無題
連日、ニュース映像を見る。
ウクライナとロシアの戦いだけでなくて、日々、いろいろな苦しみがこの世の中では起きている訳だけれど。
焼津からの帰り道、静岡で電車を乗り換える。
乗り換えの電車が来るまで、高層の建物を見る。
今、私たちの街に空爆があったなら、目の前のビルが倒壊したなら。
乗り換えて、車窓から、電車を降りたら歩きながら想像する。
高層ビルが倒壊した時、すぐ下を歩いていたら逃場なんてないだろう。
近くにいなくたって、爆弾の衝撃や、飛び散った破片で死ぬかもしれない。
今、そんな思いをしている人たちが同じ時間を過ごしている。
人じゃなくたって、犬や猫、鳥、動物たちだって。
今でなくたって、いつだってそういうことがあったしあるのだ。
戦争を始めたのはロシアだけれど、戦争というのは誰かをみんなが崇拝して起こるもののような気がしてしまっていた。
今、目に見えて耳に聞こえていることは、大事な人を守るために戦うということ。
その力の強さに唖然としている。
それは、必然なのだけど…私だって、大事な人を殺されたら、大事な人が危なくなったら、やり返さずには、守らずにはいられないと思う。
でも、いつだってそういった、ごく普通の、真っ当な人間の良心や正義が利用されていて、それがどうしようもなく遣る瀬無い。
今日は3月11日。戦争と、震災、様々な悲しみが交差している。薄っぺらい言葉しか書けない人間だけど、勝手に思いを馳せる。無い頭で考える。
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