week

 小さな丘の上にあるお城や宮殿のように大きな図書館。私はそこに向かってお誕生日に買ってもらった緑色の自転車を懸命に漕いでゆく。駐輪場へ自転車を止めて急いで図書館の大きな入り口へ向かうと、その手前で天真爛漫な双子の兄弟、物静かな女の子、眼鏡をかけた賢そうな男の子が私が来るのを待っていた。図書館の中には児童館や託児所のような施設が組み込まれており、私はそこへ通うひとりだった。私を待ってくれていたみんなに、
「遅くなってごめん。」
と声をかけながら合流し、仲良く揃って建物の中へと入っていった。
 高級ホテルのような広いエントランスを右へ曲がり、まっすぐに進むと見えてくる大きな扉、その扉の先に私たちの通う施設がある。いつものように元気よく施設の先生方に挨拶をして、荷物をそれぞれに与えられたロッカーへとしまい、みんなで遊び始めた。
 この場所にいる間は基本的に何をしていてもよく、ずっと遊んでいてもいいし、学校の宿題をしても良い、溢れんばかりにある本を読んでもいいし、ゲームをしてもいい。しかし、二つだけ絶対に守らなければいけないルールがある。一つ目は「決して嘘をついてはいけない」ということ、二つ目は「二階にある部屋には決して入ってはいけない」ということ。この時の私たちはこのルールの、この施設の恐ろしさを何も知らなかった。
 いつもの様に友達と遊んでいると、遠くのほうからドタドタと物凄い足音がした。
「なんの騒ぎだろう?」
そう言いながら音のする方を見ると、小学校中学年くらいの男の子が青ざめた表情でこちらに向かって全力で走ってきた。その後ろを若い茶髪の先生が鬼の形相で追いかけ、私たちを通り過ぎてすぐのところで少年の腕を力一杯に掴むと、逃げ出せない様に力ずくで押さえつけた。
「もう逃さない。」
男の子を取り押さえた先生がそう言いながら首の周りに現れた蕁麻疹を掻きむしっていた。すると、ガチャンという音とともに二階の奥にある立ち入り禁止の扉が開いた。部屋の中から大きくてハートの気色の悪い着ぐるみを着た人らしきものが出てきて、ゆっくりと私たちのいる階へ降りてきた。私の横を通り過ぎたときに感じた異質な雰囲気はまるで恐怖そのものを具現化したかの様なもので、殺されると本能が確信するほどだった。先生は取り押さえた男の子をそいつへ引き渡し、すぐにこの場を後にした。そいつは男の子を軽々しく片手で持ち上げると左肩に担いだ。
「ごめんなさい!許してください!もう二度としません!ごめんなさい…!」
泣いて暴れながら何度も謝り続ける少年を気にも止めず、何事もなかったかの様に二階へと上がっていく。男の子のあげる言葉にもならない奇声に近い叫び声は、この広くて大きすぎる部屋に虚しく響き渡り、やっとの思いで絞り出したであろう
「助けて!」
という言葉を言い残して立ち入り禁止の部屋へと姿を消していった。
 とてつもない恐怖感が全身を駆け巡って体の機能を奪ってゆき、瞬きをすることも呼吸をすることもできず、全身が石の様に硬直して指先ひとつ動かせない状態になっていた。本物の地獄が目の前に現れてしまったのだと思った。突然、パチン!と大きな音が部屋中に響き、この最悪な空気を強制的に打ち壊した。音のする方向を見るとひとりの先生が胸の前で手を合わせたまま
「さぁ!みんなどうしたの?遊びましょうよ。」
そう言うと、子供たちは何事もなかったように散り散りになっていくが、私はこの光景が恐ろしくて仕方がなかった。
 少ししてから先生と距離を取った場所へ友達を集め、さっきのあれは何だったのか?先生は何を知っているのか?何故みんな気にならないのか?あの子はどうなってしまったのか?と話をした。小さな空間の重たい沈黙、そんな中でメガネをかけた少年が口を開いた。
「あの子を押さえつけていた先生、噂だけれど嘘アレルギーらしいんだ。嘘が大きければ大きいほど身体中が痒くなるんだって。さっきは首だけをかきむしってたからそんなに大きな嘘じゃなかったのだと思うけれど…。」
すると、自分達よりも幼い男の子がやってきて、
「あのね、あの子ね。おうちから絵本を持ってきちゃったの。それでね、先生にそれは何?って聞かれた時に嘘をついちゃったんだって。だから先生が怒っちゃったんだ。」
「そうなのね。今までもこんなことあったかな?」
そういうと、
「うん。〇〇ちゃんもお家で描いた絵を持ってきた時に先生に怒られて連れていかれちゃった。」
そして最後にもうひとつその子に聞くことにした。
「その連れて行かれた子は今日ここにいる?」
