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暴動や餓死者を生み出す恐るべきカレンダー

カレンダーの季節がやってきました。というかとっくにカレンダー商戦は始まっているのですけれども。

『カレンダー年鑑』という年鑑の編集をやっていたので、カレンダーの歴史をほんのちょっと調べたことがあるのですが、暦というのは宗教や占いと深い関係があるので、すごく慎重になった記憶があります。自然科学も入ってくるので難しいですしね。

でもカレンダーが、時に餓死者、時に暴動、時に大量の破産者を出したのを知っておどろきました。

日本では明治5年11月9日、「明治5年12月3日を明治6年1月1月とする」などを定め、新暦を採用するのですが(明治改暦)、明治政府がそんなに急遽、新暦に変えたかというと、明治6年は旧暦では13か月あり、1か月分の官吏の給与をカットできると踏んだのですな。おまけに明治5年12月の月給も3日分だけ払えばよくなる。

そんなご都合主義の改暦だったので、急遽新暦に変わった民衆は大混乱に陥りました。

わが福岡県に限っても、明治6年6月13日に参加者10~30万人ともいわれた「筑前竹槍一揆」が起きるのですが、一揆の要求事項のなかに、「旧暦の復活」というのがあります。農民の生業にも慣習にも価値観にもマッチしなかったのでしょうね。

そしてカレンダー出版社(頒歴商社)も大打撃を受けます。明治5年11月9日にはもう明治6年のカレンダーを刷ってしまっており、300万部近くのカレンダーが紙くずと化します。おまけに多額の上納金を払って政府に専売権をもらったのにも関わらず、明治6年のカレンダーに限って反故にされたうえに、意図的に改暦を知らされなかったために、明治6年のカレンダー商戦に参加できなかったのです。というわけで頒歴商社の弘暦者のなかには商売が成り立たなくなった者も続出します。

お国は変わってフィンランドの話ですが、気候の厳しいお国柄、気象に関する事柄がカレンダーに書き込まれているのが特徴です。ただ、気象の占いまで記載されており、人々はそれに従って農耕を営んでいたのですが、1867年に占いが外れたために27万人の餓死者を出したことで、占いはカレンダーから消えました。

占いなんて、信じたりしないで(宇多田ヒカル)。ともかく記念日ひとつ変えただけで大ごとになりますから、暦って重要ですよね。

おしまい。

参考文献
日本印刷新聞社編『カレンダー年鑑2004』
川添昭二など『福岡県の歴史』


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