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初対面のおじいさんと墓地を散歩した話

 2018年の夏のことです。「真田山陸軍墓地」の存在を知り、出かけることにしました。真田山陸軍墓地とは、大阪府大阪市天王寺区玉造本町に所在する大日本帝国陸軍の墓地のことです。

 もう少し詳しく説明すると、こちらは国内初、および最大の陸軍墓地で、開園は1871年。総面積は約15,000平方メートルもあり、かなり広いです。墓地には、1873年の徴兵令以前の士官・兵士から、西南戦争以降の日本軍兵士、軍役夫、清国兵、ドイツ兵、捕虜らが眠っています。墓碑の数は5,100基以上。うち、最多は日清戦争の約1,400基。また、8,200余の遺骨が納められた納骨堂を有しています。

 うだるような暑さの中、どうしてわざわざ陸軍墓地に出かけたのかは忘れました。右翼思想にかぶれていた、とかそういうのではなかった気がします。本当に忘れました。

 墓地は「真田山公園」北部に隣接しています。墓地の周辺は閑静な住宅街ですが、もともとは古戦場のあった場所です。

 まずは墓地の近隣にある「三光神社」にお参りしました。こちらは、反正天皇時代(433年から437年)に創建された神社。病気平癒、長寿、金運にご利益のあるパワースポットだそうですよ。今知りました。

 境内一帯には「真田丸」があったとされ、真田幸村公ゆかりの地として知られています。真田丸とは安土桃山時代1614年の大阪冬の陣で、豊臣方の幸村公が、徳川方を迎え撃つために築いた出城です。

 さて、真田山陸軍墓地は、三光神社の西方にあります。木々がうっそうと茂る墓地には、数多の墓碑が連なっていました。その数に圧倒されていると、見知らぬおじいさんに声をかけられました。

 女の人がこんなところに1人でいるのは珍しいから、だそうです。そしてその気さくなおじいさんは偶然にも、この墓地をボランティアとして管理されているスタッフさんのひとりだったのです。

 「案内しましょうか」とおっしゃるので、お言葉に甘えることにしました。吉田さん(仮名)と名乗る男性と墓地を歩きながら、陸軍墓地に関する説明を受けました。

 吉田さんによると、靖国神社は名誉の戦死を遂げられた英霊の眠る場所ですが、真田山陸軍墓地に眠るのは必ずしも「祖国を守る」という公務に殉じた方々ばかりではないそうです。

 船旅の途中で病死した軍役夫(軍人さんの平時のお世話をする人)の方々、俘虜として亡くなった異国の人々、悲しいけれど自死をされた軍人さんなど、国家防衛とは違ったことが起因して、故郷の土を再び踏むことなく亡くなった名もなき人々です。

 日露戦争、満州事変ではあまりにも多くの死者が出たために個々にお墓を立てることがかなわず、合葬墓が建てられたのだとか。

 墓碑には亡くなった方のお名前、年齢、死因などが彫られています。中には「士族」「平民」と、身分階級が彫られているものも。その制度のあった時代のお墓です。Wikipediaによると、身分制度が廃止されたのが、明治4年のことなので、それ以前のお墓です。資料としてもとても貴重な場所だと感じました。

 ご興味のある方はぜひお出かけください。見学をされる際は墓地内の事務所に立ち寄り、パンフレットを購入されることをおすすめします。

 それにしても、なんだかまぼろしのような不思議な出来事でした。帰り道に「あの人、幽霊だったのかな」と心配になりましたが、後日、ご丁寧にお電話をくださったので、ちゃんと生きている人でした。

 ふと思い出して、書いてみました。



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