すると、男の子は首を大きく横へ振りながら、
「連れて行かれちゃった子はもう来ないよ。死んじゃったんだって。」
この話を聞いた時に最悪な仮説が出来上がった。もしかしたら、嘘をついたことよりもこの図書館に登録されていないもの、つまり、外部から持ち込んだものについて厳しい罰が下ったのかもしれない。そして、あの怪物に連れて行かれた子供はあの部屋の中で確実に殺されてしまうのではないかと。ただ、確信がなくあくまでも予想の範疇を出ないため、自分の中で止めておくことにした。
 この場所は明らかに何かがおかしい。そう思いながら先生たちを観察していると、先生が突然目の前に現れ、物静かな女の子に声をかけてきた。
「ねぇ?そういえばお兄ちゃんがいたわよね?最近元気にしてる?」
そう聞かれた彼女はあからさまに顔が引き攣り黙り込んでしまっていたが、先生はそんなことはお構いなしでマシンガンのように、
「ねぇ?どうなの?教えてくれないとわからないじゃない?何か言って見てよ?どうして何も教えてくれないの?」
と疑問を投げつけ続ける。完全に俯いてしまい、髪の毛で顔が見えない状態で、
「えっと…。はい。元気にしてますよ。」
そう返すと、
「へぇ、そうなんだ。元気にしてるんだ。私は交通事故で亡くなったって聞いてたんだけど、あれは嘘だったのかな?あれ?おかしいな?」
そう言いながら、先生は首元をかきむしり始めた。
少女は兄が亡くなったことを周りに公言したくなかったのにも関わらず、先生によって無理矢理言わされ、終いには先生自身で仕掛けた地雷が爆破し、嘘をついたことによって先生の発作が起きてしまった。私は困り果て立ち往生している彼女の腕を引っ張り、先生から逃げるようにして部屋の隅へ行った。
 立て続けに起きる騒ぎがとりあえずひと段落着いた頃、メガネの男の子が古びた冊子状の資料を持ってきた。しかし、その資料にはこの施設のものと証明するための印はなく、明らかにこの子が外部から持ち込んできたものだった。さっき私の立てた仮説通りならこの子は間違いなくあの怪物に連れて行かれて、二度とこの場所へ戻れなくなってしまう。
「お願い!その資料を私に貸して!」
そう言って奪い去ると壁際に丸められ立てかけてあった大きな絨毯の中に投げ入れて隠した。何が起きたか理解できていないメガネの男の子に後から私の立てた仮説を含めて説明をするとみるみる顔が青ざめ、体は小刻みに震えていた。その様子を遠くから見ていた先生が私たちの異変に気がついたらしく、
「どうしたの?何かあったの?」
と近づいて来た。メガネの男の子は黙ったままでいたのでわたしが、
「いいえ。何もありませんよ。」
と答えると先生は、
「あれ?何もないのか?本当にそうなのかな?」
首や腕をかきむしり始めた。相当大きな嘘という判断をしたのだろう、次第に全身をかきむしりだし、顔や身体が原型を留められなくなり歪み始めた。もう逃れようがない、正直にいうしかないのかと思っていると机を囲んでいた年下のグループの子たちが騒ぎ始めた。騒ぎの中心となった机の上には男の子が家から持ち込んだとされる絵の具で描かれた花の絵があった。それを見つけた先生は鬼のような形相で男の子の元へと走って向かうと、2階の奥の部屋に住む怪物が来るまでその子を力ずくで押さえつけた。
 「もう、こんなところに居られない。殺される。逃げないと。」
私がそういうと、メガネの男の子、双子の兄弟、物静かな女の子は顔を見合わせて深く頷く。
「このゴタゴタに紛れて外へ逃げてしまうほか方法はないよ。3つ数えたらあの大きなドアへ走って向かおう。そして逃げるんだ。」
そう伝えると息を殺して私の合図を待ち、3つ数え終わるのと同時に一斉に走り出した。捕まってしまった子供たちには申し訳ないという罪悪感を抱えながらも決して振り返ることなく、聳え立つ壁のように大きい扉へと一直線に向かい、扉を押し開けて外へ出た。
 地獄を振り払って楽園を求めた私たちの前に広がる光景は目を疑うものだった。施設の中にいる私たち、連れ去られる子供たち、鬼のような先生、あの怪物、私たちの体験した全てが暗がりの部屋の大きなスクリーンに映し出され、それを大勢の人が見つめている。私は理解が追いつかず、息をすることすらもできなくなってしまった。小さな笑みをこぼしながら膝をつき、スクリーンを見上げていると、あっという間にエンドロールが流れ、そこに刻まれている自分の名前を見つけた。
「嘘でしょう…?」
そう一言零した。
 エンドロールの最後、「week」と映画のタイトルが白く浮き上がった。