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ヒューマンとヒューマノイドの話。

地球上にいるヒューマノイド型には、大きく分けて2種類ある。

両者はただ違うというだけで、どちらが優れていて、どちらが劣っているとかそういう話ではない。ただ、成り立ちが違うのだということ。この考え方をベースにして多くの話が進められていくので、整理して残しておきたい。「アクセスコンシャスネス」でも登場する呼び方だけど、ここでもそれぞれを「ヒューマン」と「ヒューマノイド」と表現していく。


ヒューマンの特徴は、物事を直線的に考えること。過去現在未来と時間軸に則って考え、現実を「ただそういうもの」という認識で捉え、それが当然と考えている傾向にある。物事を違った側面から捉えることや、全く異なるものの見方というのはほとんどなく、直線的なものの見方をする。因果関係があると考える。時間軸に則って物事が進むと考える…等など。


ヒューマノイドは異なるものの見方をする。違った可能性があるのではないかと考え、それを求める傾向にある。物事が因果関係なく現れることを知っている。あるいは、異なる可能性があることを知っている。この現実とは違う何かがあると知っている…そのような傾向にある。


ヒューマンとヒューマノイドがなぜこのように違うのかというと、それは両者の存在の成り立ちの違いによるところが大きい。


ヒューマノイドとはもともと、地球外からきた存在が地球で活動するのに最適な肉体を持った存在だということ。存在(Being)とからだ(Body)がドッキングした状態であること。

もともと地球外から来ているので、価値観や感覚がそもそもヒューマンとは違う。「知っている」という表現をしたのはそういう理由から。その人がどこから来て、どのような目的を持っているのかはそれこそ人によって全く異なるので、ヒューマノイドだからといって一括りには出来ない。宇宙人という表現も適切ではない。宇宙というのは人型をとる存在ばかりではないから。意識体とか、惑星の意識とか、さまざまな存在形態がある宇宙の中で、それぞれ自分の目的を持って、今地球に肉体を持って存在することを選んだ存在なのだということ。


ヒューマンとは、地球上で生まれた存在で、もともとは地球での可能性を探る実験をする中で、被験者だった存在。なので地球のルールしか知らず、他の可能性というのをそもそも知らない。「ただそういうものだ」という認識をする理由は簡単で、それ以外の考え方を知らないから。それが当然と信じて生きていて、疑問に思うこともあまりないよう。


この現実というのは、ヒューマン様式で構成されている。そして、地球上での割合としてはヒューマンの方が多い。だけど、もはやヒューマノイドはヒューマン様式で生きなくてもいいのだ。これは差別や特別意識ではないということは、重ねて書いておきたい。ただ、そもそも違うのだから、違ったままで生きていいのだということ。そうやって「違い」を明らかにしていくことで、それが当たり前になっていく。


例えるなら天動説から地動説に認識が変わっていくのに似ているかも知れない。今では地球が丸いということは当たり前になったが、それ以前は地球が丸い唱えることは異端だった。地球は平らだと考えられていた。だけど、その中でも「地球は丸いのだ」と言い続けた人がいた。そして、それが当然として受け入れられるようになった。その過程に似ている。


宇宙的な常識を知るヒューマノイドが、自分の知ってることから機能することで、異なる可能性がこの地上に創造される。そうすることで進化が促進される。


ヒューマノイドがヒューマノイドとして自分を生きていくこと。その目覚めを迎えること。目を覚ました状態でこの地上で生きていくこと。それは、今までとはまったく異なる生き方を選ぶことになるのかも知れない。今まで「おかしいな」と思いながらも倣ってきたこの現実のルールを捨て去ることになるのかも知れない。でも、それは自分にとっての真実を生きていくということとイコールであって、ヒューマノイドにとっては求めてやまなかった本来の生き方なのかも知れない。


そして、これはそれを強制しているのではない、ということも重ねて書いておきたい。あなたが何を選択してもいいのだということ。ただ、もしこれを読んで少しでも「軽く」感じるなら、あなたにとっての真実がここには含まれているのかも。










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