見出し画像

ロゴTと自意識

 蒸し暑くなってきた。学生時代から着古していたTシャツたちを取り出してみたところ、ガシガシ洗濯をしていたもので随分とくたびれてしまっていた。
新調しようと街に繰り出してみたのだが、Tシャツを買う、というそれだけのことが随分難しくそのまま帰ってきた。なぜこんなに難しいのか、と考えてみて、Tシャツはメッセージ性が強すぎる、という結論に至った。

 もともとすっごいおしゃれさん、という訳でもないのでそこそこ変じゃなく着れればこだわりはない方だ。そんなスタンスに対して世の中に白もTシャツは溢れかえりすぎているのである。色やサイズやシルエットが違うのはいいのだけど、割と似たような形の似たような値段のTシャツが一つの店だけで2,3着あったりする。そしてちょっといいな、と思ったデザインに限って何かのバンドや映画のロゴが入っていたりする。

 ロゴT。最近の流行はヴィンテージロゴTというらしい。かわいいな、と手にとってみるものの、果たして私は本当にビートルズが好きなんだっけ?ピンクフロイド聴くんだっけ?と考えてしまうのだ。大学にもバックトゥーザ・フューチャーのロゴTを着ている先輩がいたのだが、その先輩のことを心の中でずっと未来先輩と呼んでいた。(ブラッシュアップ•ライフではパーカーのロゴにメッセージが秘められているという粋な演出があったので、それに倣うと未来から来ているのかもしれない)

 だいたい世の中のロゴTというやつらはメッセージ性を持たせたがりすぎている。I♡NYのTシャツ程ではないが、やたらメッセージが目につくのだ。直訳が頭に浮かんで、そうかこの人はその代弁者なのか、という気がしてくる。平和を訴えていたり、謎に形容詞だけ書かれていたりする。何かしらの商品とか海外の大学とかチームのTシャツを着ている人は、あの代弁者感に耐えられているのだろうか。

 そんなわけでこんな過剰な自意識のせいでTシャツ一枚買えやしない。どうしても選ぶ手が止まってしまうのだ。どう考えても生きにくくなるだけなのに、人はなぜ自意識とか恥じらいを持つ羽目になったのだろう。Tシャツむずい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?