「十九の散華」(序)

(あらすじ:昭和十七年初春、予科練入隊を志した16歳の和田徹は、以後霞ヶ浦河畔の予科練基地(土浦航空隊)で厳しい訓練を受け、続いて同じ茨城県内にある霞ヶ浦航空基地及び筑波海軍航空基地にてそれぞれ飛行練習及び飛行練延長教育を受け、筑波基地にて特攻兵器を使った特殊航空隊(神雷隊別名桜花隊)入隊を志願するも、採用されず。その直後、戦況悪化したフィリッピンの特攻部隊(201航空隊)に招集され、僅か十日間の特攻出撃訓練を受けたのみで、昭和20年初頭の早暁、フィリッピン・ルソン島のツゲガラオ飛行場を飛び立ち、島西南のリンガエン湾に集結する米英の大艦隊に特攻攻撃を敢行、僅か十九歳の華と散る)

「さうか、士官学校でも、兵学校でもなく、予科練を目指すのか」
「はい。英米との戦争も始まりましたし、一日も早くお国の役に立ちたいと思います」
「うむ・・・・・・」
 表座敷の四隅に立つ黒い角柱の一つに懸かっている日暦が、天井から提げられた電燈の灯りに照らされて、ぼんやりとその日が昭和十七年の三月の末であることを示していた。 
 まだ春寒で、和田徹が身に付けているものは依然冬服のままだったし、火鉢を挟んで向かい合って座っている徹の父親は袷に羽織を纏っていた。火鉢に熾は入っていなかった。
 腕組みをした父親が間を置いて言葉を継いだ。
「崇も帰休兵招集で支那に渡ったばかりだし、徹には内地に残って実業に就くか、貞次郎のように学校の先生になればいいと思っていたんだがなあ」
「兄さんは二十歳で近衛兵に招集されて、二年で戻っていたのでしたね。貞次郎叔父さんは去年も家に盆参りに来ていました」
「あれは中学を出て高等師範に入ってから教員になったんだ」
「ええ。そう言ってました。今は熊本の済々黌という中学で教鞭を取っているとか」
「ああ、古い中学のようだな。土中よりだいぶ古い。名前の由来は儒教の詩経の一節から取ったもののようだ」
「ああ、それは知りませんでした」
「教員になるには高等師範だけでなく、専門学校を卒業しても進めるだろう」
「ええ・・・・。中学の先輩には多賀の専門学校に進んで先生になった人がいます」
 その時盆に載せた茶を手に、徹の嫂が居間の方の障子を開け入って来た。
「照さんや。予科練が阿見に来たのは今から何年前だったかな?」
 父親は徹の進路の相談に直ぐには答えず、傍らに座った徹の嫂の方に話を向けた。
「まだ三年じゃありませんか。霞ヶ浦の湖岸の方に移って名前が土浦と変わってからでも二年では」
「そうか。まだそんなものか」
「阿見原に飛行場が出来たのは私が生まれた大正十年でしたが、正式に霞ヶ浦航空隊として開かれたのが確か翌年でした」
「それぐらいだったなあ。狐狸しか棲まないような広い野っ原にいきなり飛行場が出来たとか言って、この辺の若いもんも大挙して見に行っていたようだ」
「湖岸の青宿の方の飛行場が出来たのはだいぶ後になってからですけど、いつの間にか賑やかさは新町のあっちの方が上になってしまいました」
「一時は土浦から青宿に電車も通っていたなあ」
「ええ。ちんちん電車と言って、わたしも乗せてもらったことがあります」
「それはお定義母さんと本郷に帰った時にでも?」
 その時徹は口を挟んだ。お定さんとは徹の嫂の母のことだった。
「ええ。盆とか正月の里帰りの時に。彼岸の時も幾度か行ったわ」
「本郷は荒川本郷と言って、だから荒川沖駅のすぐ近くにある。お照さんの里は土浦と言っても在だから、賑やかさは本郷の方が上かも知れないな」
「飛行場ができるまでは本郷はそれは駅の近くに行けばまあまあ店は幾つかあったんですけど、湖岸の青宿新町が出来てからはとてもとても及ばなくなってしまいました。だから小学生の時母の実家に一緒に行った時は、いつも叔父や叔母に新町に遊びに連れて行って貰っていました。兎に角お店は何でもあったわ。お蕎麦屋さんに丼物など、食べる所は一杯あったし、映画館や、温泉のようなお風呂屋さんもあったわ」
「わしも村の役で一度新町には行ったことがある。土浦の桜通りぐらいの賑やかさはあったかな」
「甘いものだけの店も幾つかあって、お汁粉なんか家では正月だけだけれど、そこへ行けばいつでも食べられたわ」
「今でも店は沢山ありますか」
「そうね。食べ物屋さんなんかは同じでしょうけれど、予科練が出来てからは風紀上問題のある店は土浦の栄町に移ったと聞いたわ」
「それはそうだろうな。予科練と言ったら二十歳前の男子しかいない訳だから」
