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「楠」第三章

   風聞(二)
 
「うーん、なるほどそういうことだったのか、おーい」
「・・・はぁーい。・・・・・・・・・。何ですか、一体」
「ん、今何をしていたんだ?」
「二階の日本間で幾美のところに送る振り袖を捜していたんですよ。ほら陽菜がそろそろ成人式でしょう、送って上げようと思って」
「え、随分気が早いな、陽菜はまだ今年高校に入ったばかりじゃないか」
「今は成人年齢が十八歳に下がったんですよ、二年なんてあっと言う間ですからね。今のうちに何処に保管して置いたのか、ちゃんと見付けて確認しておかないと、直前になって慌てて搜しても間に合いませんからね。あれは私のお婆ちゃんが私の成人式のために作ってくれたもので、もちろん幾美にも着せてやったし、今時あんな大層なものはどこのお店を搜しても簡単には手に入らないと思いますよ。陽菜にもまだ十分着せられます」
「・・・わかったよ。そうなんだよな、幾つになっても親は子のことが心配なんだよな。孫のことは母親に任せればいいものを、母親の母親である、あんたが心配している」
「一体何を言ってるんですか、お父さんは。親が子の心配をするのは当たり前じゃないですか」
「いや、だからさ、この頃はそうじゃなくなっているかも知れないんだよな。・・・今ワイドショーを見ていたんだがね、今日のコメンテーターの一人が実に面白いことを言っているんだ。なるほど、そういうことだったのかと合点が行ったんで、お母さんにも聞いてもらおうと思ったわけさ」
「ああ、この情報番組ね。時々いいことをやっているわよね。今はコマーシャル中ね」
「うん。ワイドショーのコメンテーターの面々なんて、分かりきったことをさももっともらしく言っているだけだと、これまであまりまともには聞いていなかったんだが、今日のコメンテーターの太田という学者は、ちょっと違うよ」
「何がどう違うの? 今日は一体何の話題なの?」
「うん、児童虐待の話なんだ」
「児童虐待? 深刻な話じゃないですか」
「そうなんだよ。この前ほら、二年ほど前かな、横浜で二歳の女の子を放置して餓死させてしまった、若い母親の事件があったじゃないか。その裁判員裁判の第一回公判が、昨日行われたということで、その特集をしているんだ」
「あ、始まった、CMが終わったのね。で、どのコメンテーターがいいことを言っているわけ? 一番左の女性は猪俣さんじゃないの? よくテレビに出ているわよね、真ん中と右の男の人はよく知らないけど」
「真ん中の女性は弁護士の加藤さん。右の男性は太田という社会学者だ。俺も初めて見るけど、この人が児童虐待について、ユニークな分析をしているんだ」
「へえぇ」
「つまり、日本の児童虐待は、戦後三世代目にして、初めて目に見える形で増えて来ている、と言っているんだ」
「戦後三世代目? あ、番組が中断だ、山手線が止まったみたいね」
「ちょうどいい。・・・太田さんは戦後生まれの世代を三つに区切っていて、第一世代は俺たちのように戦後最初に生まれた世代だね。俺はいわゆる団塊の世代の一員だけれど、大体昭和三十五年ぐらいまでに生まれた世代が、第一世代」
「私も入るわけね、二十七年生まれだから」
「うん。で、第二世代というのは、それから二十五年経った、ええっと昭和四十六年から昭和六十年頃までに生まれた世代」
「幾美と裕太が入るわけね」
「そうだね、幾美が昭和五十一年で、裕太が五十三年だからね。で、第三世代が平成八年から平成二十三年まで」 
「ちょっと待って。うちはお父さんと私は第一世代に入るし、幾美と裕太もぴったり第二世代? その中に入るわけだけど、第一と第二に入らない人はどうなるの? 第一世代は戦後直ぐからの生まれだから、昭和二十一年からってことでしょう。それとも二十年生まれの人も入るのかな?」
「太田さんは昭和二十一年からと言っている」
「じゃあ、二十一年からとして、この二つの世代に入らない人たちがいっぱいいるわけでしょう。例えば昭和四十年生まれの人は、どうなるの?」
「それは第一世代の終わりと、第二世代の始めの間が十年あるから、それを半分にすると五年だから、それで分けて前に入れるか、後ろの世代に入れるかとか、するんじゃないかな。昭和四十年はまあ真ん中だけど、第一世代の終りの昭和三十五年と比べると五年プラス、次の第二世代の始まりの四十六年とはマイナス六年の差だから、おそらく前の第一世代に入るんだろうね」
「ふぅーん、何だか分かりにくいわね。大体一つの世代の幅というか、年齢差がえーと、十五年? で次の世代までの間隔が二十五年、というのは一体どういうこと?」
「それはいわゆるモデル化というやつだね」
「モデル化?」
「そう。ある事象を分析する時に、そのままではあまりに煩雑でよく分からないから、その中で特徴となる事柄を強いてピックアップして、それに基づいて、数字を切り分けたりすることだね。二十五年というのは、一つの世代が次の世代の子を産み、育てるために要する年月を、便宜上そう設定した数字だね」
「へえぇ。やっぱりお父さんは理系だね。それでそういう世代の分け方がスッキリ頭に入るんだ」
「まあ、モデル化は科学の世界ではよくあるよね。で、だ」
 
