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子どもの成長

noteを書かなくなって半年ほど経ってしまったけれど、子どもたちは順調に成長し、母もそれなりに成長している。何故書かなくなってしまったのか、その理由はハッキリとしないのだけど、この半年、あー書きたいな、書こうかな、という思いはチラチラしていた。でも、疲れたな、が先行してしまって書かずにここまで来てしまった・・・ので、新しい年も明けたし、また少しずつ書いていこうと思います。

スウェーデンの学期始まりは8月。娘は8月に幼稚園へと通い始めた。1歳と少し。人に寄っては、預けるにはまだ早い、と言うかもしれないけれど、スウェーデンでは極々一般的だし、家には幼稚園ほどのおもちゃも無いし、親は幼稚園みたいに毎日クッタクタになるほど外遊びに付き合う気力体力も無いし、何よりたくさんのお友達と時間を過ごすことは、子どもにとっては楽しく、そして多くの学びのあることだと思うので、この年齢で預けることには何の不安も疑問も無い。

その親の気持ちを知ってか知らずか、慣らし保育中の娘は全く泣くこと無く、大人に手こずる暇を与えずあっさりと幼稚園での生活に慣れてくれた。半年経った今も、娘は幼稚園に行くことが大好きだし、教室には走って入っていく。じゃあね、バイバイ、と手を振る母に笑いながら手を振ってくれるけど、時には無視される。それほどここにいることが楽しいのだ。有り難いことだ。

息子もそうだけど、娘も幼稚園に通い出してから、単語をたくさん喋るようになった。今まで喋っていた娘語の数が段々減ってきている。これはきっとどの親も感じるだろう、ほんの少しの悲しみを、私もまた感じている。娘とおしゃべりはしたいけど、娘語を聞きながら相槌を打つ”おしゃべり”も、それはそれで楽しくて愛おしい時間なんだもの。

息子はますますお父さんっ子になっていて、もはや母が迎えに行っても「お父さん欲しいー」と泣き叫ばれたりする。悲しい・・・家に帰って来ても、靴も脱がず、上着も脱がずうだうだしては「お父さんは?お父さん来るまでここで待つ」と玄関先で待っていることも多々ある。父不在、母夕飯の支度中に妹に手を出したり、妹のおもちゃを奪ったりで泣かせることはしょっちゅうで、母も人間なので大声を出してしまうことだってある。そういう時は決まって「お父さん欲しいー!」と大泣きされてしまう。わかるかな?この時の母の気持ちが。嫌われたくて大声出してんじゃないんだよ・・・私だって大声出さず、遊びメインの父のような母になって「お母さん欲しいー」って言われたいのだよ・・・

この半年、母はこの葛藤と日々闘っている、と言っても過言ではない気がする。子どもが喜ぶかな、とご飯のメニューを決めたり、遊びのプランを考えたり、汚しまくった上着の洗濯したり、全ては子どものため、と行動している事が、全て影の行動で陽の目を見ることが無い。陽の目を浴びるのはいつだって大声あげてる時で、いつだって母は子どもたちの敵になってしまっているのだ。はぁ、切ない・・・この切なさが大いなる喜びになる日を信じて、母は今日も日陰の行動に精を出すのです。

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