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悲しみの底が見えない

昨日、母の余命が残り少ないと思い知らされてからというもの、毎秒悲しみに襲われている。

電車に乗っていても、信号待ちで立ち止まっても、本屋で立ち読みしていても、涙がじんわり滲んでくる。電車ではあふれそうになり目をつむったけど少しだけ溢れてきてしまった。恥ずかしくてコソコソ涙を拭いながら前を見ると、みんなスマホを見てて私のことなんて見ちゃいなかった…

母の病室にいるけれど、この体温がもうすぐなくなってしまう。父の冷たいおでこの感触を思い出すと、もう涙がにじむ。母もいずれあんな風に冷たくなってしまうんだ。

昨日、主治医の先生に今までいた施設の退所手続きを進められた。もう戻れる見込みがないからだ。今朝、特養の担当者に連絡して今日付けで退所扱いにしてもらった。母がいなくなる準備をしなくてはならないことがどうしようもなく辛い。
後日、母の洋服などを回収しに施設に行かないといけないが、さらに苦しくなるのが目に見えているからすぐには行きたくないと思った。

百カ日は別名、卒哭忌という。つまり、慟哭のごとく泣き悲しんだ時期を卒業するということらしい。
私はたった100日で慟哭から抜け出せるとはとうてい思えない。
今は悲しみ以外何も感じられない。
こんなんで仕事できるのかな?

今、地球に隕石が落ちると聞かされても「へぇー」としか思わない。むしろ悲しみから開放されてホッとするかも。これもまた現実逃避な発想なんだけどね。悲しい気持ちを逃す術がなかなかないものだから、こんなくだらないことばかり考えてしまう。ただただ辛いので、何が起こっても感情があまり動かないかもしれない。

この前、たまたま見かけたmahiruさんのほっこりとした置物。置いたら和むんだろうなあ。とてもあったかくてずっと見ていたくなる。本人ともお話をしてその場では買わなかったけど今日もう一度見に行ったらやっぱり欲しくなったので買ってしまった。最初に気になっていた母と子の2体バージョン。もう1種類あったけどそちらは売れた模様。でも第一印象で、この2体は母と私のように見えたからこれにして、あと父のイメージに近い置物も追加した。これをいつか仏壇代わりになるものを作った時に一緒に飾ることにしよう。両親と私の幸せな姿をこの人形に投影するために、買ったあと母の面会に行った時に母のぬくもりを吹き込むためにその手に握らせた。その上、写真を撮りまくる私・・・でも、そんなことをしていたら少しだけ癒された。

母というよりも、この先、私がどこまでこの苦しい状況に耐えられるか。この前までの私の落ち込みようは本当にひどかったし、状況はさらに悪くなってしまったから平静を保つことがこれからの一番の課題になると思う。

明日叔母が帰るので、今は早くひとりになりたい。
ひとりになって思い切り泣きたい。

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