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召しに生きる


召しとは何か

召しは
神様が「しなさい」と託されるものだと思う

それは、単に得意なことだからとか
好きなことだからではない

得意なこと・好きなことが
召しとして与えられることもあると思う

しかし神様は時に
「私には無理だ」と思うようなことを
召しとして与えられることがある

その召しの中に
神様の愛と力を表してくださる

召しにおいては成功するかどうかは重要ではない
その召しに応答する中で
神様ご自身が表わされていくのだと思う


時々、召しを粗探ししてしまうことがある
召しは与えられるものなのに
自分で探し出そうとしてしまうことがある
悪いことではないが
自分勝手に作り出してしまうこともある
自分が神様になったかのように。


神様は私にどのような召しを備えておられるのか
神様の声に耳を傾けたい

兄弟たち、
自分たちの召しのことを考えてみなさい。
人間的に見れば知者は多くはなく、
力ある者も多くはなく、
身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者を恥じ入らせるために、
この世の弱い者を選ばれました。
有るものを無いものとするために、
この世の取るに足りない者や見下されている者、
すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。
肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。
しかし、あなたがたは神によって
キリスト・イエスのうちにあります。
キリストは、私たちにとって神からの知恵、
すなわち、義と聖と贖いになられました。
「誇る者は主を誇れ」
と書いてあるとおりになるためです。

聖書 コリント人への手紙 第一 1章26~31節

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