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神様っていると思う?
クリスマスが近くなって、町が華やかに飾られる季節。
学生時代、クリスマスはいつも歌とともにありました。
中学高校はプロテスタント、大学はカトリックの学校の
しかも聖歌隊に所属していた私は、クリスマスといえば
たくさんの本番を控え、緊張の日々だった気がします。
社会人になってからはすっかりキリスト生誕の行事とは縁遠く。
子どもが生まれてからはプレゼントに翻弄される
アドベントの日々となっています。
神様っていると思う?
不意に我が家の小学生から質問を受けました。
神様ねぇ。
長いこと聖歌隊なんてしていて、
神様が身近だったからこそ言葉につまる。
「大いなるものはいると思ってるよ。」
そして、彼女はどう思うのかを聞いてみました。
「私はいないと思う。」
はっきりとした口調に少し驚いて、
理由を聞いてみたら、
「もし神様がいるなら、みんなが苦しむようなこと、起こらないと思う。」そうだよねぇ。
彼女も保育園はキリスト教系で、活動の端々に
神様がいた故に思うことがあるのかもしれません。
人間の幸せのためにいるはずの神様が、
争いの種になることがある。
なんでだろうなぁというのは私の長年の疑問。
知らないのに、よいも悪いもないよねぇ。
キリスト教しか知らなかった私は、
知識と情報量の差に不公平を感じて
イスラム教のワークショップを開催したことがあります。
そして先日はHUCのイベントでモスク見学ツアー。
![](https://assets.st-note.com/img/1638909713042-NPyWL6xYvC.jpg?width=800)
素晴らしい解説を聞き、美しいモスクを見学しながら、
キリスト教もイスラム教も仏教も、それぞれに
影響しあって世界が発展してきたことを改めて思います。
そして建物にしろ絵画にしろ音楽にしろ、
神様を想うゆえに作られたものがアートとして人々の心を惹きつける。
神様が人類にとって必要かどうかと言ったらやっぱり必要。
信じることで救われることもあるでしょう。
争いの種にならないために何が必要かと考えていて
「誰も否定しない」ってことか!
と何やらとってつけたようなところに思い至りました。
世の中の争いは、大概「自分だけは絶対に正しい」と
思いこむところから始まっている。
久しぶりに聞きに行った
後輩たちのクリスマスコンサート。
涙が出るほどに美しかった。
神様がいるかどうかは私には分かりません。
ただ私はやはり聖歌の美しさに感動します。
その心の震えは大事にすればいいんだな、と
思考は元の位置に戻って落ち着きました。
![](https://assets.st-note.com/img/1638910899809-BwvKX8sGBd.jpg?width=800)
ちなみに今の家には神様に関するものは何もなく、
実家は仏壇と神棚が同じ部屋にあるようなふつーの日本人家庭です。
『母親アップデートコミュニティ公式のアドベントカレンダー「クリスマス ストーリー」(https://note.com/huc/n/n1f310d3ac306)の記事です』
ニューヨークのよこねぇからバトンを頂いて
仙台で活動する敦子さんへ。
バトンを繋げたことに感謝します。
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