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「フスマ、シルエッツ・アンド・ア・キャンディ」

2015年にprivatterに書いていた、ガンドーさんとシキベさんの最初の出会いについてのニンジャスレイヤー二次創作です。

今日(2022年3月16日)チャンピオンREDのニンジャスレイヤーコミカライズの予告ツイートで、このとても見たかったそして本編では詳細に描かれていなかったところがたいへんに具体化して映像で出てきて情緒その他がとてもえらいことになったので、こちらにも置いておきます。




「フスマ、シルエッツ・アンド・ア・キャンディ」


 次にあのフスマが開いたら、私の番がくる。

 薄暗い部屋の隅に座る痩せたみすぼらしい少女は、ちらりと視線を部屋の唯一の出入り口であるフスマへ向け、そしてまた膝に顔をうずめた。切れかかったタングステン灯の弱々しい不安定な光に、殺風景な部屋の影が揺らいでいた。

 少し前まで、ここには他にも幾人か彼女と同じように押し込められた者がいた。彼らは年齢も性別もまちまちだったが、一様にアンダーガイオンの、それも中層以下の者と分かるくたびれた身なりで、ヤクザやヨタモノとは異なる不安げな目をした者ばかりだった。殴られる者の目だ。

 そして彼らはフスマが開き、歪に細長いシルエットが浮かぶたびに、にやにやと笑みを顔に貼り付けたあの男がフスマを開くたびに、一人づつ連れ出され、二度と戻らなかった。壁越しに聴こえた悲鳴を残して。今はこの部屋にいるのはこの痩せた少女だけだった。

 彼女の目の前で殺された子供もいた。泣き叫んだからだ。彼らは突然力づくで浚われ、陰気で不衛生なこの部屋に押し込められた。その中に、鉤爪めいた手を向けて笑うあの男に怯えて、おかあさんたすけていやだ、そのようなことを叫び泣きじゃくった子供がいた。

 ちょうど、彼女と同じくらいの年ごろの子供だった。

「うるせえ」

 痩せた男は筋張った腕で、泣きわめいてもがく子供の頭を掴むと笑顔のまま殴りつけた。子供が動かなくなるまで殴打は繰り返された。

 彼女は泣かなかったし、叫ばなかった。殺されるのが恐ろしかったし、泣いても叫んでも助けなど来ないことを知っていたからだ。彼女がまだ人工太陽の下で日常を過ごしていたときも、ときおり突然姿を消す子供や大人がいた。しかしそれに気づいた大人たちは眉をひそめて呟くだけだった。

「かわいそうなことだ」

 姿を消した子供の中には、彼女より美しい子供も彼女よりかわいがられる子供もいたが、突然襲いかかる訳の分からない不運から、彼らが救い出されることはなかった。アンダーガイオンはそういう場所だった。

 だからこれまでフスマが開き、フスマの向こうの闇から滲み出るように現れる細長い歪んだ影が見えるたびに、彼女はじっと隅で身をひそめていた。他の誰かが連れ出さるのを見ながら、自分が不運に目をつけられないことを願って。そしてもう、あとは彼女だけだ。

 がちゃり。

 不意に聴こえたフスマの鍵が外される音に、少女は弾かれたように顔を上げ、その時が来たことを理解した。恐ろしくてたまらないのに、フスマから視線を外すことができない。ああ、私の番だ。私の番がきてしまった。

 開いたフスマの向こうから明かりが差し込み、薄暗がりに慣れた少女の目が一瞬眩む。反射的な瞬きの後、おずおずと見直した視界には、室外の明かりに縁どられた見知らぬ大きな四角い体躯のシルエットが映っていた。

「誰かいるか?」

 どういうことだろう。あの男ではない。なぜ?

「アー、嬢ちゃん大丈夫か?」

 声をかけながら彼女へ歩み寄ってくるのはコートを羽織った大柄な若い男だった。少女は抱えた膝ごと細い体をきつく抱きしめながら、呆然と男を見上げる。大男は少女の側までくると笑いかけた。

「もう大丈夫だ。助けに来たぜ」

 この男はなにを言っているのだろうか。何が起きているのか、どうすればいいのか分からず、唇を引き結んだまま視線だけを向ける痩せた少女に男は首を傾げた。

「嬢ちゃん?」

 返らぬ反応に男は困ったように頭を掻いた。

 彼はおもむろに少女の座る冷たいコンクリートの床に片膝をつくと、大きな背中を曲げて目線の高さを少女に合わせた。

「俺は探偵だ。嬢ちゃんを助けに来たぜ」

 目を丸くする少女に男は続けた。

「俺の名前はタカギ・ガンドー。嬢ちゃんの名前は?」

「アー……シキベ・タカコ」

「シキベ=サン……9層の子だな。もう大丈夫だ」

 知っている? 問われるままに答えた名前から、自分の住んでいた場所が出てきたことで彼女は混乱した。今初めて会ったばかりのこの男がなぜ自分を知っているのだろうか。そもそもなぜこんな場所に、薄汚い打ち捨てられた暗がりに、彼は来たのだろうか。

「悪い奴は俺たちがやっつけた。シキベ=サンが無事でよかったぜ。一緒に帰ろう」

 やっつけた? 帰る?

