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ベンツを売ってみた

私は確かに会社社長という肩書きはあるが、40代後半のしがない独身男性にすぎない。年収は人並みだし、クルマも時計も持ってないし、だいいち駅前のうらぶれたアパートの一室でささやかな暮らしをしている。

そんな私がベンツを売ることになったのは、会社の創業者である祖父が、まあある程度の資産家だったことに由来する。特にクルマが好きだったわけではなかった祖父だが、一応のステータスでベンツに乗っていた。昭和62年式のベンツSクラス、排気量3000㏄の「300SE」というが、クルマ音痴の私にはどれくらいの価値かはわからない。

そのベンツは父が受け継いだのだが、八十を超える高齢となり、また維持費も馬鹿にならないということで、このたび手放すことにした。ベンツどころかクルマに興味がなく、免許証はかろうじて持っているものの運転することはまったくない私が、中古車買取業者と交渉を行うことになった。

中古車買取といえばガリバー?

さて運転もしなければテレビも見ない世間知らずも甚だしい私が、中古車買取業者といえばどこだろうかとブランドを想起したところ、思い当たるのは、「ガリバー」だけだった。CMも看板も思い出せないが、ともかくガリバーという名前は思い出せたのだから、よっぽど強力なブランドなのだろう。ネットで「中古車買取」と検索すると、グーグル広告の上位に表示されるし、まあ、間違いないだろうと思って、軽い気持ちでフリーダイアルに電話してみた。

セールスマンの代名詞ともいえる中古車業者のことだから、熱心に食いついてくるのかと思っていたのだが、オペレーターはきわめて業務的、いや、はっきりいってやる気のないことに驚かされた。私は車検証もまともに見たことのない素人なのだが、それなりにフォローしてくれると思ったのだが、全然してくれない。
「えっと、クルマの売却を考えているんですけれど」
「ありがとうございます。車種は何ですか」
「えっと、ベンツです」
「ベンツの車種は何ですか」
「車種…えっと、300SEと書いてありますが、これですか?」
「お色は?」
お色?ここで、なんと私は、はと止まってしまった。いつも父の家のガレージにとめてあるベンツ、色って何色だっけ?
「えっと、分からないです。分からないではだめですか」
するとオペレーター、「分からないではだめですね。査定に影響しますから」
どうせ出張査定するのだから、実際に見ればわかるだろうと思いながら、私はこう答えた。「では、確認して折り返し電話します」
「この電話ではなくて、ウェブのフリーダイアルに掛けなおしてください」
…電話を切られてしまった。ひょっとして冷やかしかと思われたのだろうか。
私も私だが、母に問い合わせても「え?何色?黒?」という感じだったので、ヤナセのディーラーに電話で問い合わせて、グレーとのことだったので、電話を掛けなおして色を告げた。「車検は切れていないと思います。いや、切れてません」「年式?昭和62年開始と書いてありますが、これですか?」という歯切れの悪い私の答えに、オペレーターはますます疑心を深めただろう。ともかく聞き取りは10分くらいで終了して、あとは営業が出張査定に来るとのことだった。まあ悪いのは、クルマの色も思い出せない素人の私なのだろう。ともかく明日にでも来るというのだから、会社を休んで父の自宅で待機することにした。

