「十九の散華」(一)

「父上様、母上様、嫂様、ご無沙汰しています。その後母上の容態はいかがでしょうか、お変わりありませんでしょうか。何か新しい特効薬が出て来るのをいつも願っております。
 さて、僕、いや海軍では自分のことを僕と言ってはいけないことになっていますので、これからは私と言います、私は予科練に来てようやく一月が経ちました。
 この一月の毎日と言ったら、もう無我夢中でした。殆ど一時も身体や気が休まる暇がありませんでした。私は自分が怠けものという自覚はこれまでなく、勤勉とは言わないまでも、そこそこ規律正しい生活を送っている人間だと思っていましたが、ここでの一ヶ月で、そんな自慢の鼻は完全に圧し折られました。
 ここでの生活を一通りご報告しますと、朝は六時五分前(これは今は冬時間なのでそうですが、夏は五時五分前です)に「総員起こし五分前!」と基地内の拡声器から起床の号令が響きます。そして六時かっきりに、「ラッタ、ラッタ、ラッタ、ラッタ、 ラッタ、ラッタ、レー、・・・・」と起床ラッパが鳴り響くと同時に、私達は釣床から飛び降り、「釣床収め」に掛かります。一本の廻し紐で五回締めて畳み、保管棚に運びます。これを三十秒で終えなければなりません。次いで急いでそれぞれの兵舎の中にある長い洗面台に向かい、洗面して戻ると、制服に着替え、兵舎の外に出て、分隊ごとに第一練兵場に集合します。
 予科練生徒の全員が号令台の前に整列すると、まず脱帽の上西南方向を向いて宮城遥拝、その後軍人勅諭にある聖訓五条、更には御製を奉唱します。終わると着帽、上着を脱いで、体操に掛かります。海軍独特の体操です。
 この毎朝の朝礼が終わると兵舎に戻って朝の甲板掃除に取り掛かります。兵舎内の掃除のことをこう言います。この間に食事当番に当たっている者は兵舎群の裏手にある烹炊所に行って、班全員分の食事を運んで来ます。因みに私達の班員は十五名で、第十二分隊に属しています。
 分隊士の掃除点検が済むと、七時十五分からが朝食です。兵舎内の細長い食卓の前後に向かい合って食事を取ります。この食卓は温習時の勉強机にもなります。温習とは自由学習時間のことで、主にその日の授業の予習、復習用に朝夜二回設けられています。
 朝の温習は八時からで、その日の課業が始まる五分前まで行われます。五分前になると課業開始に間に合うよう分隊単位で兵舎前に整列し、隊基地に十舎はある講堂のいずれかに向かいます。
 九時五分前からその日の課業が始まりますが、午前中はほぼ座学、つまり講堂の中の教室の各自の机に座って、正面の黒板の前で教える教員の言うことに耳を傾ける、中学の授業と似たり寄ったりのそれです。
 科目は普通学として国語、漢文、代数、幾何、物理、化学、地理、歴史、英語があり、軍事学として航空、航海、砲術、運用、機関、通信、陸戦、軍制・諸法規があります。軍事学は必ずしも黒板を前にした座学ではなく、飛行機の置いてある講舎での授業だったり、作業室での授業だったりします。運用は作業室でロープの結び方やボートの扱い方を学びます。陸戦も実際は殆ど外に出ての演習です。
 普通学は中学と同程度なので難なく付いて行けますが、唯だ物理と化学は、飛行機に関したりエンジン機関に関したりする所も出て来るので、難しく、予習、復習が欠かせません。
 軍事学では通信が二時間ぶっ続けの日もあったりして、課業時間としては一番多く取られています。いわゆるモールス信号の打鍵と聞き取りの授業です。
 モールス信号のことはお聞き及びと思いますが、例のツーとトンの二つの音の組み合わせで字を表すもので、初めて学びましたが、新鮮で面白いものです。
 い、ろ、は・・・・の順で学んで行きますが、いはトン・ツー、ろはトン・ツー・トン・ツー、ははツー・トン・トン・トンです。トンだけだとへ、ツーだけだとむ、です。
 打鍵、聞き取りとも大体一分間で百字を目安として出来るようにと教官からは言われています。
 私は最初の授業終りの小テストでいきなり五〇字を聞き取れたので、教官からは良く出来たと褒められました。
 修身に似た精神訓話の授業もあります。毎週月曜の一時限目に分隊長が講義します。軍人勅諭を中心に、軍人としての精神を教えられます。大楠公の話も早速聞かされました。
 今は冬時間なので課業は午前中は三時限までで、十二時から昼食です。夏時間の時は四時限まであります。
 食事が終わってから各自に入隊時に与えられた銃器の手入れと分隊士による点検があります。また土曜日は一時から四十五分間、大掃除としての甲板掃除があります。
 分隊士や班長のことですが、班長は班を指導する教員で、私達の班は予科練を卒業した一等兵曹の吉井という人がなっています。
