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蝓蜊の里ビートルズ「ゆりお君、ゆりこちゃん」現在俺の家でお昼寝中 《前編》

〜7月には皆さんにお披露目 里山整備のお宝〜

里山に放棄された竹林整備で発生した大量の竹。その竹をチップにして積み上げていたらなんと大量のカブトムシさんが発生、こりゃーすごい、子どもたちの自然観察用に提供しようと始めた蝓蜊のカブトムシハウス。名付けて『俺の家』

昨年はいつの間にかいなくなっていましたが、今年はすくすくと育っています。まだ幼虫ですが6月に入りそろそろ巣を作りさなぎになります。成虫になるのは7月中旬ごろでしょう。ビートルズ俺の家の中はたくさんのカブトムシさんでにぎやかになるでしょう。

◎荒れ放題の里山、誰も入らず放棄森林・竹林ばかり

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いま里山は誰も人が入らず、戦後植樹した杉ヒノキなどが手入れされず放棄されています。枝払いされず伸びきった枝などで太陽が当たらず暗ーい空間です。

サル、シカ、イノシシはてはクマなどの遊び場になっており、山に入るれには相当の勇気がいります。大雨や台風などの自然災害で道や段差が崩れ落ち見るも無残な形です。

村の集落近くには竹林が広がり、荒れ放題です。特に竹は根が強く、雨後の竹の子、と言われるように毎年毎年生えてきて一年間伐せずにしておくとすごいことになります。

私が住むここ高浜町中寄でも、村の背後がすぐ山林とあって放棄された竹林、杉ヒノキが倒木となり見るも無残な状態となっていました。我々の世代、戦後すぐの幼少期、学校の放課後遊ぶといえば田んぼの畔、山裾のため池、村を流れる川、少し遠出して山へ、自然が学校でした。

◎Uターンして山整備作業に感激!

定年間近に故郷若狭にUターン、村の背後にある牧山に登った時、尾根はシカの食害でしょうか赤土の尾根が丸出し、かって山の木の切り出しに使ったという馬道は崩れ落ちていました。

そこで暇に任せて取り組んだのが牧山への散策道と放棄竹林整備でした。幸いに山林の方はれいなん森林組合が重機を入れ整備をしてくれました。竹林の方は村の我々同世代の衆に声を掛けたら“やれるだけやってみよう”、となり地域団体「蝓蜊の里くらぶ」を設立し里山整備活動をスタートさせました。

蝓蜊の里集合写真①

◎「蝓蜊」(ゆり)って難しい、どういう名前かな
ところで蝓蜊の名称についてよく聞かれますので説明。ここ中寄村は昔無から「蝓蜊(ゆり)」村といわれ今も蝓蜊神社、蝓蜊古墳、蝓蜊神社があります。

難しい名前ですが、古来の所以は確かではありませんが目の前が海だったこともありハマグリなどとって生計を立てていた、朝鮮大陸からたどり着いて人々が当時珍しい鉄の細工物をして生活していた等かららしいです。

◎素人集団の竹伐採作業、身体も軽く楽しい

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竹を切り整備するにしても最初は何をしていいのやら、ド素人ですのでちんぷんかんぷん。しかも還暦を迎えた高齢者です、しかし少しづつやっていると太い竹の切り方、倒し方、チェンソーの扱い方、枝打ちのやり方など少しづつ身についてきました。

継続してやっていると身体も軽くなり動くものです。汗を流し体も動くようになると飯がうまい、ビールがうまい、我ながらこんな世界があったんだー、と思ったものです。

◎竹チップに大量のカブトムシの幼虫

カブトムシ幼虫たくさん

カブトムシハウス俺の家と話がそれましたが、放棄竹林整備で発生した大量の竹。すぐ枯れてしまうかと現地で山積みしていましたが、なかなか枯れず場所をとるばかり。

腐り始めるとやぶ蚊などの害も出てきて悪臭もひどくなりました。せっかくの竹材、再利用できないかと考えていたら県の里山海研究所(若狭町)が粉砕機チッパーを貸してくれることになりました。

ボンボン粉砕機へ竹を放り込むと、半日もやれば大量の竹を処理してくれます。当初は竹チップを畑にまくとふわふわした土づくりによい、と聞きつけた近くの方が大量に持っていきましたが、ほっておいたら竹チップにはなんとカブトムシの卵が大量に産みつけられていました。

後編へつづく・・・こちらから

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