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【治承~文治の内乱 vol.3】 長谷部信連の抵抗

治承じしょう文治ぶんじの内乱の史話、第3回です。
今回は前回お話しした以仁王もちひとおうの謀叛計画が発覚してしまった際に、以仁王の三条高倉の御所へ検非違使けびいしたちが押しかけてきた時に起きたエピソードです。
(以下にお話しする内容は『延慶本えんぎょうぼん平家物語』『長門本ながとぼん平家物語』にある話をもとにしたもので、現代語訳ではありません)


検非違使たちが以仁王を捕らえるべく、三条高倉にある王の御所へ向かうさなか、すでに主のいなくなった御所に残り、留守を預かる武人がいました。
その武人の名は長谷部はせべ兵衛尉ひょうえのじょう信連のぶつら。以仁王に日頃近侍する武官でした。

信連のぶつらが検非違使らの到着を中門の内で待ち構えていると、やがて検非違使らが騎乗のままどっと御所内に乗り込んできました。そして声高に、
「君(以仁王)、謀叛の企みがあるのを聞いたため、ここに別当宣べっとうせん(※1)を承って参上いたした!」

信連はすかさず返し、
「すでに宮はここにはおわさぬ。別の御所へ移られた。子細承って、われがお伝えいたそう」

検非違使は、
「それはどういうことだ。ここに君がおわさずしてどこへ移ると言うのか。構わぬ、者ども、君を捜し出せ!」

と、信連の言葉を全く解さずに配下の者たちを御所中へ乱入させたのです。

信連は、
「ものごとを知らぬ、田舎検非違使の言うことかな。下馬もせず御所内に入ることさえ奇怪なことなるに、配下に捜し求めよとは。宮の侍で右兵衛尉うひょうえのじょう長谷部の信連という者なり。いまだ知らぬか」

と言うや否や、検非違使に斬りかかりました。
検非違使の配下の者たちはそんな信連を捕らえようと近寄りましたが、たちどころに7、8人が切り払われてしまいます。そして、信連は検非違使の源光長みなもとのみつながに斬りかかろうとしましたが、そこは光長の配下で屈強なる金武かねたけという者がさっと中に入って太刀を合わせ、信連を光長から遠ざけたために光長を斬れません。すると信連はかなわないと見たのか、その金武をすて置き、今度は御所内に乱入した者たちに斬りかかり、たちどころにその者たちを庭へと追い払いました。その様子はまるで木の葉が風に散らされるようでした。

その後も信連は御所の勝手を知っているため、検非違使の配下の者たちをあちらに追い詰めては斬り、こちらに追い詰めては斬って、次々に倒していきました。

そうこうしているうちに、信連の太刀は特注の品であったものの、数多く打ち合ったため、さすがに刀身が歪んでしまいました。それでも信連は太刀を膝に当てて、何度も押し直して戦い続け、打ち取った人数はやがて三十余人にもなったのです。

しかし、さしもの信連も戦い疲れて、自身も多くの手傷を負い、もはや戦い続けることが難しくなってしまって、
「長兵衛尉信連、大事の手を負いたり。留めようと思う者は留めよ!」
と、小門より出て三条高倉の御所から東をさして落ち延びようとしました。

すると、そこへ検非違使の配下である武光という者が薙刀なぎなたを短く持って狙い寄り、さっと信連の足を払いました。信連はその薙刀をかわそうと薙刀の柄に乗ろうと跳ぶものの、どうしたことか乗りはずし、あえなく生け捕られて六波羅ろくはら(平家の拠点)へと連行されてしまいました。

捕らえられた信連は大いに怒る平宗盛たいらのむねもりの前に引き据えられました。

宗盛は、
「まず宣旨の御使に向かって悪口あっこう、暴言を吐くことさえ奇怪なことであるのに、何人かの者を刃傷、殺害に及ぶとはいかがなものか。厳しく問いただして、高倉宮(以仁王)の御在所、この度の事の次第を取り調べ、白状記録したのちは、河原に引き出してこの者の首を刎ねよ」
と指示を出します。

これを聞いた信連は少しも騒がず、嘲笑いながら、
「日本国を敵に回した君(以仁王)のそばに仕える者が、宣旨の御使に悪口し、その配下を刃傷に及んだとて、大したことではない。例え何万の軍兵が来ようとも、一人ですべてを討ち取るつもりであったものを、ちょうどその時あった刀では、思うほど斬れずに多くの者を無事に帰してしまったことが返す返す残念でならぬ。かけがえのない命を君に捧げ、一人御所に残ったうえは、例え御在所を知っていたとしても教えるものではない。それに宮がどこへ渡られたのか私は知らぬ。侍ほどの者が申さないと言い切っているものを、糾問したところで申すものかな。これは我が胸の内に留め置くものである。君のためにこの信連の首が刎ねられること、この世の面目、冥途での思い出である。早く首を召されよ!」

宗盛は激昂して、
「何を言うか。もはや取り調べることはない。早々に河原へ引き出して首を刎ねよ!」
と言い放ちます。

すると、宗盛に近侍していた武士の一人が、
「これぞ弓矢をとる者です。ご覧くだされ。かくあるべきです。この者は度々その武功を賞され名を上げた者です。先年、信連が蔵人所に出仕していた際、末席で狼藉を働き、座を立って騒ぐ者が二人おりました。その二人とも剛の者で、その場の者たちは鎮めることができずにおりましたが、そこへ信連が近づくも、それでも鎮まることはなかったため、信連はすっと寄って、その二人を左右の脇に挟むとそのまま退出し、騒ぎを鎮めて高名第一とされたのです」

またある武士は、
「その次の年のことです。大番役の武士たちが手を焼いていた強盗六名に信連が出くわし、四名を直ちに斬り、二名を生け捕りにいたしました。兵衛尉はその時の顕彰として任じられたのです。このような者をただ斬ってしまうのは、誠に不憫なことです。このような者をいくらでも召し使わされませ。宗盛様が思い直されて、お手元に仕えさせれば、一人当千の働きをすることでありましょう。惜しいことかな。惜しいことかな」

と、他にもその場にいた武士たちは、信連の武勇を惜しんで、口々に囁きあったのです。これに対し宗盛は、
「そうであるならば、切ってはならぬ」
と思い直したとみえて、信連の死罪を免じてしばらく左獄へと収監したということです。(了)

注)
※1…検非違使別当宣。この場合は逮捕令状みたいなものです。当時の検非違使別当は清盛の義弟・平時忠たいらのときただが務めていました。

(参考)
櫻井陽子編 『校訂 延慶本平家物語(四)』 汲古書院 2002 年
麻原美子・小井土守敏・佐藤智広編 『長門本平家物語 二』 勉誠出版 2006 年

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