんだろう。 別に、相手が変わったわけじゃなくて、変わってしまったのは自分なのに、その結果合わなくなってしまったことが、合わなくなってしまった元友達が、どこかにいってしまったような気になる。別に今でもきっと会おうと思えば会えるし、全然生きてるん

        サウナと考えごと

          実家の猫が亡くなって、思うこと

          1週間前、実家の猫が亡くなった 家族LINEでそうきいたのは月曜日の朝、もうすでに出社していた とにかくその日をやり過ごそうと、考えないように考えないように、作業に集中して無になろうと1日をやりすごした なんだかんだと平日の夜も予定がつまっていたその週、ひとりの夜までの道のりが長い 結局その日の夜に崩れおちた たくさん泣いて、泣いて、泣いた 泣き疲れてぐっすり眠り、少しすっきりとした気持ちで起きた朝はまだ火曜日 この1週間をやり過ごすため、自分の気持ちをぼかして薄めて誤魔化し

          実家の猫が亡くなって、思うこと

          すきな人

          昔は数学の先生みたいな人が好きだったような気がするけど、今は国語の先生みたいな人がすきな気がする 何も知らないあの頃は明確な答えを導き出せる人に憧れた 今は新しい見方を教えてくれて一緒に考えてくれる人に憧れる 好き は 憧れ に近い 好きという言葉はいつだって恋愛の意味に捉えられやすいけど、そうじゃない時だって往々にしてある。 みんな自分がわかっている範囲のところに落とし所を求めてわかりやすい答えに変換して読み込んでしまう。わからないものをわからないまま楽しめるようにな

          すきな人

          言葉のはじっこ

          仲良くなったの最近ですもんね、って言われて、あ、仲良くなれたんだなって思った 友達って言葉が広く使われすぎて、どこからが友達?ってところがある 第三者にその人との関係は、って聞かれたら、友達になりそう、としかいえなくて、まだ自信を持って友達って言い切れないところあったけど、少なくとも仲良くはなってこれたんだと思って嬉しくなった 言葉って難しい まあ言ってしまったもん勝ちなとこもあるけど 友達って、言葉にしたらそうなっていくのかもしれない 20210310

          言葉のはじっこ

          酩酊

          今回は覚えてるぞ、と思いながら飲んでたのに寝て起きたら結局話した内容なんにも覚えてなくて、それに対する自分の印象しか覚えてなくて、幻 20211213

          酩酊

          昔持っていたケータイ

          もうどこに行っちゃったかわからないけど、あの頃使っていたケータイは、今よりももっと、愛と執着と、 なんかもっと擦り切れそうなくらいの熱がそこに詰まっていたと思う。 今もスマホにはかなりの時間を吸われてるし、この5.8インチの板を愛しているけど、 次のスマホにデータ移行した時、“今の個体”に対する執着はなくなってしまう気がする。 データと一緒に気持ちも移行されてしまうような、気持ちも所在も現代的になってしまったような感じ。 きっと個体にそこまでのアイデンティティがないからだろう

          昔持っていたケータイ