魂の手綱

先週は月曜日に腑抜けて、火曜日に間借りカフェの試作と打ち合わせ、水曜日にこれからのコミュニティや地域の方向性を秋風に吹かれながら話したりお弁当を作ったり、その後も学童でもみくちゃにされたり山に登ってキャンプしたり、久々の近所の友達と海で缶酎ハイ飲んだり、消しゴムハンコのワークショップに参加したり、何とも盛りだくさんな毎日だった。その中で何度か人の死を考えすぎて、自分のもともと揺らぎまくりの軸からさらに引き剥がされ落ち込む日々もあった。

消えていった命のことを残念に思ったり悲しく感じたりするのはもちろん悪いことではないけど、必要以上に考えることは自分の魂にとってとても危険な状態になっているとはなかなか気づけなかった。お彼岸ということもあってか、両親の死もあってか、この世ではない世界がいつもよりも近くなり、そこへ引っ張られていたんだろう。友達にも最近こんな風に思ったと話したら、みんな形は違えど誰か他の人の死や人生に心を揺さぶられていることがわかった。

私たちは今、よりいっそう自分の魂をしっかり自分に繋ぎとめておかないと容易に離れていく、そんな時期に突入している気がする。

私は山で自分の全身を使って山道をコケないように必死で足を運んだりバランスをとったり、生存本能を掻立てる必要性と直面し自然を感じられたこと。

学童で予想のつかない行動をする子供達にもみくちゃにされたこと。

余計な雑念を抱える余裕もない時間を過ごしたことで、手放していた自分の魂の手綱をまた見つけて掴み直すことができた。

なぜ思考は自分のものなのに暴走するんだろう。思考と心は別なんだろうか?

答えはわからないけど、とにかく言えるのは家にこもってパソコンやスマホの世界だけで1日を終わらせてはいけないということ。外に出て、できれば自然に触れること。動物や虫や植物や、やんちゃな子供と戯れること。

今私が実感して、言えるのはそれ。

そこに海の向こうへ旅をすることが加わったらもっと幸せだな。



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