出会いは奇跡

先日、高校時代の友達が
亡くなったことを知った。
高校を卒業してから、
一度も会うことができなかったけれど、
ずっとどうしているかな?
会いたいなと思っていた友達だった。

彼女が生きているうちは、
時々しか思い出さなかったのに、
彼女が亡くなったと知ってから、
一緒に過ごした高校3年生の彼女のことを
いっぱいいっぱい思い出した。

学祭の時のこと、
隣の席ですごく楽しかったときのこと、
彼女の話す声、笑う声まで
鮮明によみがえってきて、
私がどんなに彼女と一緒にいて楽しかったか、
大好きと思っていたかを思い出した。

そしてもう2度と彼女には
会えないんだと思ったら、
すごく悲しくなった。

25年も会ってなかったのに、
生きていつか会えると思ってるのと、
もう2度と会えないんだと
思うのは全然違うって思った。

「親の時間」がなかったら、
私は彼女の死に対する悲しみを、
ちゃんと感じきらずに
自分の中にしまいこんで、
何となく日常の忙しさに紛らわし、
少しずつ悲しみが遠くなるのを待ったと思う。

彼女は、今の私の日常生活には
いない人だったのだから、
そうやって乗り切れたと思う。

「親の時間」を知るまで
ずっとそうしてきたように。

今回、私はこの悲しみを、
ちゃんと聞いてもらおうと思った。

初めて聞いてもらった時、
自分でもびっくりするくらい
気持ちがあふれて、いっぱい涙が出た。

こんなに悲しかったんだなって思った。

彼女に2度と会えないと思う悲しみは、
大好きなおばあちゃんに2度と会えないと
思う悲しみに重なった。

泣いた後、体がずーんと
重くなっていたのを感じた。 
悲しみがからだにたまって、
重くなっていたんだと思う。

彼女が生きているうちに、
大好きだったよ、
出会えて嬉しかったよ、
ありがとうって伝えたかった。

もう一度元気な彼女に会いたかった。

出会いはやっぱり奇跡だと思う。
出会っているとその人と
ずっと一緒にいられるような気がしてしまうけど、
誰かと一緒に過ごせる時間は、
人生の中でそんなに長くはないのだと思う。

夫と子どもたちに、大好きと今日も伝えようと思う。

のんちゃん
この文章は、2013年11月に書かれたものです。

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