般若心経入門
本来「ほとけ」とは「真実の人間性」のこと
機械文明が進歩すればするほど、人間性も生活も機械化され、画一化され、かえって自由と創造のよろこびが薄らいでゆきます。
鈴木博士のいわゆる「心の奥底にある無限の創造性」に徹するとき、私たちは自分の周囲にも、自分の中にも、真なるもの、善なるもの、美なるもの、聖なるものを見ることができるでしょう。
またそれらを、真の意味で生かしている大いなるいのちを凝視することもできるに違いありません。
この目が『般若心経』の主人公、観自在菩薩の御目に象徴されております。
この目は、私たちの心に、生まれる前から埋め込まれているから、白隠禅師(18世紀の著名な禅僧)は「観自在菩薩とは余人にあらず、汝(おんみ)自身なり」と示されるのです。
それは、文法的にいう二人称・三人称をひっくるめた大いなる第一人称の「自己」を創造することです。
弘法大師空海が自著の『般若心経秘鍵』の冒頭に「それ仏法遥かにあらず、心中にして、すなわち近し」といい、
一休禅師も般若心経を講じて、
よもすがら ほとけの道を たづぬれば わが心にぞ たづねいりける
と詠まれた心情を発見することになります。
そして、本来「ほとけ」とは、世間でいうような死人とか仏像ではなく、「真実の人間性」のことなのです。
ゆえに、自分の中にわけ入って真実の人間性を開発するのが「般若心経」のこころといえます。
そして、この2400年も前に中インドに生まれた古い経典が、現代に至るまで少しも古くならず、それどころか、ますます新しい光を放つ秘密があるのです。
般若心経は、まさに「不磨の経典・不朽の聖典」といえるでしょう。
般若心経入門――276文字が語る人生の知恵 松原泰道 著
序章 般若心経は生きている
56頁から57頁 から引用掲載