見出し画像

ウラがある

豊臣秀吉は秀次の妻妾や子供を公開処刑したり、千利休を切腹に追い込んだりと残虐性が知られており、暴君の汚名がついていますが、日本のためにいいこともしています。

秀吉がキリシタン弾圧をした要因の一つに、日本人奴隷の阻止があったそうです。確かにローマへの少年使節の派遣の際にも、少年らは日本人奴隷が東南アジアなどに売られている事実を目にしており、宣教師たちは積極的に奴隷阻止に動いていません。

スペイン、ポルトガルが宣教師を派遣して、キリスト教の布教を行ない、次いで商人が商売で上陸し、最後に軍隊で制圧するという構図に秀吉は気づいていました。そして、その間に奴隷貿易があったのです。

秀吉は日本における宣教師の代表に「日本人を奴隷にしている話を聞いている」と問うと、「商人がしているから手は出せない」という返答があり、日本人奴隷防止のためにも、キリスト教の布教を禁じる措置に出たそうです。

キリスト教の弾圧を肯定はできませんが、歴史にはいろいろのウラがあることを知っておく必要があるのではないでしょうか。

サポートお願いいたします! より良い記事を書くために、有効に使わせていただきます。がんばります!