「太田さんの只今のご説明で、日本での児童虐待の増加は、第三世代に入ってから顕著になって来ている、ということです。確かに急増した1990年から2000年まで、この期間はちょうど平成の時代が始まった時期に当たっているわけですが、同時に先程太田さんが分類をされた、第三世代である平成八年から平成二十三年の世代分けの開始年である、平成八年、1996年をちょうど間に挟みます。なるほど太田さんがおっしゃるように、第三世代が始まると同時に、児童虐待件数が急増していることが裏付けられているようにも見えます。そしてそれこそが、社会的な大きな変化の一つの特徴であるということ、さらにその変化を促した大きな要因の一つが、戦前までの価値観、虐待に関して言えば、子弟に対する教育上の価値観、教育観の完全なる瓦解と消失だと、太田さんはおっしゃるわけですね」
 
「あ、また特集の話が始まったわ。山手線の再開の見込みが立ったのかしらね」
「そうかな。でだ、今司会の鳥井さんもさっきの太田さんの解説を要約したんだけど、お母さんはあれを聞いて、ストンと腑に落ちないかな。つまり戦前の教育観の欠落、というか崩壊のこと」
「そうね。何となくわね」
 
「加藤さんは今の太田さんの解釈をどう思われますか。戦前の各家庭における子どもの敎育について」
「はい。私は戦前の教育観についてはさほど詳しくはないんですけれど、少なくとも親子に関しては、今ほどフランクと言いますか、同列といった感じではなく、上下といった感じでの教育だったのでは、と思っています」
「猪俣さんは?」
「私もあまり詳しくはないんですけれど、戦前は天皇制の影響がとても強かったと思っています。いわゆる国家主義ですね。その中において、各家庭では戸長制が敷かれ、子どもの父親が、或いは場合によっては父親の父親が、一家を仕切っていたと言いますか、教育に関しても一家言を持って、リードしていたのでは、というふうに理解をしています」
「しかし、育児や子どもの教育は、当時は母親が一切預かっていたふうに、私なんかは聞いていますけれどね。そしてそうした戦前の教育観を持った両親に育てられた私の父親も母親も、子どものことは母親が一切面倒を見て、父親は子どもの教育にはあまり口出ししない、として私や兄弟を育てて来たようにも、思います。現在の私があまり家のことにタッチしないということを先程言いましたが、それはやはり、両親の私の育て方に影響があったからでは、というふうに思うわけです。太田さん、実際のところはどうなのでしょうか。戦前の子弟教育の特徴とは、一体何だったのでしょうか」
「加藤さんの言うことも、猪俣さんの言うことも、また鳥井さんの言うことも、間違ってはいないと思います。戦前の教育の特徴に関して一般的に言えば、戦後の民主主義教育に対して、道徳教育、というふうに言えるかと思います。この教育観を一言で言えば、人の正しい生き方とは何か、それを教える教育とは何か、ということになるかとは思います。戦前はしかしこの敎育観が国家主義と結び付いて、戦時中の特攻精神、といったまでの、過度な国家優先、天皇優先の風潮を招き、日本をあらぬ方向に導いてしまった、という反省から、戦後の民主的な敎育も出発した、という側面があると思います。
