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【辛口の福岡史】渡辺與八郎と渡辺通り

福岡市には42の道路に愛称が付けられている。だが愛称というわりに、味気ない名前が多い気がする。東西を貫通する幹線は「昭和通り」「明治通り」「国体通り」だし、博多駅博多口から発する道路は「大博通り」「博多駅前通り」である。「筑紫通り」「住吉通り」「高宮通り」など地名が着く道路もあるが、まあ全体として市民の愛着は薄い気がする。

その中でも例外中の例外といえるのが福岡市の中心街・天神を縦貫する「渡辺通り」だろう。ランドマークの「天神コア」「イムズ」(いずれも建て替えのため閉店)のほか、パルコ、ソラリアステージ、三越、大丸など商都に相応しい商業ビルが立ち並んでいる。福岡を代表する通りで、市民の愛着も強い。

しかし渡辺通りの由来である「渡辺與八郎」を知る人が意外に少ない。市民の関心も薄いからか、全国でも知られていない。ウィキペディアにも数行の説明しか載っていない。

だが福岡市の発展を語るうえで欠かせない人物なのは確かである。西日本シティ銀行発行の長期連載『博多に強くなろう』でも第1回で取り上げられ、「最後の博多商人」と紹介されている。

渡辺與八郎(1866-1911)は紙与呉服店という、当時九州一の呉服店の三代目だった。

そのころの福岡の人口は7万人程度。今でこそ九州の中枢都市であるが、当時の官公庁の出先機関は熊本であり、アジアの玄関口は長崎であった。これらのライバル都市を押しのけて、九州を代表する都市に成長した契機は、2つあると考えられる。九州帝国大学の招致と、市内電車の開通である。

渡辺與八郎はその両方に尽力している。

九州大学については、1903年、福岡市・熊本市・長崎市が誘致合戦を行ったが、熊本市が敷地面積、拠出金ともリードしていた。福岡は市も県も運動費が底をつくなか、與八郎は5千円という大金を出している。このこともあって九州大学の前身である京都帝国大学福岡医科大学が開校した。つづく1911年の九州帝国大学への昇格の際には、大学の近所に遊郭があるという理由で文部省は許可を出さなかったところ、與八郎は保有地4万7000坪を提供し、遊郭を移転させている。九州帝国大学という冠を戴いた福岡市は、以後、九州の産学官の中心都市へと変貌していく。

市内電車を構想し、用地取得・線路敷設に当たったのも與八郎である。西の福岡と東の博多を貫徹する「福博電車」(1910年開業)では新道開設のため多大な土地を率先して寄付。循環電車である「博多電気軌道」(1911年開業)では軌道の敷設に尽力した。天神から博多までは田んぼで、電車を通しても乗るのはタヌキかキツネだろう」と言われるなか、軌道の幅のみならず田畑ごとを買収し、4つの橋梁を架設した。

あまりにも電車の敷設事業にのめりこむことから、親族会議で元来の世襲の名前(與三郎)から與八郎に変えられるほどだった。『博多に強くなろう』によると、「電車が通れば自分の家は倒れてもよろしい」と言ったともいう。それだけ豪胆な事業家だったのだろう。

ただし與八郎が向こう見ずな商人であったかというと決してそうではない。福岡の発展を通じて商売の発展を狙っていた。いや與八郎の構想は鹿児島を含む九州一円にまで伸びていた。これには、與八郎の本業である紙与呉服店が当時九州一の呉服反物商であり、50人を超える従業員が九州一円に行商に出かけていたこととも関係する。『西日本鉄道110年史』では「投資に見合うだけのビジネスが成立するという、博多商人ならではの先行投資であった」と評している。

これほどまでに大きな足跡を残した渡辺與八郎であったが、前述のようにあまり有名な人物ではない。與八郎は博多電気軌道の社長も請われて就任したし、「渡辺通り」という愛称も生前は辞退していた。丁稚や小僧と同じものを着て、同じものを食べて、言葉もお客さんに使うのと同じような言葉で丁稚たちとものを言ったそうである。豪快な投資とは裏腹に、控えめな人物だったのかもしれない。渡辺與八郎と紙与呉服店(現・紙与産業)が呉服店だった岩田屋デパートや土地開発の福岡地所に比べて知名度に劣るのは、それと関係するのかもしれない。

先日、知人から「西日本鉄道は資産家の渡辺與八郎という人を創業者にしている、巨大なディベロッパーなんだってよ」と言われたが、勘違いである。博多電気軌道は開業直後の與八郎の急逝後、推進力を失い、電力供給の問題もあって、九州水力電気に吸収合併される。確かに西日本鉄道の祖といえるが、資本関係はない。

しかし、紙与産業は現在、本社の紙与渡辺ビルから、博多大丸デパートの入った西日本渡辺ビルまで、渡辺通り沿いの多くのビルの所有者なのである。よくよく考えたら渡辺通りは、紙与産業と西日本鉄道(福岡ビル、ソラリアステージ、三越)のビルで占められているのである。つまり、渡辺通りは名実ともに「渡辺通り」なのである。

今、ビル建て替え計画「天神ビッグバン」の真っ最中である渡辺通り。また道幅が広く、西側と東側の一体感が損なわれている気がする。将来、歩行者専用道路になり、東京・銀座のような、いや、パリのシャンゼリゼ通りのような、活気のある目抜き通りに成長する可能性を秘めている。


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