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くだる

絶望し切った朝に見る夢はいつもきらきらとしている。
手触りすらないのに、満たされたという感覚だけが残り、目を覚ますと跡形もなく消えてしまう。ただの「夢」に重きを置いてしまうたちなので、そんな言葉通り瞬く間の甘い幻想は、救いというよりも「嵌められた」という思いだ。

綺麗な名前の女の子に、全てを横取られる人生だったなと振り返ってみて思う。耳障りのいい発音句 どれも許せないし心の底から欲しい。自分の名前を呼ばれることは何も嬉しくない。

居場所が分からない。適した居所が何処にも無い。きっといつかは自分が造り上げる必要があるのだろう。
暗い自室も、扉を隔ててあるだけの外気も、明確に私を拒み距離を置いている。常日頃、どこに居ても漠然と「ここに居るべきでない」と思っているが、それはきっとその空間が私を拒絶している以上に、私の精神や肉体、その細胞どれもが居心地の悪さを感じて逃げたがっているからであろう。私の中からそんな粒粒した反抗心・意気地無さ・概してそんな"生きづらさ"が立ち去れば、残った抜け殻は私なんかでは無い。この我儘で臆病なものたちを、私は何よりも愛してしまっている。

それにしても、考えを発露するのは苦手だ。なのにそんな真似ばかりしている自分が不健全だとも思う。しかし、世界の全貌が分かり得ないように、宇宙の果てを感じるのが難しいように 私は知らないことをも盾にして語り続けなければならない。世界と私とは、「全てを知られない」:「知ろうとするのを止めない」ことでようやく釣り合っている。それぞれの役割を担い、互いを縛っている。どちらが楽だとかは、実の所比較しようがない。私たちはそんな呪いを受け持つ個だ。推し量ることを止めない私たちは、不気味なカルト集団だ。

嘘をつける人が特別器用だとは思わないが、私は嘘をつけるほど器用ではない。


地に足をつけて夢を見る。今を生きて明日を見る。続くものを求める。残るものを認める。正しいと思う。

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