「甲種の場合、中学四年一学期終了程度の学力を有する、満十六歳から二十歳未満の者、と募集のポスターにはあります」
「徹は今十八、満だと十六だな」
「徹さんは大正十四年生まれだから、昭和の年号に一つ足すと数えの歳になって分かり易いわね。誕生日が来ればそのまま満の歳だし」
 そう言うと嫂は立ち上がって新しい茶を入れ替えにか、居間の方に戻って行った。
「土中から今回は何人ぐらい受けるのかな」
「僕が知っている限りでは三名います」
「さうか・・・・・・。士官学校や兵学校と違って、予科練が入り易いということは決してないんだな。昭和五年だったか、第一期の予科練生の募集には全国で六千名ほどの応募があったが、受かったのはたったの七十九名だからな。尤も当時の応募資格は高等小学校卒だったがな」
「はい。難しいのは重々承知しています」
「今からだと入隊は秋になるかな」
「はい。六月に募集があって、七月に一次選抜として学力試験、それに通れば八月になって予科練のある土浦航空隊に行って泊まり込んでの二次試験です。身体検査、適性検査、口頭試問があると、募集ポスターにはありました」
「今回は何期目になるのかな」
「甲種は十一期目です」
「さうか。今は募集人数もかなり多くなっているのだろうな」
「ポスターに募集人員は書いてありませんでしたが、九、十期からは千名以上合格しているようですから、今回も千名は越えるかと思います。ただ今回は七月に三重に別の予科練の航空隊が出来るようですから、土浦入隊は半分ぐらいかと思います」
「成る程分かった・・・・。いずれにしても頑張らんといかんな」
「はい。ありがとうございます」
 その時嫂が新しく入れた茶を持って座敷に入って来た。 
「徹さんなら勉強も出来るし、躰も人並み以上に丈夫ですから、大丈夫受かると思いますよ」
 嫂はそう口を添えてくれた。
「崇からは支那に着いたという葉書はあったが、その後何も言って来ていない、照さんも心配だろう」
「お国のためですから、仕方ありませんわ。お父さんも気懸かりでしょう」
「・・・・うむ。男は徹と二人だけだからな、何とか無事戻って来てもらわんと・・・・」
 そう言いながら新しい茶を飲み終えると父親は立ち上がって、居間に通じる障子を開け、座敷を出て行った。
 居間の西隣りに徹の両親夫婦の寝所である奥間があった。二年前重い腎臓病を患って以後、寝たり起きたりの徹の母親は、今も部屋で横になって休んでいる筈だった。
「良かった。お陰でお父さんの了解が得られました。嫂さんありがとう」
口添えを頼んだ嫂に徹は礼を言った。
  
「十九の散華」(一):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n5bf0ca13b273/
「十九の散華」(二):https://note.com/oyoyo_note9096/n/nc840705f75d5
「十九の散華」(三):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n24b477c8b1c0
「十九の散華」(四):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n8efdc80ef480
「十九の散華」(五):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n5bf0ca13b273 
「十九の散華」(六):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n4a44e2a496c3
「十九の散華」(七):https://note.com/oyoyo_note9096/n/nf25926c5752c
「十九の散華」(八):https://note.com/oyoyo_note9096/n/ne72455748607
「十九の散華」(九):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n98d0d4d5571a
「十九の散華」(十):https://note.com/oyoyo_note9096/n/na0fd4c6522af
「十九の散華」(結):https://note.com/oyoyo_note9096/n/n8d57971021be
 
 
 
 


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