ザキヤマ氏の営業トーク

実際にやってきたのは、30代くらいの営業マンだった。やはり私の先入観は当たっていたのか、やけに押しが強く、おしゃべりで、あと声がでかい。ザ・セールスマンという感じである。「さっそく見させていただけますか、ああーいやー、いいクルマだなあ、いい状態ですねえ」などとおしゃべりを続けながら、30分ほどのチェックを行っていく。私はせっかく出張してくれたのだから礼儀は尽くさないといけないと思って、30分立ち合い、相槌も打った。「査定終わりました。10分で返信がくるので、それまでお待ちいただけますか」とのことだったので、家の応接間に通して、雑談をすることになった。
相手はいい加減なトークを続けていく。「いやー、いいおうちですねえ。広いなあ。いくらくらいなんですかねえ、お高いでしょうねえ」…なんというかお笑い芸人のザキヤマを連想する適当さである。
「あっ、返信が来ました。あっ、この通りです。0円です」。さんざんクルマを褒めていたところの脱力の査定結果、と思いきやザキヤマ氏はここで言葉を継いだ。「そこを2,30万円でどうでしょう」。
えっ、0円のところを30万円?猜疑心が大きくもたげた。
他社の査定額も聞きたいので(実際聞きたかった)と答えると、一瞬ザキヤマ氏の表情は豹変した。
「業者なんて怪しいですよ」…お前も業者じゃないんかい、と思いながら話を聞いてみると、ザキヤマ氏はスマホでブログ記事を私に見せた。「引き取り後に難癖をつけて値下げを行ってくるんですよ。ほら、こんな記事もありますから」。
私も20代のころ営業マンだったが、競合他社の悪口は絶対に言うなと教わってきたので、ザキヤマ氏に対する信用はますます揺らぐばかり。「当社は値下げブロック(?)という保険がありますから」とトークを続けるが、どうにも信用ならない。
とにかく合い見積もりは取らせてくださいとの私の言葉に、賭けに出たのかザキヤマ氏はこう言った。「即決なら40万円にしますから」。
…また10万円上がったよ。ひょっとしてこの車、もっと価値があるのだろうか。そう思わせたザキヤマ氏は結局、2流の営業マンだったのだろう。来週の金曜日に返事をしますからと答えて、今日のところはお引き取り願った。ザキヤマ氏は「メールでアフターアンケートが来ますので、営業マンの評価は満点にしておいて下さい」といって帰っていった。彼への評価はゼロとなった。

いったんはヤナセに決める

2社目に来てもらったのは、ベンツの正規ディーラーのヤナセ。やってきたのはスーツの着こなしもばっちり、トークも上品の営業担当。さすが日頃からエグゼクティブを顧客にしているヤナセらしく、他社の悪口なんておくびにも出さず、スマートに査定し、スマートに帰っていった。ところが後日査定額を聞くと、なんと40万円ということだった。2流の営業マンも、ヤナセの営業マンも、結局は査定40万円か。まあこんなものか、といってヤナセに引き取ってもらうことに一旦決めた。父に伝えたら大きく落胆していた。貴重なクルマだと信じてきたからこそ、毎年何十万円の車検代やメンテンナンス費用を掛けてきたのである。

ところが、ここで事態は急展開する。その日の夜、遠方の友人とチャットしていたところ、何気なくクルマの査定の結果を話した。するとその友人、「ぜったい4,5社に査定してもらわないとだめだよ」ということだった。「ガリバーは絶対ダメだよ」とも話していた。あくまでも友人の私見である。だが、実際にトヨタ車を査定してもらった経験に基づいているのも事実である。
そのころ私は、ある不動産を3000万円でうるか3300万円で売るか検討中であった。そんな商談の片手間にクルマの査定をお願いしていたので、どうも金銭感覚が狂っていたようだ。「100(万円)ちかくまでいくと思うよ」という友人の言葉を信じて、ネットの一括見積サイトを使うことにした。

