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「楠」第八章

   判決
 
裁判長「では判決を言い渡します。被告人が本日も欠席していますので、不在のまま、言い渡します。
    主文
 被告人を懲役四年に処する。
 幼児の着ていた衣類などの押収物は、これを没収する。
    理由
(罪となるべき事実)
被告人は母親田上道子の長女として生まれ、幼少期を相模原市の乳児院及び養護施設で過ごし、小学校入学と同時に、一旦は母親と義父の許に引き取られるが、両親からの度重なる虐待を受け、再び相模原市の養護施設「愛和子どもの家」に移り、以降高校の第二学年の中途まで、同施設に暮らしつつ、通学を続けた。高校二年に進級した平成二十八年の四月から、被告は同市内のコンビニエンスストアにアルバイトに就き、同様に同店にアルバイトに来ていた、同市内に住む、私立啓林大学の学生と交際するようになり、翌年三月末、大学生に誘われるまま、同学生の下宿先のアパートで同棲生活を始めると同時に、養護施設を出た。さらに同年秋、妊娠が発覚するや、高校を中退、翌平成三十年六月三十日に長女真奈を出産した。その上で、相模原市内の別のアパートに学生と転居し、二人で育児に努めるも、翌年三月に学生の意向で離婚し、以降は被告人の現住所である、横浜市神奈川区内のアパートに長女とともに住み移り、同時に同市内のファミリーレストラン「デイリー」に就職、シングルマザーとしての生活を始めるが、生活の苦しさから、同平成三十一年十二月に横浜市内桜木町のキャバクラ「ミューズルーム」に職を変えた。しかしこの頃から、勤務後の客との交際が始まり、育児に手を抜くようになった。外泊したり、丸一日家を空けるといったことが始まり、幼児に満足な食事を与えなかったり、オムツの交換を怠るようになった。令和元年六月には、店の客から交際に発展していた男性の一人と、三日間、奈良や神戸への旅行に出掛け、この時長女に何も起こらなかったことから、翌七月、再び今度は十日間の鹿児島への旅行に出掛け、この間、長女には僅かな食料を置いたのみで家に監禁したため、栄養不良による飢餓と、七月の高温の中放置したことによる脱水症で、同幼児を死に至らせたものである。
(証拠の標目)
〈判示第二については、これを『殺人罪』としてではなく、『保護責任者遺棄致死罪』相当として扱うものとします〉
 1.被告人の当法廷における供述、並びに被告人の勾留時における検察官に対する供述
調書。
 2.司法警察員作成の実況見分調書。
 3.証人横浜市中央児童相談所職員の当法定における証言並びに証人尋問調書。
 4.証人横浜市立総合病院の医師の当法定における証言並びに証人尋問調書。
 5.証人神奈川県立精神医療センターの医師の証言並びに証人尋問調書。
(法令の適用)
 被告人の判示第一の行為は、刑法第二百十八条「保護責任者遺棄罪」に該当し、但し判示第二の行為については、当法廷ではこれを刑法百九十九条「殺人罪」とは認めず、刑法二百十九条の、「保護責任者遺棄致死罪」に該当するを適当と見做し、右判示一、二は刑法第四十五条の併合罪に相当するものであるから、同法第四十七条並びに第十条に従い、より重い「保護責任者遺棄致死罪」の刑に併合荷重するものとして処し、押収にかかる主文掲示の幼児着用の衣類は、幼児が死亡の際身に着けていたもので、被告人以外のものの所有に属しないから、刑法第十九条第一項(没収刑)に従い没収することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第百八十一条第一項に従い、全部を被告人に負担させることとする。
(検察官の主張に対する判断)
 検察官は被告人が幼児を放置して十日間の旅行に出掛けたのは、明らかに未必の故意としての殺意があったと主張するが、それを裏付ける根拠は薄弱で、弁護側が主張するように、科学的な証拠に基づくものではない。証人として出廷した、留置鑑定を行った医師の証言も、犯行時被告に責任能力が無かったとは言えないことを示唆できるに過ぎない。従って当法廷は、被告に「殺人罪」を適用することは認めず、「保護責任者遺棄致死罪」に留めるのを、適当とする。
(弁護人の主張に対する判断)
 前記(検察官の主張に対する判断)にも述べたように、弁護人が主張する殺意の有無については、当法廷もその存在を認めるまでには至らなかった。しかしながら保護責任者遺棄、及び同致死罪については、弁護人請求の精神鑑定医師の、犯行時被告は刑事責任を問われる精神状態にはなかった、という証言を、そのまま鵜呑みにすることも、これもまた、当法廷においては無理があると判断した。従って当法廷は、弁護人の最終弁論にほぼ沿った形での、結論に至ったものである。
(量刑理由)
 一人では食べ物も満足に食べられず、オムツも替えられぬ被害児を、保護もなく十日間も置き去りにした被告の行為は、悪質かつ身勝手と言う他ない。長期間、最もそばにいて欲しかった母親に助けも求められない中死に至った被害児の思いは、筆舌に尽くし難いと言える。交際相手からの旅行の誘いに対し、子どもを預けず、子どもを同道せず、また誘いを断りもせず、前回の旅行の際も生きていられたからという、被告人の軽率極まりのない判断の誤りによって起こされた事件ではあるが、その背景には、過去に被告人自身への虐待や、被告人にはどうしようもない成育的環境があり、そこで十分なケアも受けられなかったことが、今回の事件に複雑に影響を与えたことは、これもまた事実として認めざるを得ない。被告には被害児に対する憎しみや害意はなく、さらには事件を起こしたことを自らの死をもって償おうとする、深い悔悟の念が見受けられる。それらの情状は、最大限考慮されるべきだが、限りもある。よって当法廷は、被告人に「保護責任者遺棄致死罪(刑法二百十九条、三年以上二十年以下の懲役)」に対して、懲役四年の刑を課すことを妥当とする旨、量刑を言い渡す」
 
    (終章に続く)https://note.com/oyoyo_note9096/n/n6eb261380152


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