 一個分隊は八班で構成、分隊士と分隊長がそれぞれ一人ずつ付きます。分隊長は必ず尉官以上の軍人が勤めるようで、私達の第二十五分隊長は金井という海軍大尉です。
 分隊士も士官か下士官クラスの兵士と決まっているようで、私達の隊の分隊士は矢萩と言って海軍の兵曹長です。予科練は元々海軍に属している組織ですから、そこで働く兵士の階級はすべて海軍のものです
 午後も課業が三時限組まれていますが、その内最後の一時限は必ず別科と言って、身体の訓練のための教練体育の時間になっています。
 この体育にも色々あって、大きくは体操、体技、武技に分かれます。
 体操には毎朝朝礼で行う海軍体操を拡張したものや、銃剣術体操、手旗信号体操などがあります。これらはすべて団体で行います。
 体技は一番中学の体育の時間に似ていて、隊基地内にある第一又は第二練兵場に赴いて、マットを使った回転や跳躍等の、マット運動、そして跳箱や、それからこれは始めて使ったのですが、フープと言って、直径二メートル程の二つの鉄の輪を、何箇所か横の鉄棒で結び、輪の中に入って、両手、両足でその横棒を掴み、又支えにして、輪をぐるぐる回転させる、言うなれば人間車輪のような器械運動があります。一回転毎に頭と足が上下逆様になって進むので、丁度宙返りをしている気分になります。
 この他体技には団体競技としての綱引や排球や籠球や闘球、相撲があり、武技としては訓練講堂での柔道、剣道があります。冬なのでプールを使った水泳や飛び込みの科目は今はありませんが、夏時間になると出て来ると言います。
 それから土曜日は午前、午後とも全て別科となる教練で、午前中は大抵短艇競技が、午後は陸戦の演習があります。
 短艇競技というのは、隊基地の湖岸に建っているダビットという吊柱に吊されている短艇(カッター)を降ろして、霞ヶ浦湖上をチームで橈漕するものです。チームは班毎に作られますから、誰が漕手になり誰が舵手になり、誰が指揮者になるかを班内で決め、他の班の短艇と競走します。この競走に負けると後で罰直と言って、班全員に罰が与えられますから、誰も必死です。手にできるマメは潰れ、尻の皮は擦りむけて、夜ハンモックでは仰向けで寝ることができまません。
 それから陸戦は文字通り陸上での戦闘訓練で、帽子から事業服、半靴、脚絆と、全身白づくめの格好で銃剣を担いで、射撃や突撃の訓練をします。基地の周囲には野原や丘陵が何箇所もありますから、そこで訓練は行われます。来年は遠地での野外演習が待っているとのことです。
 こうして一日の課業が終わる午後の四時過ぎになってから、兵舎に戻り、順番に入浴となって、夕食は夕方の五時からです。
 夕食が終わってからほんの少し自由になる時間があり、この時間に各自汚れた衣服の洗濯や、夕食前入ることができなかった者はこの時に風呂に入ります(もう少し日が経つと酒保と言って、基地内の外れの建物にある売店で、この時間にお菓子などを買うことが出来るようになると言います)。
 自由時間はこれまでで、六時半を回ると夜の温習の時間が始まります。
 間に休憩を挟んで九時迄温習は継続し、終わると、「釣床卸し」と言って、朝保管した棚から各自自分用の釣床を取って来て、梁のフックに引っ掛けて釣床(ハンモック)を作る時間になります。そうして夜の掃除をして分隊士の点検を受けると、全員釣床に入り、順検を待ちます。
「順検!」と拡声器から号令が流れ、分隊長、分隊士、班長達が並んで見回りに来ます。
 その日何事も無ければこれで就寝となるのですが、前に書いたように、短艇競技に敗れていたり、同じ班の誰か一人でもがその日規則を破ったりしていると、それから罰直と言って、全体責任で班の全員、時には分隊全員で、罰が与えられます。罰は必ずしも巡検が終わってからでなく、むしろ夜の温習の時間を使って行われることの方が多いです。
 罰には、「前支え」と言って、腕立て伏せをやらされたり、折角作った釣床を外して幾回も「釣床卸し」を遣らされたり、夜に衣嚢を背負って全員で兵舎の周りを走らされたりしますが、何と言っても、これを嫂さんに言うのは憚かられるのですが、班の班長や分隊士、分隊長らから、身体を殴られたり、海軍精神注入棒とか言われる棒で尻を叩かれることが、一番辛いです。
 しかし自分から望んで予科練に入った訳ですから、こういう罰には耐えるしかありませんし、それだけ身体も精神も鍛えられると思っています。
 以上報告と言いながら、長々と愚痴まで述べてしまいました。
 それでは母上を始め、父上や嫂も寒さに向かう砌、御身大切にご自愛下さい。
                              徹より」


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