言語と思考3

※2の続きです
 このように、人間特有の情報の得方や、思考の結び付け方は多数存在します。他者への共感もその一つでしょう。例えば、今隣に大切な人を事故で亡くした友人が泣いてるとしましょう。それを見て、自分に全く関係のない人だからどうでも良いと感じる人は少ないでしょう。おそらく、その人を慰めたり一緒に泣いてあげたりし、痛みを分かち合うと思います。このような行動は、おそらくロボットはしないでしょう。壊れたドライヤーをみて、新しいドライヤーが涙を流すなんてことはない。しかし、人間には他者へ共感し、言葉をかけることはありふれたことです。このように、同種の行動に対して、共感したり、憤慨したりするのは人間が生物である証で有り、人間の強みだと感じます。そのような共感のスキルは、歌や小説などあらゆる文化を生み出してきました。もしこの共感のスキルを失えば、多くの文化がなくなるでしょう。言い換えれば、ロボットにはこのような文化を生み出すことは不可能でしょう。人間は、その繊細さゆえにあらゆるものを生み出す力があります。そのような創作や文化的営みにおいては、人間の優位性は認めざるを得ないでしょう。もしロボットにそのような感情と繊細さを施したとしたら、もはやそれは人間になるでしょう。人間とは、理性と精神が混在するカオスな生き物で有り、それゆえ不条理で理解しがたい、如何ともし難い存在なのです。
 最後にもう一つ人間の優位性がある領域があります。それは閃きの思考です。他の表現を取れば、思いつきです。この思いつきの経路は数字では説明できません。人間は無意識のうちに思考しており、過去の経験や思考が結びついた時、新しい閃きが意識にあらわれます。論理的帰結から導いた答えだけで人間は行動を決定しているわけでは有りません。人間はこの直感的な思考によっても行動を決定することが多いあります。これは人間が生物として、生きその記憶を脳内で保管しながら、生き続けているから為せる技です。これは生物でありながら、理性を持っている人間だけが出来る技だと私は思います。常に、あらゆる情報に囲まれそれを肉体が知覚し、脳内で処理し続けている。また精神を持ち感情によっても思考が変化する。今一度、考え直すと人間はあらゆる困難のうちに存在し、生きている。その人間の尊厳こそが私たちのコンピュータに優る部分だと私は結論付け、筆を置きたいと思います。
 まだまだ話したいことは沢山有りますが、長くなりすぎるとだれてしまうので今回はこれで終わりたいと思います。読んでくださった方、ありがとうございました。 
          
            全力!ジャカルタ♪

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