私の目的と決意

「SNS無精」とでも言うのだろうか。とにかくネット上での発信が続かない。大学生のころ、ミクシィにハマっていた。当時は全く抵抗感は抱いていなかった。人の目を気にしていなかったからだろう。私はいつからそうなってしまったのか。

完全に話がそれた。いつの間にか発信が苦手になっていた私がこのアカウントを開設した理由、つまりこのアカウントで達成したい目的は「困りごとを抱える子どもたちやその保護者、もしくは支える大人を笑顔にする」ことだ。

色んな方法がある中、目的達成のために選んだ手段は「自ら撮影した写真を販売し、その収益を寄付すること」。理由は写真を撮ることが好きで、好きなことなら続けられるだろうと考えたからだ。好きだし、うまくなりたい。それが誰かのためになるのであれば、最高だ。

具体的な対象者は①医療的ケア児を含む障害児者とその保護者②虐待を受けて児童養護施設や里親家庭で暮らす子どもたち・子どもたちを支える大人だ。なぜ、こうした人々が対象なのか。それは、私にとって身近な存在だからだ。

私は新聞記者であり、医療的ケア児の親でもある。わが子が病気を持って生まれたことをきっかけに、医療的ケア児や障害児者の取材に取り組んだ。そこで出会った人々は、私なんかよりも壮絶な経験を繰り返していた。それも何度もだ。

ご主人が自殺したことで娘と2人で生きている母親、わが子の余命を宣告された母親、365日付きっ切りのケアでうつになった母親、父親の介護と子どものケアで疲弊する母親…。だが、彼女たちは笑う。わが子に愛情を注ぐ。時に「元気に生んであげられなくてごめんね」という自責の念を抱きながら。

医療的ケア児らの取材を終えた後、児童養護施設で生活する子どもたちの取材を始めた。医療的ケア児らを取材する過程で、虐待を受けた子どもに出会ったのが取り組むきっかけをくれた。

彼、彼女らはどんなにひどいことをされようとも、実の親との暮らしを望んでいた。しかし、その願いは容易にかなわない。「じゃ、なぜ僕を私を産んだの?」。そう思うと心が、時には体がいわゆる一般的な子どもとは違った成長を遂げていた。

でも、施設で子どもたちと遊んでみるとやっぱり普通の子どもだった。こうした子どもらを支援する、大人たちの苦労や葛藤も知ることができた。医療的ケア児らの取材も、児童養護施設の子どもたちの取材も連載という形で紹介し、一区切りついた。

ただ、これで終わりなのか。自分にまだできることはないのか。そう自問自答した末にたどり着いたのが、このアカウント開設であり、寄付だった。甘っちょろい考えかもしれない。寄付で根本的な問題が解決しないことも知っている。そもそも寄付が一銭も集まらないかもしれない。

でも、それでいい。もう、SNS無精とは卒業だ。仕事と育児の合間に自分のペースで更新していく。そしてもう、人の目も気にしない。「いつからこうなってしまったのか」。今度は忘れないよう、ホットカーペットの温もりをお尻に感じながら、ここに決意を記す。

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