 明治の半ばにできた教育勅語は明治以降戦前の教育に大きな影響を及ぼして来たと私は思っていますが、その中に「父母に孝」という一言があります。この一言は親には孝行しろ、という子弟の立場から説かれたものですが、当然ながら、裏を返せば親は子どもをしっかり育てろ、ということにもなるわけです。戦前までの時代は家父長制の下ですから、昔の父親は子どもを上から目線で育てます。しかし母親に関しては、戸長の父親の許で、むしろ子どもを庇護する立場で育てることになります。よく昔のドラマで子どもを強く叱責する父親に対し、母親が子どもを庇うシーンが見られることがありますが、それはこの間の事情を如実に示しているのでは、と思われます」
「父親は子どもを上から目線で育て、母親は子どもを護る立場で育てる。なるほど、それが戦前の家庭教育の大きな特徴だったと、太田さんはおっしゃるわけすね」
「ええ、そう考えられると思います。もちろんどの時代にあっても、父親の家庭における役割というのは、子どもの社会性や道徳心を養うことであり、母親の役割は子どもをありのまま包み込むように受け容れ、生きる自信を与える、といったところにあるとは思われますが、戦前は家父長制の下で、こうした父母の役割がより明確だったというふうに、考えられます」
 
「ほらな、この太田という学者は、我々高齢者にはストンと腑に落ちるようなことをズバッと言うだろう」
「確かに母親は子どもを護らなくちゃいけないから、それは父親なんかよりは遥かに子どもに取っては身近な存在になっていたでしょうね。上から目線で叱られたり、あれこれ指図されるよりは、子どもはよっぽどその方が楽だし、近付きやすいわね」
「教育は母親に任せっ放しということは、裏を返せば、子どもは日常母親としか話す機会が少なく、外から見れば子どもの面倒は母親が一切預かっている、ということになるんだろうね。俺も、小さい頃は父親のことはどうにも怖くて、母親とばかり話をしていたような気がする。進学や就職、引っ越しなどの節目に関してはどうしても父親と話をするしかなかったけれど、学校の普段の成績とか、友達のこととか、身の回りの買物のことなどに関しては、殆ど母親にしか相談して来なかった気がする」
 
「・・・そうした特徴的な戦前の教育観が崩れたことが、今の幼児虐待という現象が始まることになった、最大の要因だと、太田さんはおっしゃるわけですね」
「そうです。こんなことを言うと、革新的な人たちからは、戦前復帰とか、戦前の価値観礼賛だとか、総スカンを食いそうですが、私は何も戦前の価値観に戻れと言っているわけではありません。そんなことができる訳がないことは、今は火を見るよりも明らかですし、もちろん戦前の価値観が唯一無上のものだと言う積りも、これっぽっちもありません。ただ幼児虐待というおぞましい現象が日本で無視できないぐらいに発生してきた、その社会的な背景を時系列的に考えた場合、どうしても戦前までの教育観の崩壊という問題に、直面せざるを得ないということを、一介の社会学者としては、ハッキリ言っておかねばならない、と思っているわけです」
「よく分かったかというと、やはり戦後五十年ぐらい経った時期に成長した自分に取っては、自信を持って言うことはできませんが。しかし太田さん、戦前の価値観が崩れたということで言えば、別に教育の分野だけではありませんよね。政治の面、経済の面、社会構造の面、あらゆるところで、戦前の価値観が崩れた上に、今の日本は成立っていると、私は理解していますが。ああ、もしかして、大きな社会的な変化と太田さんがおっしゃる中には、そういった戦後の日本の価値観全体の変化も入って来るということなんでしょうか」
 