30分で30件もの留守番電話が

なぜスムーズに一括見積サイトを利用しようと考えたのかというと、本業の不動産業では一括見積サイトは一般的だったからである。例えば「ホームフォーユー」というサイトで不動産の依頼をすれば、信頼できる地元の不動産が、信頼できる報告書を郵送してくれる。私も実際「ホームフォーユー」を使って別荘や財テク用の土地を売ることができたし、信頼できる不動産仲介業者との出会いもあった。
もちろん不動産仲介業者と中古車業者は異なる。サラリーマン時代の経験上ガラの悪い営業マンが多いのも知っている。簡単に個人情報をネットに流すのも怖い。でもまあ、1社1社に電話かけるのとたいして変わらないだろう、手間も省けるし、と、またしても軽い気持ちで、一括見積依頼サイトに登録した。
…登録してわずか1分、「ネクステージ」から電話が掛かってきた。出張査定の日取りを決めて電話を切って30秒後、今度は「ビッグモーター」から電話が。切っても切っても電話が掛かってくる状態にすっかり恐ろしくなった私は、スマートフォンの電源を切った。
30分後、スマートフォンの電話の電源をつけてみたところ、なんと留守番電話が30件も。「嘘でしょ」という社員に、アイコンに付けられた「30件」という数字を見せたらすっかり驚いていた。いや、恐ろしい業界である。
「オートバックス」からも「オートギャラリー」からも電話が来た。オートギャラリーなどは、一方的に電話で話され、断ろうとすると、オペレーターが「ありがとうございました」とこれまた一方的に電話を切られ、勝手に「予約完了メール」を送り付けられた。「ユーポス」からも電話が来たところで、「もう受付終了です」と断った。結局4社から査定をしてもらうことにした。

一気に100万円アップ

ビッグモーターの若い営業マンは、お話にならなかった。約束の一時間半前に「約束の時間前にまた電話しますね」という生産性のまったくない電話をかけてきたと思うと、約束の時間になっても来ないし、電話もよこさない。10分遅れで電話が来たと思ったら、遅刻を謝りもせず、「ご自宅の場所がわからないんですけど」とのこと。カーディーラーが、カーナビで、交差点の角地の家を見つけ切らないなんて。
いくら電話で説明してもらちがあかず、「自分で探してください」といって電話を切ったら、5分で家に来た。私は営業マンに、もう立ち合うことも家に入れることもしなかった。
査定が終わると、営業マンは逆質問した。「いくらで売りたいんですか」。さっぱり見当もつかないので、見当もつかないと答えると、「うちの査定額を踏み台にして、他社にふっかけるんでしょう」と言われてしまった。「そんなことはしません、あなたの会社の出せる最高額を言ってください。最高額と営業マンの態度で、私は決めますから」と答えておいた。営業マンは不服そうに帰っていった。
ところがである。ビッグモーターの営業マンは次の日、電話で誇らしげに「138万6000円です」というではないか。私はしずかに、「ひゃく、さんじゅうはちまん、ろくせんえんですね」と確認したが、声が震えてしまった。友人もびっくりの、100万円超えである。
ネクステージは100万円、オートギャラリーは競り上げについてこれないと告げられた。しかし私は結局、ビッグモーターを選ばなかった。ザキヤマ氏のいうとおり、あとで値引きを迫られないかと不安だったからである。

どんな業界かよ

結局、6社競合の末、契約を勝ち取ったのは、オートバックスであった。オートバックスは偶然かどうかは知らないが、140万円という査定額をだしてきた。しかも「オートバックスの約束」とした条目を、クリアファイルに印刷し、査定後の値下げはしない、見積書を発行するとのことだった。
この「約束」が決定打となった。即日発行された140万円の紙の見積書を父に見せると、大喜びだった。やはり口頭よりも書類の方が信頼できるのはビジネスの掟である。
父のためにベンツの写真を撮ってほしいとのささやかな条件も飲んでくれ、2日後、契約と引き取りの後に記念写真を撮った。その2日後、銀行に記帳に行くと、しっかり140万円が振り込まれていた。まるで営業マンが商談を成立させたときのように嬉しかった。

紆余曲折はあったが、結果には満足している。一括見積サイトを使うのがいいのかは分からないけれども、やはり納得するまでなるべく多くの業者に会って、直接交渉をした方が良い。そして金額と、営業マンの誠意の2つで判断するというのが、ありきたりだけれども一番の方法だと思った。
それにしても、0円査定から140万円査定まであるなんて、どんな業界かよ。あんまり深入りしたくないなというのも、正直なところではある。

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