見出し画像

風の絵の具は何色? 唾奇とおじいちゃんと『無縁・公界・楽』

毎日が命日の今日を糧にして生きる 思ったより大人だけどまだガキ 自分の意思で満たしてく またてくてく歩いてく 人は綺麗なままじゃ居られないんだイカれそうだ(TOCCHI/Swing Remix (feat. 唾奇)

 滅多にかかってこない実家からの着信に、悪い知らせかと慌てふためいたら、祖父からの「お前、トシもトシやし早く結婚せんかい」コールだった。これが聞きしに勝るケッコ・ンマダーカの呪い。おじいちゃんが元気でうれしかったけれど、わたしは少なからぬダメージを負った。

 何が悲しいかって、おじいちゃんの期待に応えられそうにないやるせなさもあるし、自分の周りの狭い社会では、まだまだ女は嫁ぐもの、子は父祖の言うことに従うもの、そしてそれに外れる者は劣等である、などといった黴臭い「当たり前」の枠に収まる他に道はないという「現実」を突きつけられたことだ。

 しがらみ。縁。こうあるべきだという規範。そういったものに導かれ、守られ、ある程度安全にここまで生きてこれたのは確かだ。でも、それらによって無視されたり、度を越して抑圧されてきたものたちが、心の奥底で解放を求めている。

 ひとが「自由」であり、「平和」であろうとする根源的な欲求について、網野善彦は『無縁・公界・楽』の中で、「有主」に対立する「無主・無縁」のパワーとして、人類原始の時代から世界の民族に共通して存在し、さまざまな形をとって作用し続けてきたと述べる。

網野によると、「無縁」「公界」「楽」とは、

俗権力も介入できず、諸役は免許、自由な通行が許され、私的隷属や賃借関係から自由、世俗の争い、戦争に関わりなく平和で、相互に平等な場、あるいは集団(p118)

を指すものである。

 網野は、歴史を「有主/有縁」「無主/無縁」が分化し、対立・闘争する過程として捉えた。

 日本において、古来より山野河海といった私的所有のはざまにある辺境は、古来より"神のもの"、ひいては神の流れをくむ"天皇のもの"として、世俗の縁とは一線を画した場として存在し、罪人が訴追を逃れる場、生と死を断ち切る葬送の場、所有権を自由にやりとりする市の立つ場、そこに踏み入れば主従関係や婚姻関係を解消できる場、などといった"アジール"として機能した。また、そこで生業を行うひとびとは、聖なる加護を受けた職能民として活動した。

 こうした「無縁」のありようがより実利性・具体性をもって立ち現れてくるのは中世でおいてである。

 中世初期は、政治機構の転換、飢饉、度重なる争いにより退廃した世情と"一致"した末法思想が広がり、社会に厭世的な不安が蔓延した時期でもあった。

 そんな中で勃興した鎌倉新仏教は、1つの教えを選び(選択)、簡単な行(易行)を行い、それに専念する(専修)ことで、だれでも実践できる教えとして、それまで貴族のものであった日本仏教のあり方に風穴を開けた。

 とくに、禅宗・律宗の僧侶や踊念仏の時宗たちは、「無縁」びとの一片として各地を自由に通行し、無縁の場を拠点として活動したことが明らかである。

 そもそも「無縁」「公界」「楽」とは、仏教用語で「原因、条件、対象のないこと」「相手のいかんを問わず、一切平等に救済する慈悲」を指す。

 これらの言葉が人々の中で自由・平和を希求する言葉として顕在化したのと時期を同じくして、仏教が日本で真に「大衆」のものになったことは、偶然とはいえない。退廃した世の中に立ち向かい、それでも生きようとする人々の心が、仏教という「無縁」を通じて平らかな世を希求したのである。

 しかし、このような「無縁」概念が、言葉通りのまま存在し続けた訳ではない。時代が下り、神仏の威力が失われるにつれ、権力構造の中に取り込まれたり、差別の対象として蔑視に晒されるようにもなっていった。

 さらに、"無縁"といえども結局は神仏や天皇といった"主"に帰属しているのではないかという指摘もいえる。だが、そこには上下の権力構造では片付けられない含み・遊びがある。この余白において、河原者をはじめとした「無縁」びとが、縦横無尽にその力を発揮し、能楽や庭園など、現代に生きる我々の魂の奥をも震わせる「自由」「平和」の発露たる芸術を生んだのである。

 こうした「無縁」が、幕府による守護地頭の設置を皮切りに、一層細かく民衆にのしかかる政治的圧力に対するカウンターカルチャーとして顕在化したととらえるのは少々乱暴なこじつけかもしれないが、鎌倉新仏教とともに「無縁」のパワーが起こすダイナミズムによって、日本中世に混沌ともいえるほどの生命力が生まれていたことは穿ち過ぎた見方ではないだろう。

抜け道の数が多ければ多いほどその社会は良い社会であると僕は思っている。(『村上朝日堂』)

 あるルールからは隔離された聖域。カオスをも引き受ける胆力をもつそれは、傍から見れば"異形"であり、尖っていて、傲慢で、あるいはひとであることすら否定されるほどの厳しさに晒された、孤高の象徴でもある。

 生活を営む限り、わたしたちはさまざまな縁に関わらざるを得ない。ときに助けられ、あるいは押しつぶされ、自分の方向性を見失うこともある。正しい道だけを示してくれるコンパスなどない。自分で道を切り開いて行かなくてはならない。迷いの連続だ。そんなとき、「無縁」がもつ禍々しいまでの力を思い起こしたい。

 心の中に「無縁」を蘇らせることは、他者・外界と、そこから未分化だった自分をうきぼりにし、自らが希求する本当の「自由」と「平和」を自覚し、人生をより鮮やかに生きぬくための創造性を生み出す鍵になるのではないだろうか。

 わたしはおじいちゃんが望むような役割を果たす孫にはなれないかもしれない。けれど、人生を終えるとき、ちゃんと自分のものだったと満足できる生き方をするつもりだ。

 おじいちゃんが繋いでくれたわたしの生という船。もらいっぱなしの地図はもう、古くなった。これからは、わたしが舵をとる。孤独な旅路になるかもしれない。厳しい風に晒されるかもしれない。多大な代償を求められるかもしれない。それでも誇り高く、わたしはわたしのものだと胸を張って進みたいと思う。

他人のlifeに生きるのはやめにしてさ 何も無くても最後笑えれてればって思う お前が好きだって思う 愛してるやっさって思う(Made my day/唾奇)

参考文献:

網野善彦(1996)『無縁・公界・楽 増補』平凡社

樺山紘一ほか(2010)『新・現代歴史学の名著』中公新書

村上春樹・安西水丸(1987)『村上朝日堂』新潮文庫

山本博文(2020)『〔東大流〕流れをつかむすごい! 日本史講義』PHP文庫

見出し画像:

小原古邨『月に蝙蝠』Image via Rijksmuseum Amsterdam


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?