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思い出の本屋が、なくなっていく

昔から本屋が好きだった。

家族で買い物に行くときは、決まって本屋に連れて行ってもらっていたし、おもちゃ屋やゲームセンターよりもその場所にいることが好きだった。今でも外に出れば意味もなく本屋を探して入るし、なんならアルバイトまで本屋を選んで働いていた。

じゃあ本を読むのが好きなのかと言われるとそうでもないと思う。
アニメや映画に比べてテンポが悪いと感じるし、読めない本はとことん読めない。ある程度の量を読み始めたのも高校に入ってからだし。今でも月4冊ペースを越えることはほとんどない。

今もこの文章を書きながら、今日1日で読むはずだった伊坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」を1ページも開いていない現実から逃げている。

そんな僕がなぜ本屋が好きなのか?

明確な理由は今でもわからない。
でもあの場所が好きだ。人生で初めて本を買った場所。大好きな本を買った場所。単行本を山のように買った場所。面白そうで買ったけど1ページも読まず5年が経過した本を買った場所。どれもどこで買って、なんで買ったのか、しっかりと覚えている。

でもそんな本と出会った場所はどんどんと姿を消していく。

小学生のころ習い事をバックレていった本屋も
中学のころ来ない友達を待っていた本屋も
高校時代死ぬほど通った本屋も
大学2年間真面目に働いた本屋も、もう一つも残っていない

理由は痛いほどわかっている。

本はもうオワコンなのだ。

映画やドラマですら倍速で見る若者が、何時間も時間をかけてと文字を追う事なんてほとんどないのだから。

そんな新規層が全く期待できない中で台頭してきた電子書籍やネット販売によって、残っていたパイはどんどん食い尽くされていく。

漫画は多様化し、増えすぎた作品を全部書店に置くことができず、小説はそもそも売れず、ビジネス書人気も一時期のブームと共に消え去った。

今の書店で強いて売れるのはアニメ人気で爆発した原作漫画か、おじいちゃんおばあちゃんが買う歴史小説位なものだ。

そんな環境の名中で体力のない本屋はどんどん倒れていく。

本屋が全部なくなるなんてことはないだろうけれど、新しい何かを始めたところか、体力があるところ以外はもう残らないだろう。

じゃあ本を読めとか、書店に行けとか、昔はよかったとか、今の若者はどうなのかとか、そんなことを言うためにこの文章を書いているわけでない。

世界が変わっているのだから環境も変わっていくただそれだけの事

必要ないものはなくなり、新たに必要なものができる。
長年の歴史の中で紡がれてきた歴史の一部でしかない。

ただわかっていても寂しいものは寂しい。

その感情を忘れないためにこれを書いている。

僕は「寂しい」って感情が好きだと思っていた、

本を読むのも、映画を観るのも、アニメを観るのも、ドラマを観るのも、この寂しさを感じるために観ているといっても過言ではなかった。

はじまりがあって、一度終わってそれが辛くて何度も思い出す。

あれほど、心が動かされるものはない。

それが忘れられなければ、忘れられないほどいい出会いをしたと思えるし、新しい出会いへの希望にもなる。

だから僕は「終わりが」好きなのだと勘違いしていたのだ。

でもこの件を持って僕が好きな「寂しさ」は物語のみが有効だったことに気づいた。

もし自分が好きなユニットが、バンドが、作者が、友達がいなくなったとき、きっと僕はその「寂しさ」を楽しむことができないと思うから。

だから今この「寂しさ」がとても痛くて苦しい。

もしこの「寂しさ」を未来の僕が思い出した時、その時に僕は何を感じるのか?

楽しみだからこの感情を残そうと思う。

すべての本との出会いの感謝を。
それをくれた本屋への感謝を。

今はまだそれだけでいい。



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