父の四十九日を迎えて

長いような短いような日々が過ぎ、父が亡くなって四十九日を迎える。

最近は父を亡くした喪失感と、母ももうすぐこの世からいなくなるかもしれない恐怖で毎日頭がおかしくなりそうだった。

しかし昨日から父の妹である叔母がうちに来てくれて、家に一人ではない状況になると安心感が出てきたのか何とか持ちこたえられそうだ。家に誰かいるというのはこんなにも安心するものなのかと、すっかりそのことを忘れていたほどどっぷり孤独だった自分に同情した。

そして、実家のマンションにお住いのご夫婦がお線香をあげに来てくださった。このご夫婦はだいたいうちの両親と同年代で、ともにこのマンションには長く暮らしているのでよく挨拶を交わしたりしていた。久々にお会いするのが父の遺影の前でとは、物悲しい限りだ。

昔、母がこちらの奥様にいろいろと助言したり声をよくかけてうちにもあがってもらったりしていたらしい。とても気さくで世間の色んなことを知っていて頼りにしていたと。

父に関してはというと、余りたくさん話はしないけど外でよく見かけて遠くからでも姿勢の良さときちっとお洒落に着こなしている姿でうちの父だとすぐに分かったという。よく外に出ていたし、いつも母と一緒でニコニコしていたから羨ましかったそうだ。

またその奥様のお母様が亡くなられた際に、このマンションでうちの両親だけが葬儀に参列したそうで、それには本当に感激したとおっしゃてった。前にうちのお隣さんからも、奥様の葬儀にうちの両親がやはりマンションの中で唯一参列してとても感謝していると聞いている。

私は認知症になった両親の弱った姿ばかり記憶に留めてしまっているが、それまでの両親とはこんなにも人への気遣いに溢れ、人から感謝されるそんな人たちだったんだと思い知らされた。

私は両親の何を見ていたのか。認知症になってからのことが私にはあまりにも鮮烈な記憶で、それまでの両親の生き様からすっかり遠のいていたようだ。もっと両親の話が聞きたい、そう強く思った。今更遅いかもしれないけど。

お二人が帰られた後、父の遺影の前で泣きながら謝っていた。

ごめんね、お父さんのことを深く見れていなくて。

父は人に対して本当に礼を尽くす素晴らしい人だった。母もそうだ。

四十九日とは、極楽浄土へ行けるのか七日ごとに判決が下されその最後の判決の日が49日目になることを言う。父はきっと全てをクリアし、極楽浄土への切符をつかむことだろう。

私はまだまだこのままじゃ極楽浄土へは到底行けそうにない。だからこうしてまだ生かされているのだろうな。


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