「ほらな、この学者のいうことは我々にはよく分かるだろう。俺やお母さんは戦後の生まれだけど、両親が戦前生まれだったせいで、その影響を多分に受けているからね。今司会者の鳥井さんも言ったように、俺たち自身の子育てに関しては、多分に親の遣り方を真似ていたようなところがあったよね」
「そうね、知らず知らずのところで、ああ、これはお婆ちゃん、私の母親のことだけど、が私たちにしてくれてたことと同じだ、と思うところがあったわね。というより、私はむしろ、お婆ちゃんが私たち姉弟にしていたことをむしろ真似て、幾美と裕太を育てて来たところが多かったような気も、する。さっきの振り袖の話だって、お婆ちゃんが自分の孫の幾美にも着せようと、大事にタンスに保管して来ていたのを私も真似て、幾美の子どもの陽菜にも着せようと思って、これまで大切にして来たんだもの」
「おっと、コマーシャルが終わって、また山手線の運転再開のニュースだ。・・・そうなんだよな、意識するとしないとに拘わらず、我々は自分たちの子育てに関しては親の影響を多分に受けているということなんだろうね。戦後、政治が根本的に変わって、天皇制から民主主義体制に移って、学校の教育は丸きり変わったけれど、子育てみたいな個々の生活の微妙な言動のところまでは、学校ではもちろん教えてくれなかったから、畢竟、本や、テレビやマスコミみたいな、時代の文化的な環境の中から得た知識で、子どもへの、いわゆる民主的な教育を施そうとしていた気もしないことはないけど、所詮そんなものよりは、自分が育てられた両親の振る舞いの方が、遥かに深く身に付いていたのかも知れないね」
「そうね、私はお婆ちゃんの影響がすごくあったと、今は自分でも思うわ」
「この今日のワイドショーの話題である、幼児虐待のことなんかも、自分たちがしてきた子育ての中では、丸で雲の上のものとしか思えない事柄だよな」
「本当にそうだわ。幾らしつけ、しつけと言ったって、身体にアザができるほど殴ったり叩いたりする親がどこにいるの。完全に暴力だわ。育児放棄で食事も与えないでいるなんて、問題外よ」
「俺たちの時代は、子どもは天からの授かりもの、宝、という意識が強かった。何がなんでも、子どもたちだけは立派に育てなければならない、という意識が強かった」
「もちろんよ、子どもあっての自分の人生だと思って、私はこれまで幾美や裕太を育てて来たのよ。とにかく子ども本位、これもきっとお婆ちゃんの強い影響かもね」
「児童虐待、本当に日本でこんなことが日常茶飯事的に起こるのか、にわかには信じられないという思いで俺はずっと来たんだが、今日の太田教授? 教授かどうか知らないが、学者の説明を聞いて、納得行くこと、しきりだ」
「あ、再開したわ」
 
「いや、鳥井さん、今日の話題としては、そこまで踏み込んで話し合うつもりはありませんし、時間もないと思います。ただ、平成に入ってから、失われた三十年とか、今は少子化とかがクローズアップされていますが、それらの最近の問題が、今述べた、戦前の価値観の完璧なまでの瓦解と喪失、という現象と切り離せないのでは、ということだけは、申し上げておきたいと思います」
「わかりました。ではこれまでの児童虐待問題の分析と言いますか、現状認識を踏まえた上で、これを無くす、この現象が日本の負の問題であることは明らかですから、改善するにはどうしたらよいのか、政府はどのような施策に取り組むのがよいのかといったことについて、議論して行きたいと思いますが、残念ながら本日の特集番組は山手線の運転停止の影響で時間が押し、ここまでとなります。
 二日後に、夏川被告の第二回の公判が開かれることになっていますので、次回それも踏まえた上で、再度番組としてこの問題の特集を組み、今日の議論の続きを行いたいと思います。コメンテーターの皆さん、本日はお忙しい中、ご出演いただき、ありがとうございました」
「ありがとうございました」「ありがとうございました」「ありがとうございました」
 

  (第四章に続く)https://note.com/oyoyo_note9096/n/ne73e0c58bf70

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