私は一体誰と繋がっているのだろう

 とある博物館は、世界的にも有名な大戦の業火を生き延びたという歴史的な建造物で、今でも当時と変わらずに利用されている。その中に併設されている図書館は、ある女性が命をかけて守り抜いた産物だった。

 穏やかな日差しが差し込む頃、私は博物館の中にある小さな図書館へ配属された。自己紹介の際に両腕を大きく広げ、
「わたしは命をかけてこの図書館を守ります!」
と大きな声で宣言し、強い責任感と共に溌溂とした態度で仕事への敬意を示した。自分の気持ちを汲み取ってくれたのか、施設の従業員はもちろんのこと、施設の利用者ともすぐに打ち解け、次第に周りから頼られる存在になっていった。

 季節はあっという間に流れ、夏の差すような日差しが肌を焦がし、陽炎が揺らぐ頃のこと。
 私はいつものように誰よりも早く出勤し、朝から図書館にて本の整理を行い、開館するまでの間、資料の確認や業務の確認をしていた。
 午後十二時を過ぎた頃のことだった。遠くの空から聞いたことのない大きなエンジン音が聞こえ、ものすごい速さで博物館の上空を通過していった。なんだろうか?と疑問に思いながら仕事へ戻ろうとすると、突然大きな爆発音が鳴り響き、同時に地面が大きく揺れた。慌てて外へ飛び出すと、港近くの住宅が建ち並ぶ方角から黒煙が立ち上り、すでに火の手が上がった。
 状況が把握できないまま、図書館の中へ戻り、いつでも避難できるようにと大切な資料などをまとめている時、ふと窓外を見ると、博物館入り口の門の前に人影が見えた。慌てて外へ出ると、よく図書館へ来てくれる中学生の女の子が立っていた。私は急いで駆け寄り、彼女に問いかけた。
「どうしたの?何があったの?」
「突然、空から爆弾が降ってきて…お母さんが…。お母さんが…。」
そう言いながら彼女は泣き崩れた。危ないと思いとっさに彼女の体を抱えると、彼女の右足が付け根の方から真っ赤に染まっていることに気がつき、
「怪我しているじゃない!早く中へ入ろう!」
と声をかけ、博物館の中へ連れていった。
 傷心し切った彼女へなんと声をかけたらいいのか分からず、重たい空気の中、黙々と怪我の応急処置をしていると、怪我をした子供が2人この場所へ避難をしてきた。私は急いで彼女の処置を終わらせ、ほかの怪我をした子供たちの応急処置をすることにした。小学生くらいの大人しい女の子は右目から顔の半分が真っ赤に染まるほどの流血をしており、同じく小学生くらいのふくよかな体型の男の子は左腹部に何かが貫通したかのような怪我をしており、そちらもかなりの出血をしていた。重症なはずのその子たちは何故か、不気味なほどに満面の笑みを浮かべていて、私は少し恐ろしく感じながらも、急いで手当てをした。
「建物の外は危ないから必ずこの図書館の中にいるように!」
そう子供たちへ伝え、私は部屋の隅にあるカウンターに置かれた電話の元へ駆けてゆき、内線を使って館内のいろいろな場所へ連絡とった。
すると突然、廊下から大人数の足音がした。気がついた時には薄いカーキ色の軍服を着た兵士たちが図書館の出入り口を塞ぎ、銃口を一斉にこちらへ向けてきた。もちろん、私たちに抗う術などなく、両手を頭の上に挙げながら兵士の指示に従い、子供たちを連れて建物の外へ出た。
 一人の兵士の後に続いて博物館裏の空き地へ向かうとそこには、館内にいたほかの従業員も集められていた。状況が掴めずにパニックに陥っていたが、"捕虜となった"という事実だけが間違いなく、そして、明確にそこにあった。しばらくの間兵士に監視されながら外で待機していると、館内から出てきた位の高いであろう兵士に「図書室へ向かえ」と命令された。私たちは両手を挙げながら一列に整列し、兵士の後ろをゾロゾロとついていった。
 図書室へ到着すると、私たちは部屋の隅へと追いやられ、「そこで待機するように」と指示された。部屋の隅には、今まで置いてあった沢山の本棚や図書館を利用する人のために置いてあった大きなテーブルや椅子が全て寄せ集めらていた。その上には本棚に収められていた本たちが乱雑に積まれており、床には本の千切れたページや破られた本が散乱していた。本の山の中には、避難の時に持ち出そうとした大切な資料も含まれており、私がこの図書館を守ると決めたのに何ひとつ守ることができなかったとひとり涙を流した。
 「やめて!」と声が聞こえ顔を上げると、火炎瓶のようなものがこちらへ飛んでくるのが見え、あっという間に本の山に火がついた。同じ部屋にいた人たちはすぐに出口へ向かったが、内側からドアが開けられず、このまま焼き殺されてしまうと誰もが思った。私は上着を脱ぎ、火をたたき消そうとしたが、火は鎮まるどころかどんどん燃え広がっていった…。

 私がこの夢を見たほんの数週間後、現実のこの世界で本当に戦争が始まってしまった。

 戦争を知らない私は何度も夢の中で戦争を体験している。戦争を知っている祖父母は戦争の恐ろしさを何度も伝えてくれている。
 しかし、戦争を体験した人も戦争を擬似的に体験している私も決してその怖さというものやその時の心情を他者へ伝えることはできない。
何故なら知らないから。知ろうとしないから。私はそれが本当に悲しいことだと思う。