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初盆2日目

昨日はバタバタとしながらも盆棚も作り、飾り付けもしてお膳も2人分用意できたので自分としては上出来だと思う。

お膳は父と母の分をそれぞれ用意したので、それを下げて自分で食べた時は量が多くてお腹いっぱいになってしまった・・・来年からは二人で一つでいいと思うけど、今年は初盆なのでそこはちゃんと分けてあげたいから今日は量を少なめにしてみよう。

お盆は本来「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい逆さ吊りと言う意味が転じて「逆さに吊るされるような苦しみを取り除く」と言う行事になった。もともとは初唐の中国で流布したと言われる「盂蘭盆経」というお経の説話によっている。お釈迦様のお弟子さんが、神通力で亡き母が餓鬼道で苦しんでいる姿を見てしまいそれを助けるために修行僧たちにたくさんのご馳走をして心から供養したら無事に往生できたと言うお話から、それが慣わしになり現在に至るそうだ。

その他、お盆について調べたこと。

初盆は親戚や友人などを読んで住職を招いてしっかりとした法要を行うというのが、いつものお盆との違い。やり方は宗派により様々。

・盆提灯とは?

故人が迷わずにたどり着くための迎え火。早めに飾ってもいいが13日中には飾り終えること。16時から17時くらいに点灯し寝る前に消す。花の模様が入った盆提灯は通常2つで1組。初盆の時だけに使う白提灯(白紋天しろもんてん)は清浄無垢の白で故人の霊を迎えるので白。1つでもいいそうだけど、使ったらお焚き上げしたり供養して破棄するべし。

・精霊棚(盆棚)に飾るもの

精霊馬→キュウリ(馬)に乗って早く戻り、ナス(牛)に乗ってゆっくり惜しみながら帰るための乗り物

そうめん・昆布→細く長く幸せに過ごせるように。よろこんぶ(昆布)

ほおづき→赤い提灯や灯火に見立てている。家の中に置くことでご先祖様を導く役割。

まこも→お釈迦様がまこもで編んだ病床で病人を寝かせ治療したという言い伝えがあり神聖な植物とされる。聖域を形作る意味合いもあり。

水の子→器に蓮の葉をしいてその上に、研いだお米とさいの目に切ったキュウリとナスを盛り付けて水に浸したもの。ご先祖様だけではなく、無縁仏や餓鬼など全ての霊に対するお供えとして飾る。優しい気持ちを込めることでご先祖様への供養にもなる。

霊供膳(りょうぐぜん)→お供えのお膳として家族が食べるものと同じものを出す。本来は一汁五菜の精進料理がいいけれど、故人が好きだったものや家族がその日に食べるものを出せばいいらしい。そして1日3食はさすがに大変だから、今は1日1回とかお盆の間に1回とか、もうこれは気持ちがこもっていれば家族のやりやすいやり方でと言うところだろう。

他にも細かいことはたくさんあるし、宗派や菩提寺によって若干やることも違うみたいだから正直キリがない。完璧にやるなんてよほどの名家か歴史を重んじる家系の方々かだろう。何せ私はひとり。コロナ渦で関西の親戚も呼んでいないからお坊さんも呼ばないし、細かい慣わしは見て見ぬ振り。それでもちゃんと供養したい気持ちは持っているので、それが何より一番大事だろう。間違えてお膳のご飯に箸を刺してしまったり(これは亡くなってから葬儀までの枕元に置くご飯にやること。でもお盆の飾り棚の写真では刺さっているのもあったからやったのに)、伝統の盆提灯とIKEAの星型のフロアランプと言うごちゃまぜ感もあり、決してちゃんとはしていない。私は鈍感だから二人がここに戻っているかどうか気配を感じられないけど、たまに話しかけたりしている。

1年に1回のお盆という日々は、今まで私にとってほとんと意味を持たない日々だったから仕事も普通にしていたしお休みでも特別ご先祖様を考えることなんてしていなかった。親を亡くして初めて、こうした習慣があることで親やご先祖様の存在を思い出し、いつも見守ってくれていることに感謝する機会を与えてくれていると気づく。日々流されて生活している中で、足を止めて大事なことを思い出す日。

本当は霊なんていないし魂が戻ってくることもないかもしれないけど、人間は見えないものを習慣という形であたかも存在するかのように印象つけることで心の拠り所にもなっているのかな。そんな風にも思う。なんかその方が寂しくないし。仲が悪かったらそんなのいらないか。

今日は猛暑だから一歩も外に出ていないけど、もう少し日が傾いたら外に行こうかなあ。とにかく連日暑すぎて、ちょっと外にいるだけでダメージが大きい。ご近所さんにご挨拶だけは行っておこう。

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