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終末医療について考える

こんにちは。
介護のつぶやきです。

避けて通れない介護の終焉。それは介護されている当人がこの世からいなくなることです。栄光でも希望でもなくツラいと思っっている介護の終わりは死を持って幕が下ろされます。

ワタシは常々周りに伝えてあります。

「延命措置はいらない」

いろいろな死と向き合ってきたワタシなりの死生観です。肺がんになっても意識の無くなる寸前までタバコを離さなかった父親。脳内出血で33歳で一瞬にしてこの世を去った親友。生まれつき心臓が悪く、再手術をするように進められておきながらそのタイミングを逸して40歳で人生を終えた家内。

そんな人々の死を見つめて自分の時はどうするか考えました。その時たぶん意識はないので自分ではどうにもならない。自分としては見てくれる側の人たちのご迷惑となるのは本意ではない。ただ息をしているだけの延命措置であればやって戴かなくても良いんじゃないかと思っております。

さて、ひるがえって母親の場合です。よく口にしていたのが

「ワシは父さんと違って女だで家でこっそり(葬式)やって(火葬場へ)出してくれればええよ」

という言葉です。それを本意と捉えて良いものかどうか、会話の記憶が寸前まで無い状態の母親に聞いてもちゃんとした答えが返ってくるとは思えません。

物忘れ外来の病院に3ヶ月に1度母親を連れて行きます。先生のお仕事は診察もそうですが、介護者のカウンセリングです。理解戴ける方がいるというのは介護をする身としては大きな安心ですからね。ワタシも何度も助けて戴きました。

その先生と母親の認知のフェーズが上がってきた事を踏まえて、そろそろ終末医療について話すときが来ました。ワタシは自分の主張を伝えます。胃ろうや意識が無くて植物人間状態であれば延命措置は要らない、と。先生は言います。

「その時になってみるとどうなるか分からないものなんですよ」

口では延命措置は要らないと言っても、その時に自分の親だからという感情がわいてきて「措置をお願いします」という方もおみえになるそうです。冷たいと言われるかもしれませんが父親の時は延命措置はお願いしませんでしたと先生に伝えるとこうおっしぃました。

「この状態で話し合っても難しいかもしれませんが、一度お母様と話し合ってみて下さい」

はい、ムリかもしれませんが話し合う必要はあるかもしれませんね。話し合った後で自分の考えがそのままであるかどうかは解りません。それでも一度聞いておくべきでしょうね。まだ会話のできるうちに。

今日はお気楽な話ではありませんでしたが、日々の介護はお気楽に。
では、また。

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