消えてしまいたくなる夜に。

神田沙也加さんのご冥福をお祈りいたします。

芸能に疎い自分は神田沙也加さんがどなたか、ニュースで初めて知ったくらいでした。

35歳女優、舞台の前日に宿泊先で転落死。

いつもだったら、不幸なニュースのうちのひとつが、当事者が“芸能人”という理由で取り沙汰されてしまったのね。程度の感想で気にもしなかったかもしれません。

ただ、今はどうしても他人事だとは思えない自分がいました。

もう、どこにもいたくない。消えてしまいたい。そう思う夜があります。

20代後半から、何か特別に嫌なことがあったわけでもない日すらそう思うことがあります。

なんだか悲しくて、生理前かななんて思ってもまだまだ先で。

ここから飛び降りたら全部終わるかな。とか。

ここで死んじゃえたらいいのになあ。とか。

帰り道、事故に合ったらここからいなくなれるのにとか。

希死念慮というのでしょうか。

それについて調べたこともありますが、なんというか、もっと軽い風邪のような感じ。

でもその風邪をひいているときに、全力を出したり、頑張ったり、思いっきり笑ったり楽しんだりは難しい。

鬱の症状かな、とか思った時もありますが寝て起きれば大体なんとなく大丈夫になってしまいます。

だから私は一人の夜がすごく苦手。

無為にでも、誰かと一緒に過ごしたい。

そんな夜に、恋人から別れを告げられたら。

(神田沙也加さんについては、本人たちだけが知っていればいいことだと思います。それについては本人同士の話ですものね。いま私は自分自身に起きるかもしれないこととして想像しています。)

もう、どこかに行ってしまいたい。

自分じゃなくなりたい。

子供に戻りたい。

泣いて、母親に、どうしたのって聞かれたい。

でももう母にそんなことで心配かけられない。

だから私は家で一人で泣いています。

なんでこんなことに。と思います。

1人だからでしょうか。

結婚していないからでしょうか。

恋人はいますが、結婚するかわかりません。

もう、訳が分からなくって

子供に戻りたいなあなんて叶わない妄想をしています。

27歳の時に、高校時代の友人を亡くしました。

死因は不明でした、でも今なら少しわかる気がします。

多分“孤独感”です。

私の死因が“孤独感”にならないように、いろいろ解決を試みていますが

どうしても“孤独感”に押しつぶされそうな夜は、ワインを飲んで本を読んで早めに寝てしまうことにしています。

母親にLINEすることもあるけれど、
母だっていつまで生きているかわからない。(あと30年は大丈夫な気もしますが)

こうして、“孤独感”を瓶詰にしてネットの海に流すのです。

***

中村安希さんによる〈ラダックの星〉というエッセイを読みました。

私自身、旅行が好きで、同じ著者の〈インパラの朝〉を読んで次作という印象で手に取りました。

〈インパラの朝〉と違って、〈ラダックの星〉は旅行記ではなく人生記でした。

ご友人が若くして亡くなったことをきっかけに始まったラダックへの旅。

ご友人は自死されたそうです。

ここで中村さんは書かれています。

「下世話な話だけれど、あの子はお金を使い切って死んだのだろうか」(大体こんなことが書いてあったと思います)

お金は人をこの世に繋ぎとめることのできる一つのフックみたいなもののようです。確かに私も、特に使うあてもなく貯めたお金はせっかくだから使いたいとかいう欲はあります。

それから私は、ケンカもするけど母親のことが大好きで大切なので

あの人より早く死ぬことはないと思います。

それが二つ目のフックです。

三つ目のフックは、今の恋人です。

こういう風に、自分を現世に繋ぎとめてくれるフックが多ければ多いほど心安らかに生きられる気がします。

フックは他にもあります。ひとつひとつは小さくて非力だけれど、本もそう。海外で新しく出会う景色もそう。10年ぶりの友人もそう。

美味しいお肉やお酒もそう。

楽しい仕事もそう。

こうやって自分を励まして私はなんとかこの世に自分をつなぎとめています。

でも、私はフリークライミングをやったことがあるから知っています。

どんなにたくさんフックがあっても、なぜか全くすべてが外れて落ちてしまうという不幸な状況が発生するということを。

とくに、大きなフックを逃したときに小さなフックは全く役に立たないことがあるということを。(ないよりはずっとマシなのですが)

そうなったとき、近く誰かがいてくれればまだいいです。

大丈夫か?またここまで来られるか?

自力で上がらなければいけないという大変さはあるけれど、そこに仲間がいるというのはとても心強いことです。

でも自分ひとりで落ちてしまったとき、人がまたその場所まで戻ってくるのはとても難しい。

そんな時、たぶん人は自分でこの世界からいなくなる決断をしてしまうのだと思います。

まだ、書きたいことはたくさんあるような気はしますが、

今日のところはここでおしまいにします。

神田沙也加さん、おつかれさまでした。

おやすみなさい。


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