起こることには理由が必要か

最近、仕事を探さずに自分のやりたいことだけをしている私だが、自分の生活には関わらないけれど自分で命を絶つ人について考えすぎている。最近は有名な女優さんが亡くなったが、芸能界で立て続けに亡くなっているのを知るとそこに暗く深い闇が見えてきて飲み込まれそうになる。だから、ここ数日は夜の暗闇が怖い。暗くなってから家にひとりでいる時間が怖い。目に見えない暗闇がまた誰かを、自分をこの世から連れ去ってしまいそうで。

何より、もし自分で命を絶っていたとしたらその理由が見えてこないことがきっと私の中でさらに怖さを助長する。理由や根拠のないことに弱いんだろうな、私は。魔がさす、って言葉もあるように瞬間的に行動に走ってしまうこともあるかもしれないと思うと自分がいつそのような状況に陥るか分からない。今こうして、何事もなく過ごしているけれどふと死にたくなったりするのだろうか。なんで直前まで何事もなく家族と過ごしていたのにそのようなことになってしまうのか。なんで?なんで?ばかりで、私の頭の中では処理できないことで占められ心も正直ふさぎ込む。

映画でも、内容があまりにも衝撃的だったり救いがない終わり方をしていたりするとその後しばらくの間、落ち込みが止まらない。何をしていても思い出してしまって気が晴れない。だから今の私のこの落ち込みや、日が暮れた後の暗闇が怖いことはどうにもならない。ならないから、こうして綴ってみたりしている。みんなこのことを余り話さないのは、どこか私と同じ感情になっているからだろうか。口にすると怖さがますというか。

切り替えができない。頭の中が暗くて重い。

何かやっていたり人と会っていたりしたら大丈夫なんだけど一人になるとだめだ。つい考えてしまう。延々と。考えても仕方のないことだとは分かっているのに考えてしまう。

自分もかつて、離婚や親の認知症などで生きていく気力がなくなりそうな時があった。自殺はできないけど、このまま消えて無くなってしまってもいいなと毎日思っていた時期がある。とにかく毎日が辛くて、未来には絶望しかなくて、だからと言って死ぬ勇気もなくて、交通事故にでも合わないかななんてぼんやり考えたりしていた。人に相談できるのは、まだ精神状態が軽い方だ。深刻になればなるほど人に相談はできないし、人に会う気力もないから一人でどんどん抱え込んでしまう。あの時、何もなくてよかった。生きているから、今がある。

自分のことを棚に上げてだが、この世に起こることは全てにおいて説明がついてほしい。そうなればきっと私はすっきりするんだろう。でも実際は違う。この世はきっと不可解、不均衡、不平等、不安定だからこそこの世なんだろう。それがなかったらただの天国だ。生も死も必要ない。

生まれる命がやがて亡くなる運命にあるのはこの世の生きるもの全てに共通している。

どう生きるか

どう死ぬか

もしかしたら、どう死ぬか、は余り重要ではないのかもしれない。あまりにも生きている人間にとって死というもの、死の先はどうなるのか、が未知すぎてこぞって色んな憶測をするから死は怖いものという認識になりがちだ。私もそう。でも、人間はいつか死んでしまうし誰でも終わりは来てしまうからそんな事を考えている暇はないんだって。これ、自分に言い聞かせ(笑)

どう生きるか

やはりこれにつきるんだ。

誰かが自ら命を絶ってしまった。それに対して本人以外の誰が考えたところで100%の真実にはたどり着けいない。理由すらないかもしれない。本人すら分からないかもしれない。それを勝手に考えすぎて、その人の写真や映像を見ると背筋がゾワッとしてしまったり、その人の話題を怖すぎて話せなくなったりすることは余りにも稚拙なことだ。それだけ、自分にとって印象深い存在だったこと、その人の存在や作品で楽しんだり感動したりしたことに感謝することの方が、死んだ理由をひたすら憶測するより大事だと思う。

もう2度と見られないし、その存在がこの世にいないことは心から悲しいし残念だし悔しいけど、それでも私たちはまだこうして生きている。

たいそうな事を成し遂げなくてもいい。ただ自分が今少しでもやりたいことがあれば、それを楽しんでやってみることだ。どう生きていくかなんて考えていたら、何だかとてもすごいことをやらないといけない気になるけれど、したいことをすることがイコール生きることになるのだから。だから、人はいつか死ぬのだから今この瞬間を味わおう。自分を大事に、自分を大事にしてくれる人たちも大事に。

よく生前父が言っていた、「これからは〇〇(私の名前)さんの時代なんだから」だから、ソファーもテレビも自分ではなく私が欲しいものにしなさい。つまりは、好きにしなさい、と言うこと。その当時は何気なく聞いていたけど、今となってはその言葉がとても尊い。私はまだ、両親の死とちゃんと向き合えていないと思う。それでも、二人が与えてくれたこの体とこの命はちゃんとやりたいことを右往左往しながらもやっている。いつかそうやっているうちに向き合える瞬間が訪れるのだろうか。まだまだ幸先不安だ。安定も安心もあったもんじゃない。だけど、出会った仲間と助けてくれる人たちの中でどうにか死ぬまで生きていこう。

もし死にたくなったらこれを読み返そう。

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