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月形洗蔵の光と影

坂本龍馬の歴史的評価がいぜん分かれているようだ。坂本龍馬が起草させたとされる新国家の基本方針「船中八策」は、その後の大政奉還と明治政府の五か条の誓文につながったとの従前の評価もあれば、「船中八策は否定されている」との歴史研究家がいるし、ウィキペディアの編集者によると船中八策は「創作」である。「薩長連合の仲介」についても、その歴史的意義を否定する人もいれば、そのこと自体を否定する人もいる。個人的には、土佐の脱藩下士に過ぎなかった坂本龍馬が、なぜ長州の桂小五郎に頼まれ、薩長同盟を示す手紙に裏書を書いて保証人になったのか―そのことを考えるだけで、かなりの重要人物だったように思う。

ところで、福岡藩には「月形洗蔵」という勤皇の志士がいたのだが、2020年にその伝記を書いた福岡の郷土史家・力武豊隆さんは、あとがきに坂本龍馬について次のように一言している。

坂本龍馬といえば薩長連合である。犬猿もただならぬ仲の薩長両藩を一介の浪人が一瞬にして握手させたという話は痛快であるが、所詮、薩長関係の推移を無視した、誇張というより虚構である。(中略)倒幕に行きつく薩長連合は形成深化の過程を持っている。坂本が登場する以前に、薩長両藩は、すでに友好関係にあると噂されていた事実、西郷が下関での木戸との会見をすっぽかした時ですら、長州藩指導部の薩摩藩に対する信頼は揺らがなかった事実、これを指摘するだけで、坂本の「功績」を過大視することの誤りに気付かれるであろう。

なかなか手厳しい。出版元ののぶ公房には「そこまでいうことはないんじゃないか」など10件ほどのクレームがあったというが、伝記自体はとても真摯で丁寧な文章で、おそらくこの一文(と攘夷運動批判かな)に10件の苦情が寄せられたのだと思う。

まえがきにもあるとおり、「薩長連合」とは両藩の関係深化の過程にほかならず、月形洗蔵という先駆者がいたからこそ、中岡慎太郎らの仲介が実ったーというのが力武さんの主張である。渋沢栄一や土方久元も「薩長連合の 端を開いたのは福岡藩であり、月形洗蔵である」と指摘しているのも面白い。

というわけで月形洗蔵の伝記を読んだのだが、確かに、福岡藩の代表として長州を説得して尊王攘夷派の公卿5人(五卿)を長州から太宰府に移転させ、幕府の第一次長州征討戦争を中止させた功績は大きい。しかし私が気になったのは、月形洗蔵が福岡藩においてそこまでの力を持つに至った背景である。

この伝記には筑前勤皇党の中心人物であることがまえがきに触れられているものの、筑前勤皇党についての詳細がほぼ全くない。だが急進的な尊王攘夷派と徒党を組んで藩内の政治力学を動かしていたのは間違いないだろう。家老の立花弾正を失脚させようと公然と批判したり、藩主・黒田長溥に過激な建白書を出して参勤交代をやめさせようとしたり、直接謁見できたのは、藩内に過激分子を持つ月形派のリーダーだったからであろう。

そのこと自体に問題はないが、個人的に印象に残ったのは、藩校・修猷館を退学になったエピソードである。不満があるなら黙って退学すればよい。しかし藩主・黒田長溥が視察に来ている前で教頭を面罵し、遠回しに藩政・つまり黒田長溥をも批判していることだ。その手口こそ、後の月形派リーダーのやり口ではないか。

月形派は第二次長州征討の勃発によりその功績が否定され、佐幕派の巻き返しにより一掃される(乙丑の獄)。月形洗蔵は斬首される。その後に「薩長同盟」が成立し王政復古となり、福岡藩は歴史の波に乗り遅れるのだから、月形洗蔵は悲劇の人物といえるだろう。月形洗蔵を評価しようという動きも分かる。

しかし実際に、明治維新がなされると、忘れ去られていた勤皇の志士の再評価が行われる。明治20年代には「征長解兵」「五卿送迎」「薩長和解」といった福岡藩の果たした役割を明治維新の起源として強調する「維新起源」の物語が生み出された(『福岡県の幕末維新』より)。なにも福岡藩の維新起源説は、力武さんによる指摘より130年前からあるのである。月形洗蔵の再評価も当然行われ、1898年には正四位を贈られている。

月形洗蔵と武市半平太がモデルとされる「月形半平太」なる戯曲が流行し、昭和40年までに16本の映画が作られたというのだから、業績は十分に評価されたといえるのではないか。ところが司馬遼太郎の『竜馬が行く』により坂本龍馬というニューヒーローが現れ、取って代わるようになる。力武さんの主張は、そのアンチテーゼといえるのではないか。

個人的には月形洗蔵と坂本龍馬では、坂本龍馬に惹かれる。月形洗蔵は隠然なる過激派分子のリーダーとして藩政を動かしたという意味では、まさに土佐勤皇党の武市半平太を連想させる。ひょっとしたら西郷隆盛が月形をして「志気英果なる、筑前においては無双というべし」と称したのは、筑前福岡藩の内部での彼の権勢ぶりを指しているのかもしれない。

筑前福岡藩を隠然なる力で動かした月形洗蔵と、脱藩して視野を広げた坂本龍馬。その功績の可否はともかく、坂本龍馬こそ、国民的ヒーローになるべくしてなったのだと思う。


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