「……ナンデ?」

 次々に示される想像の埒外の情報に戸惑う少女の問いに、男は笑顔を見せた。

「そりゃあ、俺たちが探偵だからさ。行方不明者を探して助ける。基本だな」

「……探した?」

「そうだ」

「私を?」

「そうだ」

 少女の問いに、男は繰り返し頷いた。あるはずのない状況が、願うことも諦めていた望みがひとつひとつ肯定される。目の前の大きな男の姿とともに、これは現実であるのだと、暗がりに座り込むしかなかった薄汚れた少女の胸に少しずつ理解として広がり始めた。

 少女は落ち着かなげに視線を左右に彷徨わせ、数度小さく口を開きかけては閉じた。男が待っていると、ようやく彼女は何とか尋ねることができた。

「……ウェー……私……あの、私を、たすけてくれる……?」

「そうだ。……アー……」

 涙をボロボロとこぼし始めた少女に男は再び頭を掻いた。

 冷たい床の上で泣くこの少女を驚かさぬよう、探偵は太い腕をゆっくりと伸ばすと、震える小さな体を抱きしめ、抱え上げた。

「もう大丈夫、大丈夫だ」

 男は繰り返し囁きながら大きな掌で細い背中を撫でた。

「よくがんばったな。もう大丈夫だ」

 宥める低い声を聞きながら痩せた少女は声をあげて泣いた。


「そっちはどうだ?」

 新たな声に、少女はびくりと体を竦ませ、自分を抱きかかえる男のコートにしがみついた。新しい入室者はハットを目深に被り、ストライプ柄の細身のスーツを纏った痩せぎすの男だった。

「アー、あの人は俺の仲間だ。探偵だ。心配しなくていい」

 二人目の探偵は、一人目の年少の探偵と彼に抱き上げられた少女を眺めると、芝居がかった仕草で首を傾げてみせた。

「女を泣かすたァ、お前も偉くなったもんだなァ」

「アンタ何言ってんだ……他はどうだった」

 問われた男は小さく首を左右に振った。このカラテ殺人鬼の巣で生きていたのは、今しがた彼らが拘束した巣の主と、この少女だけということだ。彼らがここを突きとめるまでに、幾人もの無惨に殴り殺され路地裏に捨てられた死体があった。そしてこの場所でも、真新しい死体と、やや時間の経った死体を見た。彼らが間に合わなかった者たち。

「……そうか」

 若い探偵は眉を寄せ、短く呟いた。瞑目して息をつく。

「オイオイ、泣いてる女を不安がらせるもんじゃねえぞ」

 指摘された男が腕の中の少女を見やると、彼の動揺を感じたのか涙を浮かべた瞳のまま躊躇いがちにこちらを伺っている。こみ上げる嗚咽をなんとか堪えようと小さな体に力が入っていた。男はこうした視線を良く知っていた。気まぐれな世界の不安に慣れ過ぎた者の視線だ。かつての自分のような。

「アー……、わりぃ、大丈夫だ」

 もうこれ以上の被害者は出ない。そしてこの少女には間に合った。これは実際上出来なのだ。このアンダーガイオンでは。

「シキベ=サンが無事でいてくれて良かった。うん、良かったぜ」

 不安げな少女を宥めるように、ここで生きている少女を確認するように、大きな掌が少女の背を撫でた。

 少し落ち着いたようだが、まだときおり小さな嗚咽と共に涙をこぼす少女をちらりと見てから、若い探偵は年長の男に問いかけるような視線を向けた。

「あン?胸を貸した女を慰める方法は自分で考えるもんだ。その程度の甲斐性はお前にもあるだろ?」

 顎髭を撫でながら痩せぎすの探偵は弟子兼相棒を眺めて笑みを見せた。顔をしかめた若い探偵は、コートのポケットを探りだした。

「アー……どこだっけな」

 しばらくあちこちのポケットに手を入れると、ようやくみつけた目的のものを掌に乗せて少女の前に差し出した。点々と赤い模様の描かれた白い包装紙に包まれた飴玉。それは彼の武骨な大きな掌には不似合なほどチイサイで、カワイイなものだった。

「ほら」

「エ?」

「シキベ=サン、口開けな」

 大きな手が片手で器用に包み紙を剥ぐと、言われるがまま開かれた少女の口の中に淡いピンク色の飴玉が放り込まれた。

「……イチゴ?」

 舌の上で溶け出す少しの酸味と確かな甘み。戸惑いながら少女がもごもごと口中の飴を確認する姿に、若い探偵は笑顔を向けた。

「ウマイだろ?」

「……ウン」

 頬に涙の跡をつけたまま、少女は小さく口角を上げて頷いた。



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