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人がいるドッキリが終わらない

『水曜日のダウンタウン』の「「人がいる」の仕掛け人をやったあと帰宅した自宅に人がいたら気の緩みもあってめちゃ怖い説」、面白かったですし、この番組らしい企画だな、と思いました。

誰もいないはずの家に帰ってきて人がいたらびっくりする。ここまでは普通のドッキリ企画です。そこに加えて、仕掛け人をやっていた側の人が、自分の家に帰ったときに、そこに人がいたら余計にびっくりするのではないか。これが今回の企画の趣旨です。

最初はきしたかの・高野さんがみなみかわさんにドッキリを仕掛けていて、次にその高野さんがみなみかわさんに驚かされる側に回っていた。たしかにこれも面白い。

でも、ここで終わらなかったのが良かった。次に、この企画が終わった後、安心して帰宅するみなみかわさんに対して、高野さんが再びドッキリを仕掛ける。そして、お互いに「人がいるドッキリ」を何度も仕掛け合う展開になるのです。

最初の1~2回は、予測していないという怖さがある。でも、それを超えると、仕掛けられている可能性を予測できるので、ドッキリとしての純粋な驚きはなくなっていきます。

さらに、それでもしつこく繰り返していると、単なる驚きや恐怖や不安を通り越して、彼らはわけのわからない感情になっていきます。

しかも、それを味わうのは彼らだけではありません。視聴者もまた、これは何なんだろう、と思いながら、わけのわからないVTRを延々と見せられることになる。個人的にはここがものすごく良かったです。

『水曜日のダウンタウン』を見ていると、単に面白いだけではなく、わけのわからない境地に連れて行かれて、名付けようのない感情を抱かされることがあります。人がいるドッキリを延々と繰り返す2人の芸人を見ていると、最初の何回かは「いつまでやるんだよ」という当たり前のツッコミが機能する「理解可能な感情」がわいてきます。

でも、それを超えると、何だかよくわからないものを見せられて、よくわからない気持ちになる。普段使っていない脳の部位を刺激されているようで、すごく心地が良いのです。

ほとんどのエンタメコンテンツでは、受け手がどういう感情を味わうのかということがあらかじめ想定されています。コメディなら笑わせる、ホラーなら怖がらせる、といったことです。

でも、『水曜日のダウンタウン』では、ときに想定外のところに連れて行かれます。笑いでもない、恐怖でもない、感動でもない、なんだこれは、という感覚。それがたまらなく好きです。

この話をするときに、よく引き合いに出されるのが「逆ドッキリ 逆逆逆くらいまでいくと 疑心暗鬼になる説」なのですが、それに加えて、個人的には「巨乳をチラ見しちゃうお色気ドッキリのターゲットがその巨乳娘の父親だったら…という“逆お色気ドッキリ”見てらんない説」も好きでした。これこそ、何とも言えない感情にさせられる傑作でした。


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『キングオブコント2023』の感想を有料noteで書きました。