1960年代生まれ 初体験 つづき

3回目の乗り換えホームの「きそば」で満腹になった。

次の鈍行列車に乗り、目的地の駅まで約3時間。
小学生の私には3時間という時間の長さに悩まされる。それでも関東平野の先に見える山々が見えると近いような気がした。

ようやく目的地の駅に着いた。
駅からバスでさらに30分だったが、なにせ過疎化が進む集落、バスの本数も1日に数本。
駅についてもさらに待たされる。
駅から”ばあちゃんち”に電話。
ばあちゃんは、すでに分かっていたようだ。「駅に着いたのか?、バスまだないだろ?」と。公衆電話から掛けている私は10円が落ちていくのが不安だった。残り10円が10枚しかない。バス賃は小児90円である。
とにかく、早く話を済ませて90円を残しておきたかった。

集落へ行くバスが着て乗り込むj。夕方の通勤帰りの勤め人がバスの中へ押し込まれるように乗っていく。
私の降りるバス停は終点の一つ前。バス停毎に一人、二人と降りていく。
終点まで残り4か5つ手前のバス停で私以外の人は全員降りていった。
乗客が私一人になり、運転手が声を掛けてくる。次のバス停で降りると伝えると、降車ボタンを押さなくても止まってくれた。
90円を運賃箱に入れて降りると、運転手が「子ども運賃100円になったんだ」と言われ、一瞬固まった。でもどうすることもできない。もうポケットの中には硬貨一枚さえない。
しかし運転手は「この次からは100円出してな」と言って、ドアを閉めバスが走り出した。ホッとした。ないものはないが、どうすることもできない。でも良かった。

バスを降りた頃には辺りは真っ暗。外灯もない道をすり足で道の進む方向を確かめながら歩いていた。私は「夜盲症」で暗いところは全く見えなかった。
道の先の方から聞きなれた声がする。
ばあちゃんだった。夜盲症の私を迎えに来てくれた。優しいガラガラ声と皺だらけの温かい手がとても嬉しかった。家出してきて良かった・・・

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